第1話 新居(ダンジョン)の資産状況が火の車だった件
「……はぁ、はぁ。とりあえず、入り口から五メートルは確保したわ」
私は額に滲んだ汗を、汚れた手袋の甲で拭った。
目の前には、見違えるように平らになった地面と、苔がこそぎ落とされ、ようやく本来の岩肌を見せた壁。
一時間前まで「カビと粘液の展示場」だった場所とは思えない。私の完璧な指揮(と脅迫)による成果だ。
『あのさぁ……。もうやめない? 俺、皮膚がヒリヒリするんだけど』
頭の中に直接響く、気の抜けた声。
この洞窟の主――自称ダンジョン――だ。
「何を言ってるの。まだ玄関マット一枚分も進んでないわよ。最深部(あなたの寝室)まで行くには、あと何百年かかると思ってるの?」
『いや、知らんけど……。ていうか、あんたなんでそんなに元気なの? さっきまで「死にたい」とか言ってなかった?』
「死ぬにしてもTPOがあると言ったでしょう! こんな不潔な場所で死んだら、私の幽霊まで薄汚れてしまうわ!」
私は腰に手を当て、洞窟の奥――暗闇が広がる空間を睨みつけた。
「それに、もう遅いわよ。あなた、さっき私と『契約』したじゃない」
『は? してないけど』
「したわよ」
私は足元の地面を、コツコツとヒールで叩く。
「私があなたの魔力を無理やり引き出して、この床を乾燥させた瞬間、体の中に変な『パス』が繋がった感覚があったわ。あれが契約でしょ?」
一瞬の沈黙。
洞窟内の空気が、ざわりと揺れた。
『……あ』
「あ?」
『忘れてた。そういえば俺、ダンジョンだから「コア」に魔力を干渉されたら、自動的にマスター登録される仕組みだったわ』
「忘れてた、じゃないわよこの欠陥住宅!」
『だって三百年くらい誰も来なかったんだもん! うわぁ、マジかよ……。俺、就職しちゃったの? ニート卒業? やだなぁ、責任とか負いたくないんだけど』
このダンジョン、本当にモチベーションが低い。
けれど、契約が成立しているなら好都合だ。これで私は、この場所の「管理者権限」を手に入れたことになる。
「いい? 雇用主は私。あなたは従業員兼、社屋よ。分かったらさっさと『経営画面』を出しなさい」
『へいへい……。あー、面倒くさ……』
私の目の前の空間に、ぼんやりと青白い光の板が浮かび上がった。
ゲームや物語で聞いたことがある、ダンジョン運営用のインターフェースだ。
私は期待を込めて、現在の資産状況を確認する。
これからの優雅な隠遁生活、そして追っ手を撃退するための軍資金。
腐っても数千年生きたダンジョンだ。多少の貯蓄はあるはず――。
【ダンジョン名:未設定(名称変更可)】
【ダンジョンマスター:ベアトリス・フォン・ローゼンバーグ】
【ダンジョンランク:G(測定不能の雑魚)】
【現在DP:5】
「…………」
『…………』
私は無言でウィンドウを閉じた。
そして、大きく深呼吸をしてから、もう一度開いた。
【現在DP:5】
「ゴォォォォラァァァァァァッ!!」
『ひぃっ!? 音波攻撃やめて! 鍾乳石が折れる!!』
私は壁(ダンくんの顔面らしき部分)を拳で殴りつけた。
「『5』ってなによ『5』って! 駄菓子屋の子供だって、もう少しマシな小遣いを持ってるわよ!?」
『しょうがないじゃん! 冒険者来ないんだから! DPは「侵入者を倒す」か「感情を吸収する」かしないと貯まらないんだよ!』
「三百年も何してたのよ!」
『寝てた。たまに迷い込んだネズミとか食べてたけど、美味しくないからポイント低いし……』
頭がくらくらする。
DP5ポイント。これで何ができるというのか。
私は震える指で「ショップ」の項目をタップした。
【召喚可能モンスター一覧】
・ドラゴン(幼体):50,000 DP
・キマイラ:15,000 DP
・ガーゴイル:3,000 DP
・ゴブリン:50 DP
・スライム:10 DP
「……詰んだわ」
『あーあ、だから言ったのに。死ぬなら入り口で死んだほうが楽だよ?』
ダンくんの憎たらしい声が響く。
いいえ、諦めてたまるものですか。
私は王宮の派閥争いで敗れた。婚約者に裏切られ、濡れ衣を着せられ、全てを奪われた。
ここで死んだら、「あら、可哀想に」と、あの女狐(新しい婚約者)が嘲笑うだけだ。
絶対に生き延びてやる。
そしていつか、この薄汚い穴蔵を「大陸一の難攻不落かつラグジュアリーな迷宮」に仕立て上げ、私を追放した国を見返してやるのよ!
「……検索条件を変更。『現在所有ポイントで召喚可能なもの』」
私はショップの検索フィルターを操作した。
一覧が再表示される。ほとんどが「ただの石」とか「木の棒」だ。
だが、その一番下に、一つだけ光る項目があった。
【初回限定:ジャンク召喚ガチャ(1回無料)】
※何が出るかは運次第! 在庫処分品につき返品不可!
「これよ……!」
『え、やるの? それ絶対ロクなのが出ないやつだよ? 前のマスターが回した時、腐ったゾンビの足だけ出てきて大惨事だったんだけど』
「四の五の言わない! 私には人手が必要なの!」
私は貴族として、労働の尊さを知っている。だが、限界も知っている。
この広大な洞窟を、私一人で掃除するのは不可能だ。
執事でも、メイドでも、あるいは力自慢のオークでもいい。
とにかく「命令を聞く手足」が必要なのだ。
「私の運命は元・公爵令嬢級よ……! お願い、掃除ができる子来て!!」
私は祈りを込めて、なけなしの5ポイントを投入し、ボタンを押した。
――ファン、ファン、カランカラン!
安っぽいファンファーレと共に、地面に小さな魔法陣が浮かび上がる。
光が収束し、そこに現れたのは――。
「……骨?」
白い骨だった。
剣も持っていない。鎧も着ていない。
ただの、人型の骨格標本のようなスケルトンが一体。
彼は(彼なのか?)カタカタと顎を鳴らし、空虚な眼窩で私を見つめ……そして、ビシッと直立不動の姿勢をとった。
「カカッ! 自分、呼び出しに応じ参上したでありますッス!」
……喋った。
しかも、やたらと声がでかい。
『うわぁ……ハズレだ』
「……返品は?」
『不可って書いてあったでしょ』
スケルトンは、骨だけの腕を胸の前で交差させ、見事な敬礼をした。
「お初にお目にかかりますッス、マスター! 自分、体力には自信がありますッス! どんなブラックな業務でも、骨が折れるまで――いや、粉になるまで働く所存ッス!!」
私は天を仰いだ。
ぐうたらなダンジョン。
資金はゼロ。
そして最初の部下は、やたらと暑苦しい骨。
「……頭が痛いわ」
『俺も胃が痛い』
「骨は痛くないッス!!」
前途多難なんてレベルではない。
けれど、もう後戻りはできない。
私は泥だらけのドレスの裾を強く握りしめた。
「いいわ、やってやろうじゃないの……!」
こうして、私の――私たちの、「ダンジョン経営」という名のサバイバルが始まったのだ。
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