いつもの木曜の方ですな
四度目の木曜は、朝から雨だった。
それでも家族は、予定どおり演奏会へ出かけていった。
「雨の日の演奏会は、客席が埋まらないの。だから、来ている方のお顔がよく見えるのよ」
玄関の広間で傘の柄を握りながら、母は姉にそう言い聞かせていた。閣下が雨の日にもわざわざ出ていらっしゃるような方なら、そういう日こそ見つけやすい、ということらしい。
「リーケ、留守番をお願いね」
「はい。いってらっしゃいませ」
(閣下は、雨の日でも、わざわざこちらへいらっしゃる方だと思うのだけれど)
呼び鈴は、いつもの時刻に鳴った。
閣下の外套の肩は、門から玄関までの短い道を歩いただけで、雨を吸って色が変わっていた。ベルトラムが外套を受け取り、暖炉の前に広げてくれる。
「雨の中を、ありがとうございます」
「来ると言った」
閣下はそれだけ言って、いつもの椅子に座った。毎回同じ椅子に座る方がいれば、それはもう、その方のいつもの椅子だ。
お茶が二杯目になったころ、庭のほうで小さく吠える声がした。
窓から覗くと、雨に濡れた芝の上を、茶色い毛の小さな犬が跳ね回っていた。向かいのドルン男爵のところの犬だ。垣根の根元に隙間があって、ときどきそこから入り込んでくる。
「失礼」
私が立ち上がるより先に、閣下が庭へ出る扉を開けていた。
犬はすっかり遊んでもらえるつもりで、閣下の足元をくぐり抜け、花壇を一周して、また戻ってきた。閣下は上着の裾が泥を吸うのも構わず膝をついて、何度目かでようやく犬を両腕に抱え込んだ。犬は満足そうに、閣下の顎をなめた。
「ヘッダ、傘を」
ヘッダの差しかける傘の下で、閣下は犬を抱えたまま、門の外まで歩いた。門の前には、傘を差した男爵が、杖を片手に立っていた。男爵は毎日の午後、この犬を連れて通りを一回りなさる。今日は雨で、引き綱が手からすっぽ抜けてしまったらしい。
犬を受け取った男爵は、帽子を少し持ち上げ、それから閣下の顔と私の顔を、順に眺めた。
「これはこれは。いつもの木曜の方ですな」
男爵の目は、門の前に停まっている紋の入った馬車のほうへ一度動いた。散歩の道すがら、もう何度も見ていらしたのだろう。
男爵も、木曜の客のお一人だ。散歩の帰りに、ときどき小客間でお茶を一杯だけ飲んでいかれる。濃いめに淹れて、焼き菓子の端を少しだけ犬に分けるのが決まりだった。
「男爵様、お茶を召し上がっていかれますか」
「いやいや。今日は先客がおられる」
男爵は、閣下の泥だらけの裾にもう一度目をやって、楽しそうに鼻を鳴らした。
「雨の日の犬は、泥を連れてまいりますからな。お気をつけて」
帽子を上げて、男爵は向かいの家へ帰っていった。犬は男爵の腕の中から、閣下のほうへ一度だけ尻尾を振った。
小客間に戻ると、ヘッダが黙って閣下の裾の泥を拭き始めた。閣下は、黙って裾を預けていた。
* * *
五度目の木曜は、四月に入って最初の木曜で、王宮で春の園遊会が開かれた。
王宮からの招きなら、閣下にも届いていないはずがない。母はそう言って、朝から侍女に姉の髪を結わせては解かせた。
「今日こそ、閣下にお目にかかれるわ。陛下の甥御様が、王宮の園遊会にいらっしゃらないはずがないもの」
「お母様、髪がまだ右に寄っているわ」
「あら、本当。もう一度」
侍女が櫛を持ち直すたびに、出かける時刻は少しずつ遅れた。
同じ午後、閣下はうちの小客間の窓際で、ミーナの焼き菓子を召し上がっていた。
「王宮の園遊会には、いらっしゃらないのですか」
「行けば、端から紹介される」
「当家の家族も、閣下にお会いするつもりで出かけました」
「だろうな。だから、ここに来た」
閣下は二つ目の焼き菓子を割りながら、平然としていた。ミーナは、閣下の来る日にはやはり一つ多めに焼いている。
◇
夕方、王宮から帰ってきた家族は、外套も脱がないうちに、そろってため息をついた。
「今日もいらっしゃらなかったわ。陛下の甥御様なのに、園遊会にもお出にならないなんて」
父が、ベルトラムの盆の名刺をつまみ上げた。隅の一行は、いつもと同じだった。
伯爵に。また伺う。
「また入れ違いか!」
「いいのよ、あなた。焦らしが効いているの」
母は姉の肩を抱いた。
「閣下だって、マルグリートにお会いできなくて、焦れていらっしゃるわ。だからこうして、毎週いらっしゃるのよ」
(入れ違いではなくて、同じ時刻に別の場所にいらしただけなのだけれど)
母の外套を腕に受けながら、そう思った。閣下は今日の午後、四時の鐘が鳴るまで、うちの小客間にいらした。焦れているご様子は、少しもなかった。
衣装部屋に外套を掛けて戻ると、父が書斎の机に名刺を並べ直していた。五枚になっていた。
* * *
六度目の木曜、閣下は上着の隠しに、小さな包みを一つ入れていらした。




