第2話 社員の福利厚生はプロテインですか?
「いい、スケさん。あなたの最初の任務は、この『エントランス・ホール』の徹底清掃よ。一粒の砂、一つのカビも許さないわ」
私が指し示したのは、まだ湿り気の残る薄暗い通路だ。
自称・体育会系のスケルトン――「スケさん」と命名した骨は、ガシャガシャと景気よく全身を鳴らして深く頭を下げた。
「サー・イエッサー! 自分、掃除は心の洗濯だと思っているッス! 磨き上げて、マスターの顔が映る鏡面仕上げにするッス!!」
『……いや、俺の顔(床)を鏡面仕上げにされても困るんだけど。恥ずかしいだろ、下から覗かれてるみたいで』
天井からダンくんのやる気のない声が降ってくる。
「黙りなさい、この不潔不動産。だいたい、あなたも少しは協力したらどうなの? 自分の体なんでしょう?」
『協力してるって。さっきから呼吸(換気)を強めて、埃を外に逃がしてるんだから。あー、喉(通路)が乾燥してイガイガする……』
このダンジョン、いちいちリアクションが人間臭い。
私が溜息をついている間にも、スケさんは驚異的なスピードで作業を開始した。
「ッス! ッス! ッス!!」
どこから取り出したのか、自分の肋骨の一本をブラシ代わりにして、壁の苔を凄まじい勢いで削り落としていく。
『痛い痛い痛い! ちょ、待て! そこは粘膜! 柔らかい組織なんだよぉ! ああああ、そんな硬いので擦られたら……あああああ!!』
「うるさいわね! 我慢しなさい! 綺麗になるための産みの苦しみよ!」
『産んでない! 俺、何も産んでないから! 削られてるだけだから!』
洞窟内にダンくんの悶絶するような地響きが轟く。
その振動で天井からパラパラと土が落ちてくるが、スケさんはそれを空中でキャッチし、どこかへ投げ捨てている。……意外と有能かもしれない、この骨。
「マスター! 報告ッス! 掃除中に、前任者のゴミと思われるブツを発見したッス!」
スケさんが掲げたのは、赤錆びた鉄の塊――いや、かつては短剣だったであろう代物だ。
『あー、それ。数十年前に迷い込んで野垂れ死んだ冒険者の忘れ物。不味かったから放っておいたんだ』
「……ダンくん、これ、DPに変換できないの?」
『んー、できるよ。でもゴミだしなぁ。変換しても1ポイントいくかいかないか……』
「やりなさい。一銭を笑う者は一銭に泣くのよ」
ベアトリスが命じると、短剣が淡い光に包まれて消滅した。
【現在DP:6】
「……1ポイント増えたわね」
「やりましたッス! 資産が20%もアップしたッス! これぞ経営の醍醐味ッスね!!」
『ポジティブすぎるだろ、お前……』
そんな馬鹿げたやり取りをしていた、その時。
ダンくんの声のトーンが、わずかに変わった。
『……あ、ベアトリス。誰か来た』
「えっ?」
私は反射的に身を隠そうとしたが、ここはまだ入り口から数メートルの地点だ。
慌てて壁の影(スケさんが磨き上げたばかりの場所)に張り付く。
『えーと、人数は三人。一人は重そうな鎧を着てる……あ、これ、あんたを追ってきた騎士団じゃない?』
「……ッ! もう見つかったの!?」
「マスター! 自分にお任せを! 不法侵入者は全員、骨折(複雑)させて追い返すッス!!」
スケさんが、何も持っていない拳をグッと握りしめる。骨の指がパキパキと鳴る。
「待って、スケさん。あなたはまだ武器も防具もないのよ。まともに戦ったらバラバラにされるわ」
『どうする? DP6ポイントじゃ、召喚できるのは「バナナの皮」くらいだぞ。それも一本分』
「……バナナの皮……」
私は思考を巡らせる。
相手は王国の近衛騎士団。エリート中のエリートだ。
そんな相手に、バナナの皮一本で勝てるわけがない。
――けれど、ここは私の「家」なのだ。
「ダンくん、その三人は今どこにいるの?」
『入り口から入ってすぐの、さっきスケさんが磨いた「鏡面仕上げ」のエリアだね』
「……ふふっ、あーっはっはっは!」
私は思わず、扇子(の代わりの泥だらけの手袋)で口元を覆って高笑いした。
『うわ、令嬢が壊れた。……ベアトリス、何企んでるの?』
「スケさん、作戦変更よ。あなたは壁に張り付いて、彼らが『転んだ』瞬間に、全力で精神的揺さぶりをかけなさい!」
「精神的揺さぶり……? 承知ッス! 『自分、骨っスけど何か?』って顔でガン見するッス!!」
「……ええ、それでいいわ。ダンくん、あなたは『声』だけでいい。最高に不気味で、威厳のある感じで、彼らに言いなさい」
私は、追放される間際に王妃から教わった、もっとも残酷な「おもてなし」を思い出す。
「いい? 騎士様たちはプライドの塊。そのプライドを、この『清潔な床』で滑り落としてやるのよ!」
通路の奥から、ガシャリ、ガシャリと重厚な金属音が響き始めた。
「……いたぞ! この奥だ!」
「反逆者ベアトリス、大人しく縛に就け!」
騎士たちの声が、ダンジョンの壁に反響する。
彼らは知らない。
そこが、さっきスケさんが「脂ぎった苔を完璧に除去し、さらに磨き上げた超高摩擦レス・エリア」であることを。
「さあ……チェックアウトのお時間ですわよ、騎士様たち!」
私は暗闇の中で、静かに勝利を確信して微笑んだ。
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