第11話 中で聞いてみる
「杏鈴が? 線を引くの、あんなにうまいのに」
静蘭さまが首を傾げた。
「普通紙と、そんなに違うかな。同じ筆と墨だったんだよね」
「はい。普通紙なら、同じ太さで引けます。符用紙でだけ、白く抜けるのです」
麗華さまも、私の手元へ目を向けられた。
「図が複雑になったのではないのね?」
「昨日と同じ図です。先生も筆の使い方を確かめてくださったのですが、墨を増やせばよいのかも、分からなくて」
「じゃあ、ちょっと見てみたいな。持ってきた?」
稽古で使った紙を机の上に出した。
卓の上には茶碗が四つあり、その間を空けて紙を広げた。墨が飛べば、今日の菓子まで駄目になる。
「先に菓子を片づけましょう」
私が言うと、静蘭さまが皿を自分の側へ引いた。
「食べ終わったら片づけるよ」
「では、先に召し上がってください」
「話が進まないじゃん」
紅玉さまが片手で皿を持ち上げ、棚の前へ運んだ。静蘭さまが腕を伸ばす。
「あー、遠くなった」
「筆を使うあいだだけだ」
麗華さまが濡れた布を卓へ置いてくださった。
「手を拭くのはこちらで。墨のついた指で菓子を取らないでね」
「麗華、ここでも先生みたい」
「お菓子を守るためよ」
この方々にとっては、私の失敗の話も、特別な裁判ではないのだ。うまく書けないなら試してみる。紙が悪いかもしれないなら比べてみる。
それだけのことを、外では言うのに迷っていた。
静蘭さまが筆を取った。
「私にも、書かせてみてよ」
麗華さまは口を開きかけて、やめられた。私がどうしたいか、先に待ってくださったのかもしれない。
「お願いいたします」
静蘭さまが、私と同じ図を引いた。
途中までは綺麗だった。ところが、曲がった先で墨が細くなり、紙の白が残った。
「あれ?」
こんな声を出す静蘭さまは、初めて見た。
もう一度、筆を整えて書く。今度は線がひとつつながったが、次が抜けた。
「本当だ。なんでだろ」
静蘭さまは紙を傾け、墨の乗り方を確かめた。
麗華さまも身を起こした。
「先生のお使いになる見本と、同じ仕立てなのかしら」
「見た目は似ています。けれど、手にすると少し……」
私は紙の端を指で確かめた。上質の紙は、繊維の手応えが揃っている。これには、滑るところと引っかかるところがあった。
それだけでどこの紙か、誰が替えたのかなど分かるはずもない。
「紙がおかしいかもしれない、ということですね」
「うん。少なくとも、杏鈴の筆のせいだけじゃないね」
静蘭さまが答えた。
静蘭さまの線にも、私と同じように白いところが残っていた。
私の書き損じも隣へ置いた。どちらも曲がりの先で墨が抜けている。
明日は、この二枚を先生に見ていただこう。
「一緒に確かめていただけて、よかったです」
「うん。私も、こんな紙があるんだって初めて知った」
「静蘭さまにも、初めてのことがあるのですね」
「いっぱいあるよ。お菓子の作り方だって、知らないことだらけ」
「そちらは、作らずに食べてばかりでしょう」
麗華さまの声で、静蘭さまが顔を上げた。
「食べ比べるのも研究だって」
麗華さまは、皿を卓へ戻してくださった。
紅玉さまは抜けた線を覗き込んでいた。
「誰でも書けないのなら、調べてもらえばよい」
「はい。でも、私が持ち出した紙ですから、明日は先生の前でもう一度確かめていただこうと思います」
「そうね。それがよいわ」
麗華さまが答えられた。
私はようやく菓子を口にした。
*
翌朝、稽古場で先生にお願いし、配られた紙と、保管してあった以前の符用紙を比べていただいた。
同じ筆と墨を使い、先生自身もその紙で書いた。配られた紙では線が抜け、先生が取り置いていた束の紙では細くつながった。
先生は紙束を別々に包み、区別できるように印を記された。
「杏鈴さまの腕の問題ではありません。紙の仕立てが揃っていないようです」
私は深く頭を下げた。
「用度へも、同じ納入分を確かめるように申し渡します。それまでは、確認できている束の方の紙を使いましょう」
「ありがとうございます」
差し出された紙へ筆を下ろす。
線は、細く曲がって、そのまま先へつながった。
余白へも一本、細い線を引いた。穂先を運んだとおりに、墨がついてくる。
そうだ。この具合なら、次も同じように書ける。
できないこと全部を、紙のせいにするつもりはない。紙が悪いと確かめられたからこそ、今度は自分の未熟なところを落ち着いて直せる。
線の角を少し細くした。まだ見本と同じではないが、書き終えたところを先生へお見せできた。
稽古が終わり、写し取った図を畳んだ。
今度は、最後まで線がつながっていた。




