王家の封蝋
その手紙は、週の半ばの朝食の席に届いた。
ベルトラムが銀の盆に載せて入ってきたとき、母がカップを持ち上げかけて、そのまま止めた。封蝋の色が、遠目にも分かったからだ。深い赤に、王家の紋。
「マルグリートに、王女殿下から!」
母は、椅子から半分立ち上がっていた。
「ほら、ごらんなさい。春の茶会のことを、殿下は覚えていてくださったのよ。あなたの竪琴のことも、きっと」
姉が、盆のほうへ手を伸ばした。
ベルトラムは、盆を姉の前ではなく、食卓の真ん中に置いた。それから、いつもの声で宛名を読み上げた。
「リーケ・ローゼンダール嬢、ならびにご家族の皆様」
食堂が、しんとした。
姉の手が、盆の手前で止まっていた。母は、立ちかけた姿勢のまま、ゆっくりと椅子に戻った。父だけが、平気な顔でパンにバターを塗り続けていた。
「リーケ宛てか。うむ、まあ、閣下のご婚約者だからな」
私は封を切った。几帳面な字が並んでいた。
十二月の三度目の木曜の午後、わたくしの居間で、小さな茶会を開きます。リーケ嬢と、ご家族の皆様に、お越しいただきたく。
「まあ」
母が、ようやく声を出した。
「王女殿下の茶会よ。ご家族の皆様、と書いてあるのでしょう。マルグリート、何を着ていくか考えないと。春の灰青は、もう殿下にお見せしてしまったし」
「王女殿下のお招きだ、行かぬわけにはいかん」
父が、満足そうに頷いた。
私は、手紙をもう一度読んだ。日付のところを。
(十二月の、三度目の木曜)
「お母様。その日は、木曜でございます」
「ええ、そうね。それが何?」
「私は、公爵家の木曜を、お預かりしている身です。伺えません」
◇
母の顔から、表情が抜け落ちた。
「……何ですって?」
「木曜の午後は、公爵家の在宅日でございます。お客様が、いらっしゃいますので」
「王女殿下のお招きなのよ」
「はい」
「一度くらい、いいでしょう。木曜なんて、毎週あるのよ」
毎週ある。それは、本当にそうだった。
(五月の最初の木曜も、毎週あるうちの一つだった)
あの朝、食堂で、父は一度だけ、今日は閣下が、と言いかけた。母が、閣下には、また木曜に来ていただけばいいでしょう、と言い、父は頷いて、王女殿下の茶会の付き添いに出かけていった。
あの日、閣下は小客間にいらした。父との約束の時刻に。
「閣下だって、王女殿下のお招きとあれば、お許しくださるに決まっている」
父が言った。あの朝、母に頷いたときと、同じ顔だった。
「そうかもしれません」
私は、手紙を畳んだ。
「でも、木曜には、お客様がいらっしゃいますので」
それ以上は言わなかった。父を責めるつもりはなかった。言えば、あの五月の木曜のことになる。父は、たぶん、あの日のことを、もう覚えていない。
「あなたって子は」
母はそう言いかけて、続きを探すように黙った。
姉は、一言も言わなかった。私の手の中の手紙を、宛名のところを、じっと見ていた。家族の名前は、私の名前の後ろに、ひとまとめに書かれていた。
◇
その日のうちに、返事を書いた。
木曜の午後は、ファルケンラート公爵家の在宅日をお預かりしておりますため、伺うことができません。ほかの日でしたら、喜んで伺います。もし木曜にお越しくださるのでしたら、公爵家でお待ちしております。
書き終えてから、少し迷った。王女殿下へのお返事に、こんなことを書いた人は、いないだろう。
それでも、書き直さなかった。
封をした手紙をベルトラムに預けに玄関の広間へ下りると、居間の扉が少し開いていて、母の声が聞こえた。
「リーケが伺えないのなら、そのぶん、あなたが殿下に竪琴をお聞かせすればいいのよ。殿下は、春にあなたの竪琴をお褒めくださったでしょう」
姉の返事は、聞こえなかった。
ベルトラムは、私の手から手紙を受け取ると、居間のほうへは目を向けずに、盆の上に置いた。
「確かに、お預かりいたしました。お嬢様」
その声は、私が九つの夏に聞いたのと、少しも変わらなかった。
◇
次の木曜、公爵家で、閣下にそのことをお話しした。
四時の鐘でお客様方を送り出したあと、窓際の椅子の閣下は、私が話し終えるまで、一言も挟まずにいた。
「断ってしまいました。王女殿下のお招きを」
「断ってはいない。日を変えてくれと言っただけだ」
閣下は、カップを手の中で回した。
「王家の茶会を断る家は無い。だが、日を変えてくれと言う家なら、ある。今、一軒できた」
「お叱りを受けるでしょうか」
「従妹は、叱らない」
閣下は、なぜか少しも心配していない顔だった。それどころか、どこか機嫌がよさそうにも見えた。
「閣下。何か、ご存じなのですか」
「何も」
閣下は窓の外を見た。横を向くのは、閣下が何かを言わずにおくときだ。
戸口で、ヤンが咳払いを一つした。
◇
王女殿下のお返事は、その次の日に、公爵家へ届いた。
マウリッツが、封を切らないまま、ローゼンダール家まで自分で届けに来てくれた。宛名は、私だった。
中の手紙は、短かった。
では、茶会は、その木曜の午後、ファルケンラート公爵家の在宅日にて。お招きした皆様にも、そう知らせました。




