#10 壁を越えて
門の前まで来ると、自然と首が上を向いた。
左右に伸びる壁は、視界の端まで続いている。見上げた先には見張りらしき人影があったが、ここからでは顔どころか、どちらを向いているのかも分からない。
「相変わらず、でかいな」
「近くで見ると、余計にそう思いますよね」
ユウナは俺の隣で、同じように上を見ていた。
開かれた鉄の扉には、幾つもの鋲が並んでいる。その奥には薄暗い通路が続き、出口の光が小さく見えた。
ユウナがこちらを向き、少し微笑んだ。
「お願いします」
「なんだ、急に」
「なんとなくです」
「……そうか」
ユウナは前を向き、門の中へ足を踏み入れた。
俺もその後に続く。
数歩進んだだけで、空気がひんやりとした。
外では気にならなかった靴音が、石の床と高い天井の間で響く。壁に取り付けられた灯りが、一定の間隔で奥へと並んでいた。
向こうから荷車を引いた男がやってくる。
俺たちの横を通り過ぎた後も、車輪の音はしばらく背後に残っていた。
「来たときも、ここを通ったのか?」
「はい」
ユウナの声にも、小さな反響がついた。
「そのときは長く感じました」
「実際、長いだろ」
「そうですけど……」
ユウナは少し考えてから、俺を見上げた。
「今日は、前より短く感じそうです」
「まだ入ったばかりだぞ」
「そういう意味じゃありません」
それだけ言って、また前を向く。
俺は返す言葉を考えたが、面倒になってやめた。
灯りの下を幾つも通り過ぎる。
横の壁には鉄の扉があり、その向こうから人の話し声が聞こえた。何の部屋なのか、表には何も書かれていない。
ユウナは足を止めずに歩いていた。
俺も歩幅を少し狭め、その隣を進む。
やがて、遠くに見えていた光が、出口の形になった。
外から風が吹き込んでくる。油の臭いと、何かが焼けるような臭いが混じっていた。
通路を抜ける。
眩しさに目を細めた。その向こうで、白い蒸気が噴き上がる。
車輪の大きな車両が、鉄の音を立てて道を走っている。建物の壁には太い管が這い、屋根の上では幾つもの煙突が煙を吐いていた。
行き交う人々の格好も、秋津とは随分違う。
山高帽をかぶった男が、裾の長い上着を揺らして歩いている。隣の女は腰を絞ったドレス姿で、飾りのついた帽子を片手で押さえていた。
革の手袋をはめ、額にゴーグルを乗せた若い男が、その二人の間をすり抜けていく。袖をまくった腕には煤がつき、腰のベルトでは工具がぶつかり合っていた。
秋津で見慣れた着物姿は、少なくともこの辺りには見当たらない。
背後を振り返れば、今出てきた門がある。
同じ国だというのに、秋津で見ていた景色は、その奥に隠れてしまった。
「ナツカゲさん」
呼ばれて顔を戻す。
ユウナは街の方を見ていた。
「ここからですね」
「ああ」
俺は白鞘の位置を直した。
「相変わらず、騒がしいところだな」
「秋津とは全然違いますね」
「そうだな」
「ナツカゲさんの出身は、どっち側なんですか?」
「俺は門の通路に捨てられてたらしいから、知らん」
「……ごめんなさい」
ユウナが視線を落とす。
「この歳で、そんなこと気にするかよ。それより、ドルマー行きの移動手段を探すぞ」
「あっ、それなら飛空艇が出てるはずです。……高いですけど」
「飛空艇か……しばらく見ないうちに、随分変わったな」
空を見上げると、幾つもの飛空艇が飛んでいた。
俺が秋津に行く前には、飛空艇はまだ開発途中だった。今では、それほど珍しいものでもないらしい。
「秋津に行ってからは、こちらには来なかったんですか?」
「ああ」
「それなら、驚くことが多いかもしれませんね」
「新聞ぐらいしか情報が回ってこないから、そうかもな」
「とりあえず、飛空艇乗り場に連れてってくれ」
「はい」
ユウナが先に立ち、俺も歩き出す。
「そういえば、ユウナは着替えなくていいのか? ハイカラ姿のやつなんか、目立つぞ」
「シキ組長さんが選んでくれた服なので、この格好がいいです」
「前の服はどうした?」
「一応、鞄には詰めてます」
ユウナは腰に掛けた鞄を、こちらに持ち上げて見せた。
「目立つと、面倒事が増えるかもしれないぞ?」
「守ってくれるんですよね?」
ユウナが微笑みかける。
「……ああ。そうだな」
思わず笑ってしまう。
変わった景色を眺めながら歩いていると、先を行くユウナがこちらを振り返った。
「ナツカゲさん。こちらです」
ユウナが指し示した先には、煉瓦造りの大きな建物があった。
正面の時計の下で、人々が次々と入口に吸い込まれていく。旅行鞄を抱えた者もいれば、荷物を積んだ台車を押す者もいる。
その建物の向こうに、鉄骨で組まれた塔が何本も立っていた。
塔の上には、巨大な飛空艇が繋がれている。
さっき空を飛んでいたものとは、随分と大きさが違って見えた。丸みを帯びた船体の下に窓が並び、側面には畳まれた羽のようなものがついている。
「……あれに乗るのか」
「はい。ドルマー行きの時間を見てみましょう」
