第十三話 真蛇
そういって面を投げ捨てた千歳をみる真冬は目がキラキラしてまるで美しいものを見るかのようにこの先に期待をしているかのように千歳を凝視していた。
実際にはわからない。そう見えるのは面の角度なのかもしれない。でも、そういう気がした。
少しずつ千歳の姿が変わっていく、ぐにゃぐにゃの人間ざる動きをし始めた千歳に、何者になってしまうのか真冬に問う。
真冬は歓喜のような声色で答えた、真蛇だよ。と。
真蛇?真冬はゆっくりと説明してくれた。
蛇は本来一途な生き物で、遙か古代から知恵を授けてくれる生き物である。でも執着・・・異常ともいえる嫉妬、狡猾さ、を持ち合わせてもいる。
世界によってはアダムとイブを堕落させた生き物でもある。
だからほぼ神様なんだよ、千歳は面と、そういう神様にも魅入られた。
それぐらい千歳が抱える面は美しくて過激で、目を引く面だったんだ。
千歳は例えるなら人魚、いや、人魚よりもずっと恐ろしく醜い半人半蛇のような生き物に変わっていく。頭を抱えて膝をついて、言葉が失われていく。
周りの空気が湿気を帯びてじっとりと重くなっていった。目は千歳の涙なのか蛇特有の湿り気なのか潤んで瑞々しい。
龍とも違う。ばっくりと裂けた口からは唾液が溢れてくる。
そして真冬は言葉を重ねた、あの唾液には触らない方がいい。酸性の毒がある。と。
僕もこの神社を終わらせたいんだ、千歳が暴れて此処がなくなるならそれはそれで良い気さえもする、と、完全にこちらの味方ではない物言いをした。
「なんで・・・!」
あきはその意味がわからず狼狽えた。
真冬の声は期待を持って言った。
いや、そうであって欲しいという気持ちの声色だった。
「・・・あきは軽蔑しないかな、あのね、ここはね、もう、滝の穢れを呪いとして扱っているんだ。だから、それを求める人間がいるかぎり消えないんだよ」
「呪い・・・?」
「あきには、わからないよね」
そうだ、この言葉はついさっきも言われた言葉だ。
悔しくなる。
「あきはそうじゃなくても、出会う人間の半分くらいには呪いたいくらいの人間がいるんだ」
「そういう邪悪を、純粋な恨みが、千歳の気持ちと、通じてしまったんだね。」
「だからって、千歳が、あんな風に・・・!」
あきはいつもの千歳から遠く離れたいまの千歳が恐ろしかった。
先ほどの話だけを聞けば、千歳は俺を恨んでいるにも近い思いだったのを見せつけられたからだ。
それを引き金にして千歳が変わってしまったからだ。
あの優しかった千歳は、俺のことが嫌悪していたうえで三人でいることを選んでいたのだ。
そんなことは信じたくなかった。
いまの千歳はなにかしら面の瘴気に当てられておかしくなっているに違いない。
これは俺の独りよがりではなく、そう感じたのは夏彦すら今の状況を受け入れられていないことからも、みれば明らかだった。
真冬に問う。
千歳はどうしたら戻るのか。
そう考えながらよぎる。
穢れのせいではなく、本当の千歳は、さっきの言葉すべてでそれが正しい姿だったら・・?
そういう考えを今までの思い出を思い出して振り払う。
真冬は言う、
「顔をね、千歳は捨てちゃったから。壊された面は身体を欲しがっているんだ」
言ってる意味がよく分からなくて困惑の表情をしているあきと夏に真冬は困ったような声をだした。
数秒思案して、思い付く限り砕いて選んだ言葉を続ける。
「千歳は面を壊したんだ。面は魂を閉じ込めておくものだったのに。だから当たり前だろう?顔を捨てると言うことは自分の一部を捨てること。千歳が捨てた分、空っぽの場所があるわけだ。そこを身体が欲しい面たちが椅子取り合戦をするのは。」
それからすぐに真冬が千歳に向かって声をかける。
―めでたがりて、うち過ぐすな、それにて過ぐしそ
それは千歳に言ったわけではなさそうだった。
普段では聞き慣れぬ言葉だったからだ。
もしかしたら入り込んだ面にそう伝えたのかもしれない。
その言葉が伝わったのか、一瞬、千歳はこちらを向いて、ぐにゃりと笑った。
口角が裂けるようないろんな顔が混じった千歳じゃない顔で不気味に。
そうして四足獣とも違う、地を這うように低い姿勢でゆっくりとこちらに近づいてくる。
時折、千歳の意識が戻ってくるのか、低いうなり声でのた打つように激しく暴れた。
酷く苦しそうな声、零れる唾液に、自分の手を見て千歳が怯えた目をした。
あきは無意識にまるで捨てられた子犬でも相手にするように両手を広げて千歳に近づこうとするのを夏彦はとっさに止める。
