第24話 働かざる者食うべからず
ブルーメの丘を越え、生まれて初めて目にした海に胸を躍らせたディーンたちは、その後も海岸へ続く街道を南へ進みながら、途中にあるいくつかの小さな町や村を経由して交易都市トラーニュを目指していた。丘陵地帯を抜けてからは景色も少しずつ変わり始め、街道沿いには背の低い草原だけではなく葡萄畑や麦畑が広がるようになり、時折吹いてくる風にも、あの丘の上で初めて感じた潮の匂いが混じるようになっている。すれ違う荷馬車の数も増え、荷台には魚を詰めた木箱や色鮮やかな布、硝子細工、酒樽などが積まれており、トラーニュという巨大な交易都市へ近づいていることを、旅慣れていないディーンですら肌で感じられるようになっていた。
道中で立ち寄った宿の主人から聞いた話では、順調に進めばあと数日。それだけ歩けば、ついに目的地であるトラーニュへ到着する。
本来ならば期待に胸を膨らませ、これまで以上に足取りが軽くなっていてもおかしくない。
しかし現在。
旅を始めて以来、最大と言っても過言ではない深刻な危機が、四人を襲っていた。
「…………」
「…………」
「…………」
街道から少し外れた木陰。
そこに敷かれた一枚の布の上で、ディーン、ガルム、リューマという三人の男が、なぜか仲良く正座していた。
身長百七十センチほどのディーンならまだしも、二メートルを大きく超えるガルムが膝を綺麗に揃えて正座している光景は、何とも言えない圧迫感がある。一方のリューマはどこか慣れているのか、妙に姿勢だけは美しかった。
その三人の前には、アリアが立っていた。
笑っていない。
普段は穏やかで、困っている人間を見ると放っておけず、ディーンに多少無茶なことをされても苦笑しながら許してしまうアリアが、今は腕を組んで三人を睨んでいる。
その足元には、小さな革袋。
中身は旅の路銀である。
アリアは袋を逆さまにした。
チャリン。
銀貨が一枚。
続いて銅貨が数枚。
以上だった。
「……説明してください」
静かな声だった。
しかし、その声を聞いたディーンの背筋が僅かに伸びる。
「いや、アリア。これには深い事情がだな……」
「ディーン」
「はい」
「昨日の夕食、何人前でした?」
「……10人前ぐらい?」
「正確には15人前です」
「よく覚えてんな……」
「その前の日は?」
「7人前……ぐらいだったような」
「12人前です」
「細かいな!?」
「ディーン?」
「はい。すいません」
しゅん、とディーンが小さくなる。
次にアリアの碧眼がゆっくりと横へ動いた。
「ガルムさん」
「……何だ」
「昨日の夕食は?」
「5人前ほどだ」
「10人前です」
「そうだったか」
「その前の日は?」
「覚えていない」
「14人前です!」
「……はい」
ガルムほどの巨体が、アリアの一言でほんの少し縮んで見えた。
ディーンが横目でガルムを見る。
「お前も大概食ってんな」
「お前に言われたくない」
「二人とも!」
「はい」
「すまん」
二人同時に黙る。
そして。
最後にアリアが向いたのはリューマだった。
「リューマさん」
「いやぁ、アリアちゃん。今日もいい天気だねぇ」
「リューマさん?」
「はい」
「昨日、宿の酒場で何杯飲みました?」
「そんな昔のこと覚えてないなぁ」
「昨日です!」
「酒ってのは杯数を数えながら飲むもんじゃないよ?」
「銀貨二枚分飲んだのは覚えてますか?」
「……そんなに?」
「飲みました!」
「オッサン、そんな飲んだのかよ」
ディーンが呆れたように言う。
「青年に言われたくないよ! 君の食費だって似たようなもんじゃん!」
「俺のは生きるために必要なんだよ!」
「酒だってオッサンが生きるためには必要なの!」
「一緒にすんな!」
「二人とも!」
「はい!」
二人は再び姿勢を正した。
ガルムはその横で口を挟まず、完全に嵐が過ぎ去るのを待つ構えに入っている。
アリアは深く息を吸った。
「いいですか? 私たちはあと数日でトラーニュなんです。宿にも泊まらないといけません。食料も必要です。場合によっては船に乗ることだってあるかもしれません。それなのに!」
