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顔替えの杜  作者: 真水
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真冬を成仏させるのをチャレンジする神職

あきと分かれてから「俺のこれからのあるべき形」を考えた。

この際、俺はどうでもいい。でも俺とともにある、この面達の行方。

悪気がない、ただ、少し、「正しい」形から外れたもの。

ずっと俺が認識する俺の形は、捨てられたものを拾う。

苦しい人間の捨てたいモノを受け入れる。

それだけのものだった。

でも俺は“それだけ”のために人の形を模して、幽霊でも人間でもない、実体あるナニカの存在としてここにいる。

俺はあの時代には要らないものとして捨てられたけど、結局は全部、人間のために、存在するんだ。

皮肉だと思った。

でもそれを生まれた役目と呼べたら、きっとこの一時の幸せも、不遇も、受け入れていけるのだろうと思う。


正直なところ、心の傷は癒えていない。

ずっとあきといたかった。

そんな気持ちが頭を掠める。


でもそんなものは人間の特権で、女でも、ましてや人間では自分には無縁であることを理解していた。

だから別れを告げた。

「愛」なんて分からなかったけれど、化け物なりに模索した「愛」の形で伝えた。

それが化け物が考えた人間らしさの愛情の形として。

自分の最後の人間らしさとして絞り出した。

思い出だけで生きていける。ずっとそうしてきたから。


だからもう最後に思うことは一つだった、俺を消してくれ。

もう生まれて初めての他者への気持ちは、全部使い切った。

でも、ただただ、捨てられた自分の同胞とも思える面たちをおいてはいけない。

そういう、誰かのため、の自分で、死にきれない。

誰かを思う気持ちと同様に、自分自身の「捨てられた一部」を捨てては成仏できない。




そうして、ある日、若い神主が来た。

あきが呼んでくれた人なのだろうか。

あきのことばかり思い出して、あの笑顔をみていたら自分も笑顔になった。

それが最後に見たのはあの泣き顔だったから。

胸が痛んだ。

でも、幸せになってほしいと、初めて思えた他者の幸せ。

正解があるならば教えて欲しい。


そんな考えはおかしかった。いままで、考えたことも無かった。

俺が幸せならそれでいい。だってその方が正しく振る舞える。

だって、まず自分を基準にするのだから。それが一番大切にするべきだった。

だから思った。こんなのは正しくない。

誰かが幸せになるために何かを我慢するのは。

自分の幸せにはほど遠く、それが自分の糧になると思えないから。

そう、最初に学んだ。それは人間に。


でも、そういう利己的な人間にも複数の考えがいた。

きちんと自分のためだけに物事を進める人間。

利己的になったほうが、自分が苦しくないため、と自分を大切に扱うためにそう振る舞う人間。

前者も、後者も否定しない。


きっとあきも、利己的な人間だった。

自分の幸せ、それが当たり前に約束されている。

それを疑わない。

自分の幸せを第一に考えた。

だから両親を捨ててでも俺のもとにきたいといった。

あきは、そういう利己的な前提のうえで、俺を選ぼうとした。

あきにとって、利己的なはずな選択は、俺を選ぶことは、あきにはなんのメリットもない。

それでも選んだ。俺と生きるほうを。

そう、メリットなんかなくても、あきはあきの自分の幸せには俺の幸せも必要だから、俺を選んだんだ。

自分の幸せのビジョンに俺がいる。そういう、利己的な人間なのに、俺が今まで得られなかっただろう、俺の全てを聞いて、俺を幸せにしたいと、利他的とも思える思考で俺を選ぶ。

