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万象の旅物語  作者: 申仁
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第21話  蒼穹の星



 耳をつんざく緊急警報が、鉱山と鍛冶の町シュミートの空気を切り裂いていた。つい先ほどまで町中に満ちていた金槌の音や炉の炎が爆ぜる音は途絶え、代わりに聞こえてくるのは避難を呼びかける放送と、石畳の上を慌ただしく駆けていく住民たちの足音だった。工房の扉は次々と閉ざされ、幼い子どもの姿に見えるドワーフたちが荷物を抱えて避難区画へ急いでいる。年老いた者を背負う者、怯えて泣く子どもの手を引く者、鍛冶道具を置いて家族の名を叫ぶ者。その光景には、平穏な職人の町が一瞬で戦場へ変わってしまったことへの困惑と恐怖が色濃く滲んでいた。


「こいつは、ただ事じゃなさそうだな」


 ディーンは腰に佩いたばかりの刀【瑠璃椿姫】へ手を添え、避難していく人々とは逆の方向へ駆け出した。その横を二振りの大剣を背負ったガルムが走り、少し遅れてアリアも二丁の銃を抜きながら続く。三人が大通りへ飛び出すと、そこでは武装したドワーフたちが城門へ向かって集まり始めていた。普段は槌や火箸を握っている職人たちも、今は自らが鍛えた斧や剣、槍、盾を手にしている。町全体が巨大な炉となり、その中で戦意という名の火が次々と灯されていくようだった。


「状況を知っている奴を探すぞ。これだけの警報なら、町の代表がどこかで指揮を執っているはずだ」


 ガルムの言葉に従い、三人は人の流れを縫うようにして町の中央広場へ向かった。そこでは大きな作戦台を囲み、数人のドワーフが怒鳴り合うように情報を交換していた。中央に立っているのは、銀色の鎧を身にまとった壮年のドワーフだった。姿こそ十歳ほどの少年に見えるが、額に刻まれた深い皺と白く長い髭が、その人物が相当な年月を生きてきたことを物語っている。


「町の代表はアンタか?」


 ディーンが尋ねると、壮年のドワーフは険しい目を向けたが、すぐに三人を見回して口を開いた。


「外から来た連中か。ちょうどいい、戦えるなら手を貸してもらうぞ」


「あぁ。何が起きている」


 ガルムが低く問うと、町の代表は作戦台の上に広げられた地図を指差した。シュミートの東に広がる荒野。その先から、赤い印が町へ向かって押し寄せている。


「【魔物の大行進(パレード)】……だ」


 その言葉を聞いた周囲のドワーフたちが、重苦しく息を呑んだ。


「魔物の大行進(パレード)?」


 アリアが聞き返すと、町の代表は唇を噛み締めた。


「異なる種類の魔物が、一つの巨大な群れとなって押し寄せる災害だ。普段なら縄張り争いをする魔物どもが、何かに追われるように同じ方角へ進み続ける。進路上にある町も村も、奴らにとってはただの障害物でしかない」


「数は?」


 ディーンの問いに、町の代表は一瞬答えることを躊躇した。やがて覚悟を決めるように目を閉じ、低い声で告げる。


「確認できただけで、およそ二千だ」


 広場の空気が凍りついた。


「二千……」


 アリアの声が掠れる。町に集まっている戦士の数を見れば、その絶望的な差は誰にでも分かる。武器を取れるドワーフは決して少なくない。だが今すぐ戦える者となれば、門前に集まりつつある百五十人ほどが限界だった。二千対百五十。単純な数だけでも十三倍を超える。


「町の外へ避難させることはできないのか?」


 ガルムが問う。


「間に合わん。すでに東の鉱道も北の街道も、魔物の先遣隊に塞がれている。西は断崖、南は山脈だ。ここで迎え撃つしかない」


 町の代表の声には、恐怖と責任が混ざっていた。逃げられない住民を守るため、自分たちは圧倒的な数の魔物と戦わなければならない。その現実を前に、周囲のドワーフたちは次第に口数を失っていく。どれほど頑丈な城壁があろうとも、二千の魔物に取り囲まれればいつかは破られる。門を閉ざして耐え続けたところで、援軍が来る保証もない。