「・・・だって!苦しんでる!」
「あぶねえだろ!何するかわかんねえだろ!」
「千歳が俺に酷いことなんかするわけないじゃん!」
そう叫んだあきの声は震えていて、止めなきゃいけないのに、信じたい気持ちが邪魔して強くでることができない夏彦は唇を噛んだ。
でももうそれは千歳ではなかった。
ぐにゃりとした身体は人間の可動域からはズレていた。
口を開けると、まるでよだれが濃い酸性のように酸っぱくて嫌なにおいがした。
友達のそんな姿をみて冷静でいられるものなどいない。
「どうしたらいいの・・・!!!」
「千歳が捨てた面、どんなものだったんだろうな・・・」
夏彦がそういって、あのときの声を思い出す。どうしてみてくれないの。と。
「あき、お前、千歳がお前を嫌っていたとして、受け入れられるのか」
少し沈黙があった、そうして涙をためたあきが言う。
「おれは嫌われててもいいから!千歳の顔を探してこなくちゃ!」
夏も同じ気持ちだった。
ただ、夏があきへの嫉妬でどうにかなっているのだとしたら、ここは止めるのは自分しかいないと思った。
「・・・俺が千歳を抑えとく。あきは千歳の捨てた面を探してこい。」
頷いてあきが走りだす。
「あき、社務所に面が並んでる場所があったろ、あそこに、たぶん、みんなが千歳の身体に入り込んでるなら、千歳の捨てられた顔は入れずにいるかもしれない!もとが自分の身体なら一番馴染むはずだ、一番あの場所で違和感のある般若を持ってこい!!」
あきが側を離れて、尚更千歳は暴れていた。
「う、ああァ、・・・っ」
獣のように呻いて叫ぶ千歳を力尽くで押さえつける。
垂れる酸の唾液が夏彦の手を溶かし、やけどの様な痛みを与える。
見た目だけが酷く見える切り傷より、やけどのほうがずっと痛くて、痕が残る。
薬すら効かないことを知っている。
はやく冷やせばよかった。でも事情が相まって冷やすのを怠れば浸潤していくそれはいま思えば千歳の苦痛のようでもあった。
夏彦はあの夜にみた面の叫びを思い出していた。
どうしてみてくれないの。今なら分かる。思い出した声を、そんなこと言うわけないと突っぱねた。でもたぶんこいつはずっと、誰かに見て欲しかったのだと。
否定される様なことではない、でも、あきが好きという感情で、自分は随分とあきばかりをみていた気がする。
「ごめんな」
「あああああああいっしょに、しんで・・・し、しね」
こんなふうにではなく、抱きしめることができたならこんな状況は生み出さなかったかもしれない。
「死ぬわけにいかねえだろ、三人でかえろうぜ」
「う。う。ウケるー?うけ、やだ、かえりたくないよ」
「ずるい、ずるいあき、ずるい」
千歳の意識が行ったり来たりする。
夏は気の利いた言葉のひとつも言えない自分。
どうしたらいいんだよ。と頭を抱えた。
千歳がおかしくなる前に言った清姫の話を思い出した。愛した男に裏切られた女が、愛しい僧侶を追いかけて、蛇になる。
最後は、愛しい僧侶を焼き殺す。
なんで清姫なんだ。
なんで清姫に重ねたんだ。
愛しいゆえ、焼き殺したいなら。
俺のこともあきのことも好きなんじゃないのか。
千歳が焼き殺したいのが俺でよいなら焼き殺されても仕方がない。
でも千歳から。
千歳の言葉で、ちゃんと聞いていない。
それだけが、このまま殺される理由にはならない。と夏彦は必死にいまの千歳に抵抗をしていた。
千歳の力が思ったよりも強くて、覆い被さられた拍子に尻餅をつく。
尻にがりっと何かが当たった、それが存在を思い出させる。
ポケットから、取り出した小さな鈴を、千歳に持たせる。
「魔除けの意味があるんだってよ・・・っ」
千歳があからさまに嫌がったが、その手をぐっと握りしめて離させないようにした。
「もってろ、こっちに戻ってこい」
鈴から離れたいが故に暴れたとき一際大きな嫌な音がした。
そのあとすぐに肩が外れてしまったようで腕がダランと力なく垂れる。
夏彦は力が抜けているその手と身体を必死に押さえつけた。
「千歳、お前は千歳だろ、下の名前で呼んだことねえな、な、利春。」
「と、し、」
「利春。」
「う、あ」
名前を呼ばれて、一層に暴れる。
なあ、いまお前の中はどうなっているんだよ。
言葉にできない、見えない。ただ現状に翻弄されて、押さえつけるだけの自分は、少しも千歳に近づけていない気がして、夏彦はもどかしくて、また見せつけられた自分の不甲斐なさを恨んだ。




