第2話 ディーン・アース
森を抜ける風が、青年の背中を撫でていく。
木々の葉が揺れ、どこか遠くで鳥が鳴いた。
「ん?」
青年は足を止めた。
灰色の短髪が風に揺れる。
整った顔立ちだが、どこか無愛想で近寄りがたい雰囲気を纏っている。
年齢は十七歳。
身長百七十二センチ。
道着を思わせる旅装束を動きやすく改良した服に、腰には一本の剣。
青年の名は――
**ディーン・アース。**
「今、誰かに呼ばれたような……」
周囲を見回す。
だが森しかない。
人の気配もない。
風の音だけが静かに流れていた。
「……気のせいか」
肩を竦める。
「そもそも俺のこと知ってる奴なんていないしな」
そう呟き、再び歩き始めた。
しかし数歩進んだところで顔をしかめる。
「それにしても……」
額に青筋が浮かぶ。
「あんのクソ親父……急に言いやがって」
思い出しただけで腹が立つ。
そしてディーンの脳裏に、三日前の出来事が蘇った。
---
**フェニスの里。**
深い山々に囲まれた小さな隠れ里。
外界から完全に隔絶されたその場所には、自然と静寂が溢れていた。
平屋造りの家々。
畑で働く住民。
川のせせらぎ。
子供たちの笑い声。
どこにでもありそうな田舎の風景。
「はぁぁぁぁぁッ!!」
裂帛の気合と共に、ディーンが剣を振るう。
鋭い踏み込み。
迷いのない斬撃。
同年代なら誰一人反応できない速度。
だが。
「ほい」
軽い一言。
「っと」
ひらり。
「あらよっと」
ひらり。
すべて避けられた。
しかも相手は剣すら抜いていない。
腰に差した真っ白な刀を使うことなく、そこら辺に落ちていた木の枝一本だけで応戦していた。
ディーンの父。
**ジン・アース。**
四十代とは思えない若々しい顔。
どこか掴みどころのない笑み。
そして異常なまでの実力。
ジンは地面に描かれた円の中に立っていた。
半径一メートルほどの小さな円。
その外へ一歩でも出せばディーンの勝ち。
ルールはそれだけ。
だが。
「どうしたどうした!」
ひゅっ。
木の枝が閃く。
ディーンは咄嗟に身を捻った。
だが遅い。
服が裂けた。
薄皮が切れ、血が一筋流れる。
「ちっ!」
距離を取る。
「何なんだよその枝!」
「枝?」
ジンは不思議そうに首を傾げた。
「ただの枝だぞ?」
「嘘つけ!」
絶対嘘だ。
どう考えてもおかしい。
子供でも折れそうな細枝が鋼の剣と打ち合って無傷なのだ。
意味が分からない。
「なんだもう終わりか?」
ぽんぽん。
肩に枝を乗せながら挑発してくる。
その顔が腹立たしい。
「まだ終わってねぇ!!」
ディーンは再び飛び出した。
だが――
結果は変わらなかった。
---
「はぁ……」
「はぁ……」
「はぁ……」
数十分後。
ディーンは地面に大の字になっていた。
全身汗だく。
服はボロボロ。
体中が痛い。
「ちくしょう……」
空を見上げる。
「一発も当たらなかった……」
「まだまだだな」
視界に父親の顔が現れる。
実に楽しそうだった。
殴りたい。
もちろん勝てない。
「……おいディーン」
「なんだよ」
「お前、外の世界で修行してこい」
「は?」
あまりにも突然だった。
疲れも吹き飛ぶ。
「……急に何言ってんだよ親父」
ジンは空を見上げながら言う。
「いやー俺もお前くらいの歳に世界を回っててな」
「うん」
「だから行ってこい」
「説明になってねぇよ!」
即座にツッコミを入れる。
ジンは笑った。
何も説明する気がないらしい。
「ていうか何で今なんだよ」
ディーンは起き上がる。
「里の掟じゃ、あと二年は出られないだろ」
フェニスの里では十二年ごとに数人の代表が外界へ赴く。
里の存在を秘匿しながら世界情勢を知るための重要な掟だ。
「その辺は話し合った」
「話し合った?」
「今回は特例でお前だけ行くことになった」
「だから何でだよ」
意味が分からない。
そこでディーンはある人物の存在を思い出した。
「待て」
嫌な予感がする。
「母さん、このこと知ってるのか?」
ぴたり。
ジンの動きが止まった。
「……」
「おい」
「……」
「おい親父」
目が泳いでいる。
盛大に泳いでいる。
「言ってねぇのかよ!!」
「だ、大丈夫だろ」
「何が!?」
「何とかなる!」
「ならねぇよ!」
断言できる。
絶対に何とかならない。
母は怒る。
それはもう確実に怒る。
そして世界の終わりみたいな顔で怒る。
「とにかく!」
ジンは強引に話を打ち切った。
「母さんにバレる前に今夜出ろ!」
「何でそんな急なんだよ!」
「母さんは鋭いんだ!」
必死だった。
「計画したら即実行しないと絶対気付く!」
情けなかった。
父親としてどうなのだろう。
ディーンはそう思った。
もちろん口には出さなかった。
死にたくないからである。
---
そして現在。
森近くの街道。
ディーンは一人歩いていた。
「親父……」
ぽつりと呟く。
「生きてるかな」
少し考える。
「……いや」
さらに考える。
「まぁ自業自得だな」
うん。
それはそうだ。
本人が悪い。
完全に悪い。
そんなことを考えていると――
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!