「百五十人で二千を相手にするのか……」


「いくら俺たちでも無理だろ」


「家族だけでも鉱山の奥へ逃がせねぇか?」


 不安が伝染していく。先ほどまで勇ましく武器を握っていた者たちの顔から、少しずつ血の気が引いていった。戦う前から心が折れかけている。ディーンはそんな彼らを見回したあと、町の代表が持っていた拡声用の魔道具を無造作に取り上げた。


「お、おい。何をする気だ?」


「ちょっと借りるぞ」


 ディーンは広場の中央に置かれた鉄箱の上へ飛び乗った。突然現れた人間の青年に、集まっていたドワーフたちの視線が向けられる。


『聞け、シュミートの連中!』


 魔道具を通したディーンの声が、広場から町中へ響き渡った。


『敵は二千。こっちは百五十。どう考えても向こうが上だ。怖いか? 当たり前だ。逃げたいか? それも普通だ』


 ざわめきが広がる。


『でもな――逃げた先に何がある? 家族は助かるのか? 町は残るのか? 全部踏み潰されて終わりだろうが』


 言葉が鋭く突き刺さる。


『お前らは何だ? ただの職人か? 違うだろ。鉄を叩いて武器を作るだけの連中じゃねぇ。その武器を握って戦える連中だろうが』


 俯いていたドワーフたちの視線が少しずつ上がる。


『その手に持ってるもんは何だ? 飾りか? 売り物か? 違うだろ。自分で打った武器だろうが。だったら証明してみろよ。それが本物だってな』


 空気が変わる。


『数が多い? だから何だ。ビビって突っ立ってりゃ、その数に飲み込まれて終わりだ。だったら前に出て、一体でも多くぶっ倒せ。死ぬ気でやれ。どうせ逃げても死ぬなら、戦って死んだ方がマシだろうが!』


 誰かが歯を食いしばる音が聞こえた。


『一人で十三体だ。たったそれだけだ。できねぇ奴は横の奴と組め。二人で二十六体だ。三人なら三十九体だ。やれるだろ? やるしかねぇだろうが!』


「……やってやるよ」


 小さな声が漏れる。


『ここで踏ん張れねぇ奴に、鍛冶師なんて名乗る資格ねぇぞ。自分の作った武器に顔向けできるか? 守るもんがあるなら、立て。武器を握れ。前に出ろ』


 沈黙が一瞬だけ訪れた。


 そして――


「上等だ、やってやる!」


「誰が逃げるかよ!」


「十三体? 足りねぇな!」


 怒号が爆発するように広がった。恐怖は消えていない。それでも、それを押し潰すだけの意地と怒りが燃え上がっていた。武器を握る手に再び力が宿り、戦士たちの目に光が戻る。


 町の代表はしばらくディーンを見つめたあと、静かに頭を下げた。


「……感謝する」


「礼は全部終わってからでいい。それより、さっさと配置を決めようぜ」


 それから間もなく、東の城門が開かれた。

 鉄の城壁の外には、広大な岩石地帯が広がっている。その先、地平線の向こうから土煙が立ち上っていた。最初は風で舞い上がった砂のように見えたが、時間が経つにつれて大地を埋め尽くす無数の影が姿を現す。ゴブリン、オーク、コボルト、牙の長い狼型魔物、巨大な甲殻を持つ虫型魔物。種類も大きさも異なる魔物たちが、互いを押し退けながらシュミートへ向かって押し寄せていた。その足音は地鳴りとなり、鉄の城壁さえ微かに震わせる。


