#02 彼女の名前と記憶
ユウナ=ロードレイジ。
彼女はそう名乗った。
ロードレイジ……忘れるはずもない名だ。
そうか。あの時の子供か。
しかし……
「……本当にそうか?」
「え?」
「その格好からして、壁を越えて来たんだろうが……ロードレイジが王族の名だとは知っているだろう。名乗るだけなら誰でもできる」
「……これを」
彼女は胸元のボタンを外し、身につけていたペンダントを見せた。
「そのペンダントは……」
「はい」
「偽物だな」
「……えっ!」
「そいつはユーリアが持ってるはずだ。お前が持ってるわけがない」
俺はもう一度、彼女に背を向けた。
「……母は、ユーリア=ロードレイジは死にました」
俺は足を止めた。
……彼女が死んだ?
ゆっくりと振り返る。
「二年前に、病気で……」
彼女はうつむいたまま言った。
煙草を持つ手が止まっていた。何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。
「だから、このペンダントは私が受け継いだんです。そして今、王位継承戦が始まりました」
彼女は胸元のペンダントを握りしめ、顔を上げた。
「母が亡くなる前に、『何か困ったことがあれば、ナツカゲを訪ねなさい』と言っていました。それで、あなたが母に送った手紙を頼りに、ここまで来たんです」
彼女はまっすぐに俺を見つめた。
「お願いです! 私を助けてください!」
ユーリアが死んだ。
その言葉が頭から離れない。
王位継承戦が始まった? それで、この子が俺を頼ってきたのか。
最後に会った時は、まだ幼い子供だった。
……全部、信じていいのか?
俺は立ち尽くしたまま、彼女の瞳を見つめることしかできなかった。
その時、通りの向こうから男たちの声が聞こえた。
「おい! 壁の向こうからアーミーギアが来たってよ! 見に行こうぜ!」
俺は声のした方へ目を向けた。
「追いつかれた……」
彼女が青ざめた顔で呟いた。
「アーミーギアが街に?」
特別珍しいことではない。
壁を違法に越えた者を連行するため、壁のこちら側にも入ってくることがある。
今回の狙いは、目の前で青ざめている彼女だろう。
「か……匿ってください!」
「恐らく、あんたの顔や特徴はもうアーミーギアに共有されてる。この街から急いで出て、索敵範囲から逃げるんだな」
「お願いします!」
彼女が俺にすがりつく。
「いきなり来て、全部信じろってか? あいにく、そこまでお人好しじゃないんだよ」
俺はすがりつく手を振り払った。
「お願いします! ナツカゲさん!」
「しつこいな……」
彼女と目が合う。
『ナツカゲ』
頭の中に、懐かしく優しいユーリアの声が響いた。
「……ユーリア」
「ユウナ=ロードレイジを発見しました」
蒸気の噴き出す音と、関節の軋む音。そして、無機質な機械音声。
アーミーギアに見つかった。
「あっ……ああ……」
彼女は力なく地面にへたり込んだ。
「そんな……せっかく会えたのに……」
ユーリア……いや、ユーリア様。俺は……
重い足音が、蒸気の噴き出す音とともに近づいてくる。
俺は腰を抜かした彼女の手を取った。
「とりあえず逃げるぞ」
「えっ……む、無理です。走って逃げたって、どうせすぐに追いつかれます」
「まあ、任せな」
彼女の背中と膝の裏に腕を回し、抱き上げる。
「きゃっ!」
「俺の首に腕を回せ。それから、なるべく口を閉じてろ。舌を噛むぞ」
「それってどういう……」
返事を待たず、俺は屋根まで跳び上がった。
「きゃあー!!」
腕の中で彼女が悲鳴を上げる。
「うるさい」
屋根に着地すると、そのまま走り出した。隣の屋根へと飛び移り、アーミーギアから離れていく。
「いったいどんだけ跳んだんですか!? 屋根なんか走って大丈夫なんですか!? てか、なんで走れるんですか!?」
全然口を閉じないな、こいつ。
とりあえず、街を回って追っ手を撒いてから家に戻ろう。
万が一やり合うことになったら、さすがにアーミーギア相手に丸腰は面倒だ。
腕の中で騒ぐ彼女の声を聞きながら、俺はそんなことを考えていた。
しばらく街を走り回ってアーミーギアを撒き、俺の家にたどり着いた。
「大丈夫か?」
部屋の隅で青ざめてへたり込んでいる彼女に声をかけた。
「は……はい。あの、ありがとう……ございます」
「なんか飲むか?」
俺は煙草に火をつけ、煙を吐いた。
「いえ……あっ、やっぱりお水を……」
彼女はよろめきながら立ち上がり、椅子に座った。
「あいよ」
水を入れたコップを差し出すと、彼女はそれを一気に飲み干した。
「ふー」
「ただの水を、よくそんな美味そうに飲めるな」
俺は少し呆れながら言った。
「へへっ。喉、カラカラで」
笑った顔がユーリアにそっくりだった。
どうやら、娘だというのは嘘ではないらしい。
つまり、本当に彼女は……
俺は煙草を灰皿に押しつけて消した。
「それで、何があった? 危険を冒してまで俺に会いに来た理由を聞かせてくれ」
彼女の表情が曇った。
「……信じてくれますか?」
「ああ……信じるよ。ユウナ=ロードレイジ」
「……ありがとうございます」
彼女がまっすぐに俺を見た。
「今のロードレイジ家のことと、王位継承戦、それから……ほかの七人の王子について、聞いてください」