複雑なその人間らしい選択は化け物の俺が理解するには難しいものだった。


でも学んだ。

そういう、利己的な生き方も人間らしいのだと。

今までこの社に来た人間の、自分を捨てにきた人間達は痛いほど誰かを思う故に、自分の苦しみを耐えるために、自分を捨てにきた。

たくさんの他者を許したいがために、捨てたがる人間の欠片を拾ってきた。

優しい人ほど苦しいこと。理解できない蟠りを捨ててしまおうとすること。

生まれてはじめて愛する人を見つけてぶつかる壁だった。

愛ってどういうことだろう。

でも初めて送り出してもいい人間だった。

自分の幸せを差し置いてでも、幸せになってほしいと、あの笑顔をみたら、言っていけない言葉は言葉を噤んだ。

これが、「人間」だろうと。

一生「人間のあるべき姿」に捕らわれる自分なんだろう。

だってそこに至れなかった存在だから。

その憧れがずっと俺を支配している。



今までに見てきた人間とは違う空気感を纏ってこちらに近づいてきたそれ。

冷たい滝の淵でいつもの様に遊んでいた真冬の目に留まった。

見えた出立ちに過去の神主たちとの思い出が頭を過ぎ去っては消えていった。それはほんの二、三秒の短い時。


美しい神職の姿に身を包んだ彼は静かに滝の前に立つ。

彼の周りの空気が澄んでいく。

そうして、祝詞が厳かにはじまった。


声をかける。

でも何の反応もない。

俺のことは見えていない?