 百五十人のドワーフ戦士たちは、門から少し離れた場所に三列の陣形を組んだ。最前列は大盾と槍。二列目は斧や剣を持つ近接部隊。最後列には弩や魔導式の火器を構えた射撃部隊が並ぶ。小柄な姿ばかりだが、その装備には一切の妥協がない。盾は分厚く、刃は磨き抜かれ、鎧には幾重もの防御術式が刻み込まれていた。


「来るぞ!」


 町の代表の号令と同時に、後列から矢と魔弾が放たれた。黒い雨のような斉射が先頭の魔物へ降り注ぎ、ゴブリンやコボルトが次々と転倒する。だが後続は止まらない。倒れた仲間を踏み越え、波のように迫ってくる。


「盾、構えろ!」


 最前列のドワーフたちが一斉に大盾を地面へ固定した。直後、魔物の群れが衝突する。鉄と肉がぶつかる轟音が響き、衝撃で岩石が砕けた。しかしドワーフたちは退かなかった。人間の数十倍ともいわれる膂力で盾を支え、押し寄せる魔物を真正面から受け止める。


「今だ、押し返せ!」


 盾が一斉に前へ突き出され、先頭の魔物たちが宙へ舞った。その隙間から槍が突き出され、喉や腹を貫く。二列目の戦士たちも飛び出し、斧でオークの腕を断ち、剣で狼型魔物の首を刎ねていった。彼らの力と一流の装備が組み合わさった戦いは苛烈で、魔物の数が多いにもかかわらず、戦線は簡単には崩れなかった。


 その中でも、ガルムの勢いは突出していた。


「どけぇぇぇ!!」


 二振りの大剣が左右から振るわれる。右の刃が三体のオークを鎧ごと両断し、左の刃が五体のゴブリンをまとめて吹き飛ばす。大剣はあまりにも巨大で、一振りするたびに周囲の空気が唸り、衝撃だけで小型魔物の体勢が崩れた。ガルムは止まらない。踏み込むたびに地面が陥没し、その巨体そのものが一頭の突撃竜のように魔物の群れへ食い込んでいく。


「さすが戦龍だ!」


「俺たちも負けるな!」


 ガルムの背中を見たドワーフたちの士気がさらに高まる。


 アリアは戦線の少し後方を駆けながら、二丁の銃で魔物を撃ち抜いていた。右の銃で槍を振り上げたゴブリンの眉間を射抜き、左の銃でドワーフへ飛びかかった狼型魔物の目を撃ち抜く。左右で異なる標的を狙いながらも弾道に迷いはなく、銃声が鳴るたびに確実に一体ずつ倒れていく。


「右側、来ます!」


 アリアの声に反応したドワーフが盾を上げる。その盾へ巨大な牙が突き刺さった瞬間、アリアの銃弾が魔物の耳から脳を貫いた。


「助かった!」


「まだ次が来ます!」


 だが彼女の役目は攻撃だけではない。肩を裂かれた戦士、脚を噛まれた者、盾ごと吹き飛ばされて肋骨を折った者。傷ついたドワーフを見つけるたびに駆け寄り、淡い光を傷口へ注いでいく。


「動かないでください。すぐに治します!」


「嬢ちゃん、後ろ!」


 治療中のアリアへオークの斧が振り下ろされる。彼女は振り向きざまに銃口を上へ向け、斧を握る手首を撃ち抜いた。武器を落としたオークの胸へ、近くにいたドワーフが槍を突き刺す。


「治療しながら戦えるのかよ……!」


「まだ驚いてる場合じゃありません! 次の人を!」


 アリアの回復によって、本来なら戦線を離れるはずだった者たちが次々と復帰していく。彼女の周囲だけ、倒れかけた戦士たちが再び立ち上がる。まるで消えかけた火を一つずつ灯し直しているようだった。


