第四話 山へ
翌日は晴天だった。
昨日の消火した火を足でバラバラと蹴散らしてまた千歳に一本もらって一服する。今日はすきじゃない味だ。
二日酔いになるんじゃないかと思っていたが、案外肝臓が頑張ったのだろう。鳥の鳴き声が、聞いたことのないほど澄んだ声をしていてここが都会ではないことを思い知る。
これからどうする、と声をかけるまえに千歳がニコニコしていた。
これは、あんまり俺にとっては良くない、やつだ。
「夏彦、バイク借りるね~」
「は?どこ行くんだよ」
「ちょっと用事できちゃった!すぐ戻るからなんか見てて」
「こんな田舎見るもんなんかねえだろ」
「あの山は滝が綺麗らしいから感想頼むね~」
ご機嫌な千歳は勝手に俺のバイクに乗って颯爽といなくなってしまった。
俺は興味も無い田舎に取り残されて、呆然としたが、千歳が言った滝とやらを見に行って時間を潰すくらいしかこの田舎で時間を潰せそうなことはないだろう。
何もないあぜ道を歩く。
近くに住めそうな家は1つも無い、ただ住んでいるのか分からない木のくすんだ、掘っ立て小屋のような、材木を置いておくだけのような、家のようなものが遠くに見える。
それすらも、ぼうぼうと、のびのび育った草で全容は見えない。
人っ子一人いなかった。
そんな場所でトラクターに乗った老人が、トラクターを止めてわざわざ歩いてきた。
「お前みたいな若者がなんでこんなとこに」
「はあ」
「はやく帰れ」
「帰りたいんですけどね、バイク持ってかれちゃって。」
「・・・呼ばれてるんだ、お前みたいなやつは」
「・・・へんなジジイ」
沈黙が流れる。ただ、このジジイからは敵意は感じない。
ざわっと風が引き寄せるように向こうから山へ引き込むように吹いた。
「とにかく、あの山にはいかんほうがいい、でも、きっと、行くだろうな」
「ははは、そこまで言われると逆に気になるな」
「そうだろうな、これを持って行け」
この村に住んでいるであろう、当たり前のように薄汚れた年配の男性が身体をぐいと近づけ、無理矢理それを手に握らせた。勢いに後ろにのけぞったが、嫌な気はしなかった。
硬くなった手から手渡されたそれは小さな鈴だった。
「鈴にはな、魔除けの意味があるんだ」
「はあ、どうも」
老人の切なそうな、哀れむような顔を見ないふりをした。
老人にもらった鈴をポケットに乱暴に突っ込む。
ばかばかしい、このご時世に迷信じみたことを。
ただでさえ・・・、あきと喧嘩したことが胸をつかえていた。
なんでもっと上手くできなかったのか。
気分転換に来たはずの場所で陰気くさい話を受け入れられるほどできちゃいない。
携帯でもう一度、千歳が言っていた滝が本当にあるのかどうかを検索してみる。
「山はあぶねえとかいって、観光名所にしてるじゃねえか」
そのまま山の遊歩道を歩いて行く。
いつのまにか遊歩道は獣道になり、ただ、申し訳ない程度に紐が柵の役割をはたして、かろうじて道として成り立っているような、道なき道を歩いて行く。
どんどん道は険しくなり、突き出た石の感覚が足下から伝わって歩きづらい。
「ッチ・・・くそ、観光名所にするなら道くらい整えとけよ・・・」
ちいさく呟いた自分の声と、木がざわめく音、鳥の鳴き声だけがすべての音だった。
そこに急に飛び込む、不穏。
おーい、おおーい、中年の男のような声が聞こえる。
聞いたことがある。これは小熊の声だ。昔の人間が山で呼ぶ声に返事をしたら帰れないとかなんとか、バケモンのせいにしていたという。
辛気くさい話だなんて、バカにしたが、世に残る迷信への考えは改めなくてはいけない。
急いで来た道を走る。
走っていいのか?
でもクマに遭遇する前にここから離れなくては。
おーい、おーい、声とザザザという何かがすぐ近くに近づいてくる音がする。
全速力で走っているのに、全然大きな道にでない。こんなにあの遊歩道から離れていたか?
は・・・っ、はあ・・・っ、心臓がまるで分かりやすく警報を鳴らすように、叩くように振動する。
息の仕方も分からなくなるほどに、一度苦しくなった呼吸はなかなか落ち着かず、血を全身に巡らせていた。どこまで走ればいいんだ、どこか、人間のいるところに、と願ったときだった。
急に獣道から道が開けて目の前に人工物の鳥居が見えた。
心臓がまるで最高潮の盛り上がりでもみせているかのように、鼓動する。
耳まで痛いくらいだ。
ただ、その心臓とは裏腹に安堵した。クマに見つからず、人の気配のあるところにたどり着けたから。
・・・面川神社?
横目に鳥居をくぐり抜け、先を急いだ。全然境内にたどり着かない。ひとつ、ふたつ、みっつ。急な斜面、そのうち階段がでてきた。丸太で仕切った斜面の階段は土が抉られているところがいくつもあってこの上りづらさがまるで俺を拒んでいるようだ。
四つ目、それが最後の鳥居だった。
とにかく、人がいるところへと、人なんかいるのか?と思う不安を抱えて境内まで走る。何度か敷き詰められた石に足を取られそうになって焦りとも苛立ちとも分からぬ、心臓はいますぐ爆発したがっている。
「ああ゛ー・・・!」
境内に入ったときだった。急に汗を認識する。どっと溢れた汗が頬を伝って、倒れ込んだ。
もうたぶん、安心だ。知らねえけど。
そのまま呼吸が落ち着くのを待っている。もう一歩も動けない。足がまるで地面に縫い付けられたように重くなる。なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ。ただでさえこんな田舎きたかったわけでもないのに、くそったれ。