革袋を持ち上げる。
中で銅貨が寂しく鳴った。
「これしか残ってないんです!」
「……野宿ならタダだぞ?」
ディーンが恐る恐る提案する。
「食事は?」
「狩る」
「町の中では?」
「……我慢する?」
「本当にできます?」
「…………」
ディーンは視線を逸らした。
「出来ないんですね?」
「善処する」
「出来ない人の言い方です!」
アリアは額を押さえる。
「ガルムさんもですよ。食べるなとは言いません。体が大きいですし、戦うために必要なのも分かります。でも毎回毎回、お店の人が『本当にまだ食べるんですか?』って聞いてくるほど食べなくてもいいじゃないですか!」
「すまん」
次にリューマへ指を向ける。
「そしてリューマさんはお酒を減らしてください!」
「えぇ……それはちょっと……」
「減らしてください!」
「……はい」
完全敗北だった。
街道脇の木陰で、屈強な男三人が十六歳の少女に怒られ、揃って小さくなっている。たまたま街道を通りかかった行商人がその光景を見て不思議そうな顔をしたが、関わってはいけないと判断したのか、何も言わずに荷馬車を走らせていった。
やがてアリアは腕を組み直し、結論を告げた。
「というわけで、今日は先へ進みません」
「え?」
ディーンが顔を上げる。
「近くの町で働いて、路銀を稼ぎます」
「働く?」
「はい」
「俺が?」
「はい」
ディーンは露骨に嫌そうな顔をした。
「修行じゃダメか?」
「お金になりません」
「魔物倒すとか」
「都合よく討伐依頼があるとは限りません」
「じゃあ俺は食料調達を……」
「働きます」
「……はい」
ガルムも眉を寄せる。
「俺もか?」
「当然です」
「傭兵の仕事ならともかく、普通の仕事はあまり経験がない」
「今日経験してください」
「……承知した」
そしてリューマは立ち上がろうとしていた。
「じゃ、オッサンはちょっと用事が」
「座ってください」
「はい」
再び正座する。
「働かざる者食うべからずです!」
アリアの宣言が、青空へ高々と響いた。
◇
幸い、街道を一時間ほど進んだ場所にそれなりの規模の町があった。海岸地方と内陸を結ぶ街道上に作られた中継地点らしく、人口は数千人ほど。石と木を組み合わせた二階建ての家が通り沿いに並び、中央広場には市場が開かれている。農村から運ばれてきた野菜や果物、海側から届いた干物、布地、陶器など様々な品物が露店に並び、荷車を引く商人と旅人、仕事を求める日雇い労働者が絶えず行き交っていた。
「それじゃあ夕方、ここに集合ね」
広場の時計塔の下で、アリアが念を押す。
「誰が一番稼げるか勝負だな」
ディーンが少しやる気を取り戻したように拳を握った。
「別に勝負じゃないよ?」
「勝負にした方が燃えるだろ」
「まぁ、ちゃんと働いてくれるなら何でもいいけど……」
ガルムは周囲を見回す。
「俺は力仕事を探す」
「オッサンは楽して儲かる仕事探してくるわ」
リューマは鼻歌混じりに言う
「その言い方すっげぇ不安なんだけど」
ディーンはそう言ってリューマを疑う
「青年、働く上で一番大事なのは効率だよ」
「真っ当に働けよ?」
「失礼な」
そうして四人はそれぞれ町へ散っていった。
最初に仕事を見つけたのはアリアだった。
町の診療所を訪ねてみると、ちょうど季節の変わり目による体調不良者と建築現場で負傷した労働者が重なり、人手不足になっていた。治療魔法が使えることを伝えると、年配の医師は目を輝かせて彼女を迎え入れた。
「この包帯を交換してくれるかい?」
「はい! この方ですね?」
「そうそう。傷自体は浅いんだが、汚れが入らないよう丁寧にな」
「分かりました」
アリアは患者へ優しく声を掛けながら古い包帯を外し、患部を洗浄した。治療魔法を使えばすぐ治せる程度の傷でも、全てを魔法で治していては本人の魔力が持たない。そのため軽傷は通常の治療を施し、骨折や深い傷だけを魔法で補助していく。
「すごいねぇ、お嬢ちゃん。手際がいいじゃないか」
