第十四話 最後
正直、怖かった、
こんな訳のわからない場所の未知の世界に入っていくのは。
でもいまは千歳が戻らない方がもっと怖い。
嫉妬されていたなんて思いもしなかった。先ほども言われた自分の鈍感さや千歳への甘えが憎くて恥ずかしくて涙がでた。
でもどうすればよかったんだろう。千歳のために。
ただお面が飾られてる場所に走った。
広い社務所を何度もふすまを開けて進む。どんだけ広いんだよ。
数日いたのだからわかりきってるはずなのに。
もどかしくて、焦る気持ちに押しつぶされそうになる。
もたもたしている間に夏がどうにかなってしまうかもしれない。
異界である社務所はこの出来事が起きる前よりずっと千歳の気持ちに重なるように、広く、複雑になっていた。
おれは夏と千歳がいた場所に帰れるのか。千歳が捨てた面を見つけられるのか。
不安に押しつぶされそうになる。
さっき目の前で真蛇になる前に千歳が捨てたお面が喋る。
近くにきたなら。名前を呼んでよ。待ってる、ずっと。右だよ。もっと、先だよ。まだ遠いよ。遅いよ。早くきてよ。右だよ。ここだよ。
ただそのお面の言葉が、千歳の本心ならと思うと心が痛んだ。
千歳は迎えにきてほしいんだ。本当は俺じゃないかもしれないけど。
言われたほうに走って行く。
1つのお面だけが、いままさに形を変えかけていた、耳が消え入りそうになって、裂けた口から舌がでそうにちろりと赤い舌が見え隠れしていた。
本能的にこれはやばいやつだと感じる。
なんでこんなことになったのか。
思考を巡らせてる間にも思い返す大学での三人でいた思い出は尽きる気配がない。
全部嘘だった?
ごめん、千歳、ごめん、俺バカだから・・・、これが千歳の面である確証はなかった。でもこの面をいち早く千歳に届けなくてはならない気がした。
涙が目頭で溜まっていた。そうだ、まだ泣いている場合ではない。
目頭を拳で勢いよく拭うとあきは面をぎゅっと抱きしめると急いで夏と千歳のもとに走った。
うるさい、きもちわるい、たくさんの感情が頭のなかに入り込んでくる。
脳みそを冷たい水で洗えるなら洗いたい。そういう気持ちが千歳が千歳のまま感じている感情だった。
ありとあらゆる捨てられた、いらないと人間に思われた感情たちが千歳が大切にしているであろう記憶や、意思を塗り替え、実体を持って新しい自分になろうと千歳にはたくさんの感情が千歳の身体を支配しようと渦巻いていた。
千歳は唾液を垂らし吐きながら、すこしずつでも確実に頭がぐちゃぐちゃになるその気持ち悪さを受け入れつつあった。いまはまだ慣れないけれどそれらを受け入れる素質が千歳にはあった。
全部、分かる。要らないと思った。俺がお前らの身体だったら、お前らなんかすぐ捨てる。
現に俺だって捨てた。要らなかったから。捨てたほうが楽だから。不必要だとされたそのものの気持ちなんか考えなかった。
もうやめたい、お兄ちゃんなんて。もうやめたい、みんなに受け入れられるための自分なんて。もうやめたい、どうせ一番になんてなれない。
いつだってみんなの評価はよかった、でも、一番じゃない。誰にとっても。
お父さんとお母さんの愛情は俺より小さい子に移っていく。
しょうがない。保護しなきゃならない存在だから。
学校の先生だって、普通の子よりヤンキーみたいなやんちゃを面倒見るじぶんがすきだ。
迷惑をかけない人間は、なにも目を引く物がないから。お利口だね、お兄ちゃんだからね、の言葉に誤魔化されて、そうするのが正解だと思った。
別にあきが悪いんじゃない。夏が悪いんじゃない。
でもいやだった。あきが俺を信用するのが。おれは夏に愛されるあきが憎たらしかった。
いやだった。夏があきをみる優しい目が。夏の俺への信頼が。
いやだった。邪なのは俺だけのようで。ふたりとの関係すら全部、偽物の自分がつくった世界だと疑う自分が。しね。はやく、もう、全部くれてやってもいい、こんな身体なんか。