 そして戦場の中央では、青紫の軌跡が魔物の群れを縫っていた。


 ディーンが、新たな刀【瑠璃椿姫】を抜いていた。


「軽い……いや、違うな」


 迫ってきたコボルトの斧を半歩で躱し、擦れ違いざまに首を斬る。返す刀で背後の狼型魔物の前脚を断ち、倒れたところへ柄頭を叩き込んで頭蓋を砕いた。さらに横から迫るゴブリンの棍棒を【流水】で受け流し、その勢いを隣のオークへぶつけると、体勢を崩した二体を一度の横薙ぎでまとめて斬り捨てる。


 以前の剣でも、ディーンの動きは速かった。


 だが今は、違う。


 瑠璃椿姫は、ディーンが力を込めるより先に斬りたい場所へ滑り込む。刃筋を強引に作る必要もなく、刀が自ら最も抵抗の少ない道を教えているかのようだった。剣を振るうために必要だった僅かな力みが消え、その分だけ次の動作へ移るのが速くなる。


「【家伝体術・瞬】」


 姿が掻き消える。


 次の瞬間、十数体の魔物の間を青紫の光が走った。ディーンが刀を鞘へ納めるより早く、魔物たちの体から血が噴き出す。だが彼は立ち止まらない。前方から突進してきた巨大な猪型魔物の牙を【流水】で外側へ流し、その頭部へ足を掛けて跳躍すると、空中で体を捻りながら首の付け根へ瑠璃椿姫を滑らせる。着地と同時に背後から飛びかかったコボルトへ後ろ蹴りを叩き込み、吹き飛んだ相手を別の魔物へ衝突させた。


「刀が変わっただけで、ここまで……」


 少し離れた場所で、ガルムが目を見張る。


 以前のディーンは、身体能力と技術で武器の不足を補っていた。剣が耐えられるよう無意識に力を抑え、刃が欠けない角度を選びながら戦っていたのだ。だが瑠璃椿姫は、その制約を必要としない。ディーンが動けば動くほど、刀と体の間にあった僅かなずれが消えていく。


「ディーン、どんどん速くなってる……」


 アリアも治療の合間に、その姿を目で追っていた。


 刀を振っているというより、刀を含めた全身が一つの生き物のように動いている。足で地面を蹴る力が腰を通り、肩から肘、手首、そして刃の先まで途切れることなく流れていく。余計な踏み込みも、過剰な振りかぶりもない。戦いの最中にもかかわらず、動きは少しずつ研ぎ澄まされ続けていた。


「いい刀じゃねぇか…まるで体の一部みてぇだ」


 ディーンは楽しげに笑いながら、魔物の槍を刃の側面で滑らせる。槍の穂先が脇を抜けた瞬間、その柄を左手で掴んで引き寄せ、近づいてきた魔物の顔面へ膝蹴りを叩き込んだ。鼻骨を砕いた相手を放り捨てると、【無歩】で群れの認識から外れ、次の瞬間には十メートル離れた場所で三体のオークを斬り伏せている。


 戦況は、徐々にシュミート側へ傾き始めていた。


 だが、その時。


 ドワーフたちの陣形の中央で、巨大な爆発が起きた。


 轟音と共に炎と土砂が巻き上がり、十数人のドワーフが吹き飛ばされる。盾が砕け、槍が宙を舞い、戦線に大きな穴が開いた。


「何だ!?」


 土煙の中から現れたのは、これまでの魔物とは明らかに異なる巨体だった。身長は八メートルを超え、岩石を無理やり人の形へ固めたような外殻を持っている。両腕は異様に太く、肩からは赤黒い結晶が突き出していた。口の奥には炉のような炎が揺らめき、息を吐くたびに熱風が周囲を焦がしていく。