ああ、違うな。

そう思った。

だからその反応のなさをこう解釈した。

俺は人間じゃないから、人間扱いなんてされないのが当たり前なことだから。

だから、無視するんだ。


それでも声をかける。



「ねえ」

「俺、ここにいるよ」

彼は少しも動じない。

目をつぶってずっと祝詞を唱えている。

「ねえ」「ねえ」

・・・ああ。やっぱり。

このひとは俺の声を聞いてくれないんだ。



神主は思った。

俺はまだ未熟だ。ここ、面川神社のいわれは聞いていた。

声が聞こえる。俺は父が営んでいた神主に向いてなかった。

この世のものじゃないものの声なんて聞こえたことがないから。

「ねえ」

聞こえるわけがない。こんな人間のように声を発するわけがない。

必死に祝詞を唱える。騙されない。

こんな誘惑されるのは俺が未熟だからだ。

山では声に返事するな、というのは通説だった。

おーい、呼ぶ声が聞こえたら小熊の声だというように。

先人の言い伝えを含めて血筋とは言え、こういう職業に就いたとき劣等感があった。

俺はずっと。否定される父を信じていた。

俺は父を尊敬していたから。

ずっと、見えない存在を信じていた。

父は誰かを詐くような人間じゃない。父は病気じゃない。

本当に、そういう存在がいるんだ。

でも証明するような力が無い。

俺には見えないから。

父はそんな、世間がいうようなおかしい人間じゃない。

そういう苦悩をずっと抱えてきた。

父の職業を継ごうと思ったのは、そういう世間の目への反抗でもあった。

俺の父はペテン師じゃない。父はいつも俺に誠実で嘘のつきようもなかった。

それを知っているから。


でも俺は父と違う。

俺は父のように「何か」が見えない。それがとても情けなかった。

どうして俺にはなにも備わっていないのだと。

だとして、それが、ここを継がない理由にはならない。

俺だって修行すれば、きっと。

そう思っていたのに。修行とはなんなのだろう。

俺は。その世界を否定しないのに。

でも分からなかった。

見えないからだ。見たかった。見れるなら。分かりたかった。

それでも、なんで、親父の見ている世界が、おなじく門徒に入ったお前には見えるのに、俺には見えない。俺には分からないんだ。


だから。

物の怪は人間の心に忍び込んでこようとする。

聞く耳を持つな。

それは通説だった。それを信じるしかなかった。

山の怪異は狡猾で、人を惑わせる。

三枚のお札、みなが知っている怪異の山姥。

山姥はいい顔をして、うちに連れ込み、そして食うチャンスを伺う。

そういう邪悪だから。

だから物の怪の声に耳を貸してはいけない。


「ねえ、俺の名前、真冬って言うんだよ」


声が聞こえた気がした。

でも聞こえるわけがない。俺にそんな力があるわけない。

山の怪異は、懐に入ってくるのが上手いから。

俺は物の怪の声なんて聞こえたことがないから。

聞こえるわけない。

いま聞こえたなら、俺を取り込もうとする、「普通の人間にも分かるような」悪いものだ。

俺に対話できるような力があるならよかったのに。

でもわからないから、こんな気持ちなんか役に立つかわからない。

「穢れ」「清め」「かしこみ、かしこみ申す」

決まった言葉をいうのが、一番の「救い。」

正しい行い。

祝詞を唱える。

意味は「お前は穢れ」「お前は邪悪」「だから神の力を持って、綺麗にする」

祝詞を止めてはダメだ。「邪悪」が入ってくる。

だって俺は分からないのだから、力がないのだから、そういうものには人一倍気を遣わなくては。


「ねえ」

「どうして聞いてくれないの?」


「どうしてきいてくれないの」

耳に残る。俺には聞こえるわけないのに。

それはきっと、父が浴びてきた言葉であろうと思った。

どうして、聞こえる怪異の声も、聞こえる人間の声も。

さぞ五月蠅かったろう。

おれは聞こえないけれど。

聞こえないのに。

ちゃんとあるべきところにおくるのが

俺の与えられた、責務で・・・っ

俺は迷える存在を幸せな場所に、送る・・・、

そう意識を向けながら目を固く閉じて必死に祝詞を唱えていた。

なにも聞きたくない。この祝詞以外。

俺はちゃんとできる。やり遂げてみせる。

祝詞に縋るのは正解に縋るのと同意語でもあった。


声が止んで恐怖が止んで目を薄く開けると、白衣の美しい人間がいた。

「・・・君も必死なんだね」

それの美しさに一瞬開いた目を固く閉じる。

化け物だ。惑わされてなるものか。

俺は。俺は。

「大丈夫だよ」

なんで化け物が、俺が欲しい言葉を寄越すんだ。

俺は祝詞を止めない。

きっと止めたらこの声に飲まれる。


ずっと話していた声がついに悲しそうな声を出す。

「俺の声、聞いてくれないんだね」

時間がかかって、お腹にその声が刺さる。

気にしてはいけない。

それなのに胸をチクリと刺す。これは山の邪悪な声だから。


でも、ずっと、俺が抱えていた声の気がして、怖くなった。

祝詞は、俺の救い。だからやめなかった。


真冬は言った。

「そう、それが返事なんだね」

それは酷く悲しい声だった。

「穢れ」「障り」祝詞の中で繰り返される言葉に真冬が下を向く。

一生ついて回るもの。一生俺の存在をそう位置づけるもの。

ああ、俺を「邪悪扱い」するもの。

君の声は聞こえる。でも、俺を見ない「敵」へ、俺がお前のその苦しみを拾わなくていいよね。

俺も「穢れで、障りのある、邪悪として」お前に関わる。

それが正解だろう。

お前がそうさせたんだよ。


ジャリと歩みを進めると、重なり合った石が音を鳴らす。

神主は一歩下がる。

ほら、聞こえてるくせに。


「怖い?」

「荒ぶる神等をば、」

身体は意思とは反対に急に震えだす。

怖くない。俺は見えないから。怖いわけが。

冷たい手が顔に触れる。

驚いて、後ずさる。

声は楽しそうな声に変わる。

弱った声に祝詞が効いているのかと思っていた。だから絶望した。

声が、思わず、震える。

でも止めるわけにはいかない。

震える足を無視して、榊を振るう、青臭い匂いが舞った。

もう一度目を開いて目を離せなくなった。

床を這うように滝から黒ずんだ水が広がってくる。

先ほどまで、滝の奥にいた彼がゆっくりと近づいてくる。

声は、諦めずに、祝詞を唱えた。

何度も何度もずっと唱えてきたのだから。

今更何も考えなくても、言葉はまるで吐いた息のように、並んだ。

「やっと、見てくれた」

でももう彼は目の前に迫っていた。

その白い手がこちらに伸びて、顔に触れる。

「あっ、」

彼は、はじめて祝詞を絶やしてしまった。

「大丈夫」

「これからは、ちゃんと「話」していこうね」

頬に真冬の手が覆う。力が頬の骨を引き寄せてグイと力を込めるその力に気持ちよさすら感じる。

でも、次の瞬間、むき出しの粘膜に触れる風を感じる。

目を離していない神主の顔の皮を真冬が全て引き剥がして持っている。

血も流れない。ただ、顔の皮を彼を眺めている。

自分の顔に触れるのが怖い。祝詞を唱える声もいつの間にか忘れてしまった。

「あ、っ・・・、」

「痛くないでしょ?でも身体はいらないよ、もうこっちと話すから」


そうして、身体がぐらりと倒れる。

あんなに触れたくなかった滝に身体が落ちる。


やはり、やつは邪悪だった。

俺の力は及ばなかった。

神主はそこで考えが止まった。

真っ暗でなにも聞こえない奈落へ、冷たい滝の温度だけを感じて。


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