凄まじい音が響いた。
もちろん腹の音である。
「……」
ディーンは遠い目をした。
「あー」
腹を押さえる。
「腹減った」
限界だった。
「もう二日何も食ってねぇ……」
修行で鍛えた体力があるから何とか生きているだけだ。
普通なら倒れている。
「このままだと餓死するぞ俺」
空を見上げる。
「親父は世界には強い奴がたくさんいるとか言ってたけど……」
真顔になる。
「このままだと強い奴に会う前に死ぬ」
切実だった。
非常に切実だった。
その時だった。
遠くから悲鳴が聞こえる。
「た、助けてくれぇぇぇぇぇ!!」
視線を向ける。
荷馬車。
行商人。
そして。
巨大なイノシシ型魔物。
**ビッグボア。**
大木のような牙。
岩のような筋肉。
突進すれば民家一軒程度なら簡単に吹き飛ばす危険な魔物だ。
普通の冒険者なら数人がかりで討伐する。
だが。
ディーンの視線は違う場所を見ていた。
「……」
「……」
「飯だ」
次の瞬間。
走った。
人生最速レベルで走った。
食料確保のために。
---
「え?」
行商人は呆然とした。
突然現れた青年が自分と魔物の間に立ったからだ。
「なぁ」
青年が言う。
「調理器具持ってるか?」
「……は?」
「鍋とか包丁とか」
「え?」
「持ってる?」
「は、はい……ありますけど……」
混乱しかない。
だが青年は満面の笑みを浮かべた。
「よし!」
拳を握る。
「じゃあこいつの調理頼んだ!」
その瞬間。
ビッグボアが突進した。
地面を砕きながら迫る。
だが。
ディーンは右手を前に出した。
片手で。
ただそれだけ。
次の瞬間。
ドンッ!!
衝撃。
だが吹き飛んだのは青年ではなかった。
「……え?」
行商人の口が開く。
信じられなかった。
ビッグボアの突進が止まっている。
しかも。
片手で。
「悪いな」
ディーンが言う。
「こっちも生きるか死ぬかなんだ」
ぐいっ。
持ち上げる。
数百キロはある巨体が宙を舞う。
「なっ……!?」
行商人は絶句した。
そして。
ズドォォォォォォン!!
叩き付けた。
地面が陥没する。
ビッグボアは二度と動かなかった。
ディーンは満足そうに頷く。
「よし」
手を払う。
「飯だ」
---
「うめぇぇぇぇぇぇぇ!!」
森に歓喜の声が響く。
「生き返るぅぅぅ!!」
焚火の前。
ディーンは焼き上がった肉を豪快に頬張っていた。
行商人はその光景を呆然と見ている。
なぜなら。
ビッグボア一頭分の肉が消えていくからだ。
ほぼ一人で。
(どんだけ食べるんだこの人……)
普通なら十人は満腹になる量である。
「先程は助けていただきありがとうございました」
行商人は頭を下げた。
ディーンは肉を咀嚼しながら言う。
「いや」
「?」
「俺の方こそ危うく死ぬところだった」
「え?」
「餓死で」
行商人は返答に困った。
かなり困った。
「旅ですか?」
「まぁな」
「どちらまで?」
ディーンは少し考える。
そして笑った。
「とりあえずアントスって街かな」
「アントスですか?」
「ああ」
どこか懐かしそうな表情。
「知り合いがいるんだ」
その顔は、さっきまで肉を貪っていた人物とは思えないほど柔らかかった。
「それならこの道を真っ直ぐですよ」
行商人は道を指差す。
「あと半日ほどで着きます」
「マジか!」
ディーンは立ち上がった。
「助かった!サンキューなオッサン!」
「いえいえ」
そうこうしているうちに。
最後の肉が消えた。
ディーンは満足そうに腹を叩く。
「ふぅ」
深く息を吐く。
「ごっそさん」
そして真顔で言った。
「まぁ飯は腹八分目が一番だからな」
行商人は固まった。
(腹八分目!?)
どこがだ。
どう見てもビッグボア一頭丸ごと完食している。
化け物か。
いや、化け物だった。
少なくとも胃袋は。
ディーンはそんな視線など気付かず、夕焼けに染まり始めた空を見上げる。
(十年ぶりだな……)
胸の奥が少しだけ高鳴る。
(元気にしてるかな)
脳裏に浮かぶのは、一人の少女の笑顔。
まだ知らない。
その再会が。
彼の運命を大きく動かすことを。
そして。
世界そのものを揺るがす旅の始まりになることを。
夕陽に照らされた街道を、一人の少年が歩いていく。
その先に待つ未来へ向かって。
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**第2話 ディーン・アース 完**
皆さんどうも申仁です。まだまだこちらのサイトに慣れてない新人です(笑)
まだまだ展開が遅いと思いますが申し訳ありません。もう少しで主人公が登場するので今しばらくお待ちください。それでは、次回は5月10日に投稿されます※第2話書き直しました