「見たことがねぇ……!」


「こんな魔物、鉱山にもいなかったぞ!」


 ドワーフたちが恐怖に足を止める。


 巨大な魔物は両腕を地面へ叩きつけた。衝撃が波のように広がり、近くにいた戦士たちが盾ごと弾き飛ばされる。続けて口を大きく開くと、内部に赤い光が集まり始めた。


「避けろ! また来るぞ!」


 だが、負傷者を抱えたドワーフたちは動けない。


 魔物の口から、灼熱の塊が放たれようとした。


 その瞬間、青紫の閃光が戦場を横切った。


「【家伝体術・瞬】」


 ディーンが巨大な魔物とドワーフたちの間へ現れる。灼熱の塊が放たれる直前、彼は地面を蹴り、魔物の胸元へ跳び上がった。


「そこ、がら空きだぞ」


 瑠璃椿姫を両手で握る。


 全身の力を一つに繋ぎ、刃へ通す。


「【家伝体術・壊し】」


 青紫の一閃。


 轟音さえ、遅れて聞こえた。


 八メートルを超える魔物の体が、頭頂から股下まで一直線に分かれる。岩の外殻も、内部の赤い結晶も、燃え盛る器官も、何一つ刃を止めることはできなかった。左右へ分かれた巨体が地面へ倒れ、凄まじい振動と土煙を巻き起こす。


 恐怖で動けなかったドワーフたちは、言葉を失っていた。


「怪我人を下げろ。まだ終わってねぇぞ」


 ディーンは振り返りもせずに告げると、そのまま次の魔物へ向かって駆け出した。瑠璃椿姫が翻るたびに青紫の花弁のような光が散り、その後には斬り伏せられた魔物だけが残っていく。


「……あの小僧、本当に人間か?」


「さぁな。だが、味方なら何でもいい!」


 ドワーフたちは再び武器を握り直した。


 戦いは、そこからさらに数時間続いた。


 ガルムが前線を切り開き、ディーンが崩れかけた場所へ駆けつけて敵を斬り崩し、アリアが負傷者を治療しながら隙を狙う魔物を撃ち抜く。ドワーフたちも互いに声を掛け合い、盾が壊れれば隣の者が前へ出て、武器を失えば倒れた仲間の武器を拾った。誰か一人の力で勝った戦いではない。町を守るという一つの意志が、百五十人と三人を巨大な一つの刃へ変えていた。


 やがて最後の魔物がガルムの大剣に叩き潰され、戦場に静寂が訪れた。


 二千体。


 押し寄せてきた魔物は、一体残らず地に伏していた。


「……終わった、のか?」


 一人のドワーフが呟く。


 誰もすぐには答えられなかった。辺り一面に魔物の死骸が積み重なり、岩石地帯は血と土で黒く染まっている。武器を杖代わりにして立つ者、地面へ座り込む者、息を整えることすらできず仰向けに倒れる者。勝利したという実感よりも先に、極限まで酷使した体が悲鳴を上げていた。


「はぁ……さすがに疲れたな」


 ディーンは瑠璃椿姫についた血を振り払い、鞘へ納める。呼吸は荒く、服も赤黒く染まっていた。


「お前でも疲れるんだな……」


 ガルムも二振りの大剣を地面へ突き立て、肩で息をしている。


「当たり前だろ。俺を何だと思ってんだ」


「人の皮を被った魔物だと思っていた」


「似たようなこと前にも言われたぞ」


 アリアは二人の元へ歩いてこようとしたが、足に力が入らず途中で膝をついた。


「アリア!」


「だ、大丈夫……ちょっと魔力を使いすぎただけ」


 ディーンが支えようとした、その時だった。


 地平線の向こうから、再び地鳴りが聞こえた。


 最初は、戦いの余韻で耳がおかしくなったのだと思った。しかし音は次第に大きくなり、足元の小石が細かく震え始める。


「嘘、だろ……」


 誰かが絶望したように呟いた。


 土煙の向こうから、再び魔物の群れが現れる。


 先ほどと同じか、それ以上。


 視界の端から端まで続く無数の影が、疲弊しきった戦士たちへ向かって押し寄せていた。


「まだいたのかよ……」


 ガルムが大剣を持ち上げようとする。だが腕が震え、刃先が地面から離れない。ドワーフたちも立ち上がろうとするが、すでに限界を超えている。アリアの魔力もほとんど残っていない。


