第八話 神社へ
面を被ったままの神主は名を面川真冬と名乗った。
顔は見せてくれないらしい。
夏彦の汗だくの薄汚れた姿をみて、一笑してからお風呂でもどうぞ、と、促されるまま連れてこられた社務所は異様に広かった。
そこの一区画にお面が壁一面にずらりと悍ましいほどの量が並んでいた。
どれもこれもに個性があった。一般的に能などで知られるような、顔立ちの物も勿論あったが、それ以上に、人間からそのまま作られたような、妙なリアルさが残るもの、獣のようなもの、目をぎらぎらさせた人ざるもの、見たことのない面たち。
「この面が堕胎とか、姥捨てとかで、死んだ奴らへの弔いの面?」
「うん、でももう生きてるひとたちの方が多いね、ただ、要らなくなったじぶんの何かを面に変えて滝に捨てていくんだ」
「そんなもの集めてどうすんだよ」
「・・・内緒」
君に嫌われたくないからね、と付け足した。
胡散臭くて信用ならない男だが基本的に親切で悪気があるようには見えない。
「休憩するときはその隣の部屋で休んでおいで、布団を敷いといてあげようね」
風呂に入ると肌に触れた水がぷくぷくと小さい気泡になってとどまっている。
手で撫でると列を成して少しずつ浮かんでくる。
1日ぶりの風呂に思わず気が緩んだ。
いろんな汚れを流して、温かさが頭がぼうっとさせる。
おかしな神社だ。
こんなものが村にあること見せたくなくて、あのじじいはああ言ったのか?
霞む湯気を纏った自分の顔を鏡に映して触ってみる。
なんてことはない皮の薄い骨張った骨格のいつもの自分が映っている。
あのときのような木のような手触りではない。なんにしても、早く此処をでたいが、外を見ると真っ黒な木がいまにも倒れそうなほど風で軋んでいた。
風呂上がり濡れた髪の毛を拭きながら先ほどの面の部屋の前を通る。
踏みしめるためにギィギィと木が鳴る床、社は全体的に古めかしい。
ボソボソと話し声が聞こえる。
「誰かきたんだね」
「よかったね、これで真冬もさみしくないね」
「そうだね、でもすぐみんな帰るさ」
部屋の中に真冬がいるようだ。
すぐにぎいぎいと軋む床に、夏彦は躊躇した。これじゃあ盗み聞きみたいだ。
でも歩みを進めれば尚更、ここにいたことが分かってしまうと、一度足を止めてしまったことを後悔した。
「真冬はさみしくないの?」
「さみしいさ、でもみんながいるから大丈夫だよ」
真冬の声が聞こえる。こどもをなだめるみたいな、やさしい声。
しばらくして真冬は、誰かきたようだと、子供をなだめてまた別の襖から出て行ったようだった。
社務所の先ほどの面の部屋を覗くとまだ泣き声のような声が聞こえる。
自分以外にも迷った人がいたのかと安堵した。
声をかけようと、歩みを進める。
見つかりたくなくてこんな場所で泣いているのかもしれない部屋にぶしつけに入るのも戸惑われたが、真冬がいない以上、このまま見過ごすのも気持ちが悪かった。
「・・・大丈夫ですか」
扉を開けると誰もいなかった。ただ、ひとつ床に落ちたお面が濡れていた。
まるで涙を流すように。
手に取る。まだ生暖かい、誰かが今さっきまでつけていたかのように。
「誰もいねえじゃねえか、なんだったんだよ」
全ての予想に反した状況に、夏彦は戸惑っていた。
濡れた面。実態はないのに、面からなのか、外からなのか、ただ、この部屋の中から籠るように声が聞こえる不可思議にこの部屋を出れないで立ち尽くしている。
聞き覚えがあるような声がする
―どうして、こっち見てくれないの。
ふとその声に思い出す顔は、そんなことを言いようがないやつだった。
似た、誰かがそう呟いている。そう思うと親近感を感じた。
「大変だな、お前も」
同じような気持ちを自分だって抱えている。
濡れたお面を元の場所に戻すと声は止んだ。
「変な神社・・・」
夏彦はそう呟いて襖の扉を静かに閉めた。
その先の部屋には綺麗に敷かれた布団があった。
昔ながらに綿が詰まった重たい布団だった。
だがそれが落ち着く。少し黴くさいような気もしたが、それは前日、行き当たりばったりに購入した安いキャンプテントで眠った身体からすれば大したことではなかった。でもまだまだ寝るような時間ではない。
―千歳、はやくこねえかな。
「あき、行こう」
「うん」
「離れないでね、二人とも行けるかわかんないし」
「うん」
千歳がこちらをみて、安心させるようにいつもの“お兄ちゃん”の顔をする。
弟がどんなものか、一人っ子の俺には分からないけどいつだって千歳は俺と夏の世話を焼いてくれる、頼れる存在だった。
千歳が手を差し出したので自然と手を繋ぐ。
千歳は振り返らないで、どんどん進んでいった。
ただ手だけは離さない。その手はなんだか妙に冷たい手だった。
おーい、おーい、誰かの声がする。
「ねえ、千歳、誰か呼んでる声がする」
「ほっといていいよ、あれじゃない」
どういう意味か分からない。千歳はその声を気にしないで進んでいく。
歩きづらい石の段差を越えていくときも、木の幹が邪魔をする道も、いつもの千歳なら時々足を止めたり、こちらを気遣うはずだった。でも今日はそんな様子は見せなかった。
顔には見せないけど千歳も“異世界に友達が残されている”なんて異常な状態に焦っているのかもしれない。
でも、少しも迷わないで道を選ぶ千歳は夏彦がどこにいるか知っているみたいだった。
蛇胎の滝。ボロボロの木の看板はもう文字が消えかかって、蛇しか読めない。
その滝に迷いなくザブザブと入る。不安になる。怖い。このまま死んじゃうかもしれない。
「千歳!」
「なに」
「ここ、滝だよ!!」
こんな山奥まできたのは・・・自殺するため?一人じゃいやだから?一緒に?
急にそんなことを考えて怖くなった。
そもそも夏は本当にいるのだろうか?いままで千歳の話だけを鵜呑みにしているだけの自分がだったと気づくと途端に物騒な言葉が頭を掠める。
冷たい水に一瞬に体温が奪われてガチガチと歯が騒いでいる。
ついて行けない舌が縺れて噛みそうだ。
「千歳!まって!やだって!」
「いかないの?」
「どこへ!?」
「夏のとこだよ」
「意味わかんないんだけど?!」
慌てる俺の声とは正反対に千歳は体温も抑揚もない声で短い返事を続けた。
千歳が滝壺に潜る。一層に力を込めた手を離さずに。まるで逃がさないように強く。
目の前は水で霞んでよく見えない、どこまでも深く続いていくような滝壺の中に落ちていく。最後までぎゃあぎゃあと騒いでいたせいで息を吸うのを忘れた息が持たなくなる。
くるし“い”を言い終わるその瞬間だった。
パッと開けたところにでた。深い気がした滝壺だったが急に足が付くほどの深さになった。
水に濡れた千歳がうれしそうな顔をした。成功だ、って。
千歳がやっとこちらを向いた。
「あき、よくがんばったね」
「・・・うん」
・・・上手くいったから良かった、けど。もし失敗したら。千歳は俺と死んだのかな。
さっきの手の切り方といい、目的のためへの合理性に疑いをもたない千歳の行動は人間らしさが欠落しているような気がしてあきは少し言いようのない不安に駆られた。