「以前教会でお手伝いしていたので、こういうことには慣れてるんです」
「そりゃ助かるよ。最近の若い子は血を見るだけで倒れる子もいるからねぇ」
「私も最初は怖かったですよ。でも怪我してる人の方がもっと怖いと思うので」
柔らかく笑うアリアに、医師も感心したように頷いた。
一方、ガルムが向かったのは町の外れにある建築現場だった。倉庫を増築している最中らしく、多くの人夫が木材や石材を運んでいる。
「仕事を探している」
現場監督へ声を掛けると、男はガルムを下から上まで見上げた。
「……兄ちゃん、力仕事はできるか?」
「あぁ」
「なら、あそこにある石材を向こうまで――」
「これか?」
ガルムは人間なら四人がかりで運ぶ巨大な石材を、片腕で軽々と持ち上げた。
「何処へ運べばいい?」
「…………あっち」
「分かった」
それから現場の効率は異常なほど上がった。
「お、おい! そっちの丸太も頼めるか!?」
「分かった」
「こ、この梁も!」
「任せろ」
「誰かあの兄ちゃん止めろ! 仕事がなくなるぞ!」
ガルム一人が、人夫十人分どころではない働きをしていた。
そしてリューマ。
「さぁさぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 今日ここで買わなきゃ人生の半分は損するよ!」
中央市場の一角。
なぜか一時間もしないうちに、露店商人の前で叩き売りを始めていた。
「そこの旦那! 奥さんに何か買って帰らなくていいの? 昨日帰りが遅くて怒られた顔してるぜ?」
「な、何で分かった!?」
「顔に書いてあるよ! だったらこの髪飾りだ! 通常銅貨十二枚のところ、今なら十枚!」
「買った!」
「毎度あり!」
次の瞬間、別の女性客へ向き直る。
「そこの美しいお姉さん、この布どう? 色が絶対似合うよ」
「あら、本当?」
「本当本当。俺は嘘つかない」
「さっき値段で嘘ついたでしょ?」
露店の主人が小声で突っ込む。
「商売は雰囲気よ、旦那」
口と笑顔だけで客を次々と引き込み、気がつけば店の前には人だかりが出来ていた。
問題は最後の一人。
「…………」
ディーンは町の広場を歩き回っていた。
最初に訪ねたのは食堂だった。
「料理経験は?」
「ない」
「皿洗いは?」
「やったことない」
「接客は?」
「何すりゃいいんだ?」
「……次の人」
不採用。
次は鍛冶屋。
「鍛冶経験は?」
「ない」
「金属加工は?」
「ない」
「じゃあ何が出来る?」
「刀なら振れる」
「帰れ」
不採用。
八百屋では。
「野菜の種類分かる?」
「食えるか食えないかぐらいなら」
「帰ってくれ」
不採用。
裁縫店。
「針は使える?」
「投げればそこそこ当たると思う」
「そういう使い方じゃないよ」
不採用。
荷運びなら出来ると思って向かった倉庫では、すでにガルムが仕事を根こそぎ片付けていた。
「……何で普通に働くのって、こんな難しいんだ?」
戦闘なら魔物が何体いようと迷わない男が、町の片隅で本気で頭を抱えていた。
◇
夕方。
空が橙色に染まり始めた頃、四人は朝に約束した時計塔の下へ集まった。
「それじゃあ成果発表しよう!」
アリアが嬉しそうに革袋を取り出す。
「私は診療所のお手伝いで、銀貨一枚と銅貨八枚いただきました!」
「へぇ、結構稼いだな」
ディーンが感心する。
「ガルムさんは?」
「銀貨二枚だ」
「すごい!」
「予定していた仕事を今日一日でほぼ終わらせたらしい。追加で払ってくれた」
「お前何したんだよ……」
ガルムは何でもないように答えた。
「石と木を運んだだけだ」
次にリューマが得意げに懐から革袋を出した。
「はい、オッサン銀貨四枚と銅貨十二枚」
「えぇ!?」
アリアが驚く。
「何でそんなに!?」
「売上の歩合を貰ったの。今日だけであの店の普段の三日分売ったらしいよ」
「オッサン、戦うより商人向いてんじゃねぇか?」
「失礼だなぁ。オッサン何でも出来る万能型よ?」
リューマが胸を張る。
そして。
三人の視線が、最後にディーンへ集まった。