 ディーンは瑠璃椿姫の柄へ手をかけた。


「やるしかねぇな」


「ディーン、でも……」


「町は後ろだ。ここを退いたら全部終わる」


 声は静かだった。


 勝てるという確信はない。


 それでも、退くつもりもなかった。


 魔物の大群が距離を縮めてくる。


 その時。


「アーッハッハッハッハッハッ!!」


 場違いなほど愉快な笑い声が、蒼穹から降ってきた。


「何だ?」


 全員が空を見上げる。


 雲一つない青空を、一頭のワイバーンが飛んでいた。広げた翼が陽光を遮り、その背には一人の少女が立っている。


 風にはためく外套。


 長い髪。


 年齢は10歳前後に見える。だが、その立ち姿には高度への恐怖も、眼下に広がる魔物への緊張もなかった。むしろ、待ち望んでいた舞台へようやく辿り着いた役者のように、口元へ大胆な笑みを浮かべている。


「な、何あの子……ワイバーンの上に立ってる」


 アリアが呆然と呟く。


 少女は右手を空へ掲げた。


 その瞬間、空気が変わった。


 晴れ渡っていた蒼穹の奥で、膨大な魔力が渦を巻き始める。青空そのものが軋み、見えない何かによって押し広げられていくようだった。少女の声が、戦場全体へ響き渡る。


「【天は満ちる! 人は恐れ泣き 大地は裂け 文明は灰燼と化す 其は全てを滅ぼす孤独の王】」


 一言ごとに、空の色が深くなる。


 魔物たちは本能的な恐怖を感じたのか、進軍を止めて空を見上げた。


 少女は掲げた手を、地上へ振り下ろす。


「【天の(ラスツォルン・)怒りの(エテル・)災害(ミーティア)】!」


 遥か上空に、無数の青白い光が灯った。



 次の瞬間。


 空が、落ちてきた。


 青白い炎をまとった隕石が、一つ、また一つと蒼穹を突き破る。最初の隕石が魔物の群れの中央へ着弾し、世界が白く染まった。少し遅れて轟音と衝撃波が押し寄せ、大地が巨大な布のように波打つ。続けて二つ目、三つ目、十、百。数え切れないほどの隕石が流星群となって降り注ぎ、魔物の大群を次々と焼き払い、押し潰し、跡形もなく消し飛ばしていく。


 それは破壊でありながら、恐ろしいほど美しかった。


 青空を駆ける無数の光。


 白い尾を引きながら降る星々。


 大地では炎と土煙が咲き乱れ、その上を新たな隕石が貫いていく。


 アリアは、恐怖も忘れて見入っていた。


「きれい……」


 口から自然に零れた。


 滅びをもたらす魔術なのに、夜空に瞬く星を初めて見た子どものように目を離せない。蒼穹から降る流星がアリアの碧眼に映り込み、青い光となって揺れていた。


 やがて最後の隕石が落ち、大地を揺らす轟音が遠ざかっていく。


 そこに魔物の姿は一体も残っていなかった。


 荒野には大小無数のクレーターが穿たれ、焦げた土から白い煙が立ち上っている。


 少女はワイバーンの背で満足そうに戦場を見下ろした。


「アーッハッハッハ! 今日も完璧ね!」


 誰に言うでもなく高笑いすると、ワイバーンの首を軽く叩いた。翼が大きく羽ばたき、少女を乗せた影はそのまま遠くの空へ飛び去っていく。


「おい! 待て! お前、何者だ!」


 ディーンが叫んだが、少女は振り返らない。笑い声だけが青空の彼方へ残り、やがてそれすらも風に溶けて消えた。


 後に残されたのは、立ち尽くす戦士たちと、隕石によって形を変えられた荒野。


 そして、星が降ったあとのように澄み渡る蒼穹だった。


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 第21話 了


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