第九話 再会
「だれか、いませんか~?」
「タオル借りたいね~」
千歳は耳に入った水を出すため、首を振った。うまく取れないようで顔を顰めた。
指を耳に突っ込んでかき出すようなそぶりをしたがうまくいかなかったようだった。
俺の耳に入った水も同様に取れなかった。ぼーっと音が籠って聞こえる。
いくよ、というように、千歳が手を引っ張る。
少し歩くと双頭の柱にかかったのふたつの面があった。
べしみ、と呼ばれるような面だ。詳しいことは忘れてしまって分からなかったけれどいつかの何かでみたような。
時がたって金色が剥げたその面は鼻が潰れ、目を見開いて、まるで門番のように面がぎょろりと両方ともがこちらを睨んだ。
まるで神社に入ることを拒まれている気がした。
予想は当たっていたようだ。
「はいるな」
俺はぎょっとして一歩下がって千歳の後ろに隠れるように千歳越しに面を見た。
千歳はその手をぐいと引き寄せて構わず歩き出す。
両の面は千歳のことだけを見ている。俺には一瞥もしない。
「後ろのはお前が連れてきたのか」
「そうだけど」
「入る資格がない」
「うるさいなあ…」
資格がないってどういうこと?
千歳はしゃべる面に臆さなかった。
異世界なんだ、そういうふうに再確認して、俺は自分が指摘されていることを聞こえないふりをした。
夏彦がいればいいけど。本当に会えるのだろうかと不安だけが増していく。
千歳がこちらをみた。
「こわい?」
ビビりだと思われたくなくて、なにも言わないでいると千歳が子供を見るような目で笑った。
さっきの“お兄ちゃん“の顔だ。
どうしていままで気づかなかったんだろう。
これは“おにいちゃん“の”役割“の顔だ。
声がする。あきの声だ。
声のするほうに足早に走って行く。あいつはどうした?いないのか?
社務所からでると目の前にずぶぬれのふたりがいた。
しっかりと手を繋いで。
「・・・なんで。」
「あ!夏!」
二人をみて、雨、やっぱすごかったのか。と夏彦は小さく言った。
「夏、あのさ、」
「・・・手。」
手?一瞬あきが視線を落とす。そして、慌てたように「これは、えっと、ちがくて!」
ばっと慌てて手を離す。
千歳も一度、繋いだ手をみて視線をこちらに戻して首をかしげた。
「よかった、夏に会えて」
その表情は目だけが笑っていない作り物の笑顔だ。
「なんで、あきがいるんだよ、お前と」
「夏も会いたかったでしょ?」
千歳は俺の疑問を読んだように言葉を続ける。
俺の欲しくない言葉を把握して、敢えて言いたそうに濁した言葉を伝える。
「夏、別に、あきとはなにもしてないよ?」
「キャンプの夜さ、話したでしょ?忘れちゃったかな」
「顔替えの杜・・・、この場所みたいな変な世界にくるためには穢れなきゃいけないって話」
「焦ったんだから。夏がまさかひとりでいっちゃうなんて。」
「帰ってこれないかもしれないって思って、怖かったんだよ~?」
べらべらと話す千歳にほとんどの言葉は聞こえなかった。
ただ、最後の言葉だけが妙に粘着質を持って耳に残る。
―だから試しただけ、ここにくるためには、ふたりで穢れなきゃならないと思って。
「あき、ちゃんと協力してくれたよ」
言い方が柔らかくとても優しい。それが妙に気持ち悪い。
「・・・なにを」
夏の声が低くなる。
怒りを孕んだような不穏さがあった。
いつもの千歳らしくない、千歳の声は空気が読めてないような、この瞬間には不似合いな声だった。
「え?うーん・・・言わないとだめ?」
何も答えない俺の様子をみて、千歳はわざとあきに話題を振る。
「ね、あき、ちょっと痛かったし苦しかったよね」
「え、うん、まあ・・・」
「でも、あき、がんばったよね」
「もういいじゃん、それは」
あきはあの瞬間の想像したことを思い出したようで、下を向いた。
あきがまるで思い出したくない様子で顔を背けたのが引き金に、夏彦の腹のなかで何かがザワザワと暴れだした。
―それは、肯定だろ。
千歳の顔が、歪んで見える。
この以上の話はあきがいる前で話したくない。
千歳とここに来る前になにをしてきたのか。
穢れること。
童貞のあきが、穢れること?
頭によぎった想像は最低の想像。
想像だ。そんなことは。何度も言い聞かせるが、一度沸騰した湯が煮えるような苛立ちは簡単には収まらなかった。
二人の距離感が近づいていること。ふたりのはっきりしない物言い、秘密。
すべてが嫌悪感だった。
「ね、夏、」
あきが、言葉をかける。お前とも話したくない。
「あの、おれ、」
「悪かったよ」
「え」
「おれは謝ったからな」
そうぶっきらぼうにいうと夏はさっさと社務所の奥の部屋に引っ込んでいった。
言わなくても分かる。この山にきてから三人の何かがどんどん崩れていく。
そんなにあのとき言った言葉が夏をこんなに遠くにしてしまったのか。
あきは夏彦と喧嘩をしたことを悔やむばかりだった。