殺しちゃいそう。夏のこと。むかつくから。俺のこと構うくせに見ないから。
あきも殺しちゃいたい。俺が愛されないってあいつが生きてるだけで責めてくるから。
でも殺しちゃったら人間に戻れないかもな。一緒にいられなくなっちゃうな。
あきが安堵したお顔をみせた。ちゃんとここに戻ってくることができたことを。
ずっと千歳の情の面が出口への道を喋っていた。
こんなときもあきは千歳の助けがないと、どうしようもなかった自分が悔しかった。
でもそれ以上に、ちゃんと、二人をもう一度見れたことが、千歳の本心に触れた様で、また泣きそうだった。
あきは耳が消えかかった、投げ捨てた面と重ねてを千歳の顔に押し当てた。
いままさに千歳が夏を締め上げてあと一息で殺してしまいそうな所だった。
後ろから抱きつくように面を顔に押し当てる。
肉が盛り上がるように、鼓動をして、皮膚が新しくうまれるように、柔らかい感覚に怯えながらはめた面は千歳の顔に張り付いてなじんで消えた。
身体への締め付けが緩んだとともに千歳は人間の身体に戻っていた。
そうして先ほどまで噛んだり暴れていた千歳が立ち膝のまま動かなくなった。
「・・・ほんと、余計なことばっかして」
千歳が言葉を発したのが分かる。夏彦も安堵した。噛みつかれて首や肩、酸に溶かされたいろんな場所が急に傷み出す。まるで脈をうつように痛みが存在をアピールしている。
押さえつけていたのか、抱きしめていたのかもはや分からないくらい距離が近すぎる。
急に恥ずかしくなって、言い訳のように、お前がおかしかったから、などと言って距離をとろうと腕を伸ばす。
千歳も分かってるよ、と言いかけたとき、あきが千歳に勢いよくそのまま倒れ込んできて夏彦と千歳をも押し倒した。
「ごめん、ごめんねえ、千歳~、おれバカで、ほんと、千歳だいすき、ごめん、あっ、でもおれ嫌いだよね、ごめん~」
「重てえよ」
夏彦と千歳の声が被る。
酷い顔で泣き始めたあきに千歳は煩わしそうに言う。
「別に嫌いじゃないし」
膝に付いた砂を払う。
「ほんと!?」
「・・・死ぬほどうっとうしいだけ~」
「よかった~!」
「よかったってなに、こっちの気持ちも知らないで」
苦笑した千歳をあきはやはり不安そうに見ていた。
千歳がいう。
「・・・あきのことも嫌いになりたくないから、捨てたのに」
あきはあからさまに嬉しそうな照れたような顔をして、千歳に抱きついて、嫌がられていた。
一部始終を傍観していた真冬が残念そうな気配でその様子を黙って見つめていた。
「いいなあ・・・。」
夏の手は酷く赤くなっていたのをみて千歳が申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん、夏・・・」
夏は千歳に強い口調で咎めた。
「最初に何を捨てたんだよ」
夏彦にはずっと分からなかった。千歳が感情を誤魔化す意味も、軽く流してしまうことも、簡単に切り捨てることも。
それが今日の出来事に繋がった。
だからこそ怒ったような声だった。
千歳は言いたくなさそうな顔をして、でも罪悪感から小さく答えた。
「・・・好きな人への気持ち、でも今思えばあきへの嫉妬を捨てればよかった」
「だから!簡単に捨てようとすんなよ」
「ごめん・・・」
「もういいじゃん~千歳がいてくれるんだから!」あきは千歳から離れない。
恋心を捨てたとて、独占欲は消えなかった。複雑に絡み合う感情で作られている心。目に見えない、神のような存在へ願いを向けることへの難しさ。
結局は自身でなんとかするしかなかったのだと思う。少し素直になること、少し不快を伝えること、単純にその部分だけをむしって捨てることではなく。
抱きついているままのあきを先ほどのように拒絶せず、千歳はただそんなことを考えながら黙っていた。