「…………」
ディーンは目を逸らした。
「ディーン?」
「……おう」
「いくら稼いだの?」
「…………」
「ディーン?」
「……ゼロ」
沈黙。
「ゼロ?」
ガルムが確認する。
「ゼロ」
「一日中?」
「一日中」
リューマが肩を震わせ始める。
「青年……ひょっとして普通の仕事、何にも出来ないの?」
「うるせぇ! 仕方ないだろ! 里じゃ鍛錬か狩りしかしてなかったんだよ! 料理だって焼けば食えるし、壊れたもんは大抵自分で適当に直してたし、客なんか来ねぇから接客なんて知らねぇ!」
「すごいな。見事なまでの戦闘特化だ」
ガルムが本気で感心する。
「褒めてねぇだろそれ!」
「まぁまぁ」
アリアが困ったように笑いながらディーンの横へ立った。
「仕方ないよ。初めてなんだもん。今日は向いてる仕事が見つからなかっただけだよ。明日また探そう?」
「アリア……」
「ディーンならすぐ出来る仕事見つかるって。力もあるし、動くのも早いんだから」
「……お前だけだな優しいの」
「いやぁ、アリアちゃん」
リューマが妙に遠い目をした。
「将来苦労しそうだねぇ」
「え?」
「こんな戦うしか能のない青年の面倒をずっと見てたら大変よ?」
「誰が戦うしか能がねぇだ!」
ディーンが即座に噛みつく。
「事実じゃん。今日の稼ぎゼロ」
「ぐっ……!」
「ガルム君ですら働けたのに」
「『ですら』とはどういう意味だ」
ガルムは即座に反応した
「でも、本当にディーンが何も出来ないなんてことはないですよ!」
アリアが少し頬を膨らませながらリューマへ反論する。
「ディーンは料理は出来なくても食材は獲ってこられるし、危ない時はいつも助けてくれるし、それに……えっと……」
「ほら、生活能力の話になると急に出てこない」
「うっ……」
アリアまで言葉に詰まる。
「アリアまで詰まるなよ!」
「ご、ごめんね。でも絶対何かあるから!」
「くそ……」
ディーンは悔しそうに拳を握った。
「分かった。明日は絶対稼ぐ。こいつらより稼いでやる!」
「俺も含まれているのか?」
「当然だ!」
「オッサン銀貨四枚よ?」
「超えてやる!」
そんな話をしていた時だった。
広場の端で、数人の町人が何やら話している声が聞こえてきた。
「また出たらしいぞ、北の林に」
「あの妙な魔物か?」
「あぁ。家畜が何頭もやられてるって話だ」
ディーンの耳がぴくりと動く。
「魔物?」
彼は町人たちの方へ歩いていった。
「なぁ、その話詳しく聞かせてくれないか?」
「ん? 兄ちゃん旅人か?」
「あぁ」
「最近、町の北にある林で見たことのない魔物が出るんだよ。猟師が何人か追い払おうとしたんだが、妙に素早くてな。それに普通の獣とは違うらしい」
「倒したら金になるのか?」
質問が直球だった。
「え?」
「賞金だよ、賞金」
「ま、まぁ町が討伐報酬を出してるぞ。確か銀貨20枚だったか」
ディーンの目が光った。
「銀貨20枚……」
ゆっくりと振り返る。
その顔には、今日一日仕事に断られ続けていた男とは思えないほどの自信が戻っていた。
「聞いたかオッサン」
「嫌な予感するなぁ」
「ガルム」
「何だ」
「明日、俺は銀貨20枚稼ぐ」
「……まさか」
アリアも察した。
「ディーン、もしかして」
「あぁ」
ディーンは刀の柄を軽く叩き、ニヤリと笑った。
「俺には俺向きの仕事があるじゃねぇか」
「やっぱりそっち!?」
「魔物を倒して金が貰える。最高だろ!」
「結局、戦う仕事しか出来てないじゃん」
リューマの一言が刺さる。
「うるせぇ! 金になりゃ何でもいいだろ!」
夕暮れの広場に、ディーンの声が高々と響いた。
路銀が尽きかけたことから始まった一日の労働。
その結果、三人はそれぞれ意外な適性を見せ。
一人だけ、絶望的な生活能力を露呈した。
そして翌日。
どうしても働いて金を稼ぎたい男の、少々物騒な仕事が始まろうとしていた。
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第24話 了