入口をくぐると、靴音と話し声が一度に押し寄せてきた。
高い天井を鉄の梁が支えている。天窓から差し込む光の中で、細かな埃が舞っていた。
壁際には窓口が並び、その前には幾つもの列ができている。頭上の大きな掲示板には、行き先と出発時刻が書かれていた。
突然、頭の上で何かが鳴った。
見上げると、壁に取り付けられたラッパのようなものから、くぐもった女の声が流れている。
周りの人間は気にも留めず、歩き続けていた。
「……いちいち驚いてたら、疲れそうだな」
ユウナが小さく笑う。
その奥では、制服姿の男が柵の向こうへ乗客を案内していた。外へ続く扉が開くたび、蒸気の噴き出す音と、油の臭いが流れ込んでくる。
「まずは、切符ですね」
ユウナは掲示板を見上げながら、窓口の方へ歩いていった。
切符を買い終えたユウナが戻ってくる。
「ドルマー行き、ありました。もう少しで乗れるそうです」
「そうか」
ユウナから切符を受け取り、案内された乗り場へ向かう。
制服姿の男に切符を見せると、外へ続く扉の向こうへ通された。
間近で見る飛空艇は、建物みたいだった。
頭上を覆う巨大な船体から、何本もの綱が伸びている。その下に吊られた客室へ、鉄の階段が続いていた。
脇では作業着姿の男たちが声を掛け合い、荷物を積み込んでいる。どこかで金属を叩く音がして、俺はそちらを見た。
「これ、本当に飛ぶんだよな?」
「ここまで飛んできたんですから、大丈夫ですよ」
「そりゃそうか」
階段に足を掛ける。
一段上がるたびに、靴の下で鉄板が鳴った。
入口をくぐると、外の騒がしさが少し遠のく。
通路の両側に、布張りの座席が並んでいた。壁には大きな窓があり、頭上には荷物を載せる棚がある。
「こちらですね」
ユウナが切符を確かめ、窓際の席を指した。
俺は鞄を棚に押し込み、白鞘の刀を手に持って腰を下ろす。邪魔にならないよう、足元に立てかけた。
思ったより座り心地は悪くない。
隣に座ったユウナは、早速窓の外を眺めていた。
「お前は乗ったことがあるのか?」
「はい。何度か」
「慣れたもんだな」
「ナツカゲさんも、すぐ慣れますよ」
客室の前方で、制服姿の女が扉を閉めた。
続いて、出発するので席を立たないようにと声が掛かる。
足元から低い振動が伝わってきた。
窓の向こうで、作業員が腕を上げる。船体を繋いでいた綱が外され、ゆっくりと離れていった。
身体が座席に沈むような感覚がした。
「……おお」
乗り場にいた人間の頭が、窓の下へ消える。
鉄骨の塔が横を流れ、その向こうから街の屋根が現れた。
さっきまで見上げていた煙突を、今は上から眺めている。
「飛んでますね」
「見りゃ分かる」
ユウナが楽しそうに笑った。
俺は窓枠に手を掛け、少し身を寄せる。
建物の間を走る車両も、道を歩く人間も、みるみる小さくなっていった。
その先に、壁が見える。
地上では視界を塞いでいたものが、ここからだと街の端を縁取る一本の帯のようだった。
ただ、その厚みは上から見てもよく分かる。
俺たちが歩いてきた通路は、あの中を貫いているのか。
「秋津も見えますよ」
ユウナの指す方へ目を向ける。
壁の向こうに、見慣れた色の屋根が重なっていた。
「……ああ」
ついさっきまでいた場所なのに、もう随分と遠く感じる。
飛空艇が向きを変えると、秋津は窓の端へ流れていった。
街並みが途切れると、畑と林が続いた。
細い道を走る荷車を見つけて、目で追う。少しの間は見えていたが、やがて窓の下へ消えてしまった。
飛空艇は多少揺れるものの、歩くよりはずっと楽だった。
しばらくして、客室にドルマーへの到着を知らせる声が響いた。
俺は背もたれから身体を起こす。
「ナツカゲさん。見えてきましたよ」
窓の向こうに、建物が密集していた。
街を横切る大きな道から、幾つもの細い道が枝分かれしている。煉瓦色の屋根の間に、背の高い建物や煙突が立っていた。
その外れに、飛空艇乗り場の塔が見える。
俺たちの乗る飛空艇は、高さを落としながらそちらへ近づいていった。
屋根瓦の一枚一枚が見えるようになる。
乗り場で待っている作業員が、こちらを見上げていた。
低い機関音に、何かを巻き取る音が重なる。窓の外で綱が張られ、船体が僅かに揺れた。
やがて振動が弱まり、客室の扉が開かれる。
「着きましたね」
「ああ」
飛行時間は三十分ほどだろうか。
ユウナが立ち上がる。
俺も刀を手に取り、棚から鞄を下ろして、乗客の列に続いた。
入口から外へ出ると、風が上着の裾を揺らした。
鉄の階段を下り、地面に足をつける。
振り返って見上げた飛空艇は、乗る前と同じようにでかかった。
「……大したもんだな」
あれだけのものが、俺たちを乗せてここまで飛んできた。
新聞で読んでいたときには、こんなふうに見上げることになるとは思わなかった。
「ナツカゲさん?」
「なんでもない。行くか」
「はい」
ユウナの隣に並び、テトラ=パトラがいるドルマーの街へ向かった。




