この家の女主人に【コルネリス視点】
わたくしの留守のあいだ、この家の女主人の留守番を、あなたに頼みたいの。
母がそう言ったのは、客が皆帰ったあとの客間で、四時の鐘が鳴り終わってすぐのことだった。母は長椅子に座ったまま、膝の上の小さな包みを、彼女のほうへ押しやった。
包みの中身は、鍵の束だった。この屋敷の玄関と、客間と、銀器の戸棚と、酒蔵の鍵。父が亡くなるまでは、母が腰に下げていたものだ。
「わたくしは、明日、海辺へ帰ります。冬のあいだは、向こうにいるわ。そのあいだ、この家の木曜を、お願いね」
彼女は、鍵の束を両手で受け取った。そのまま、しばらく黙って鍵を見つめていた。
「……留守番を、ですか」
「そうよ。あなたの、いちばん得意なことでしょう」
母は、扇の陰で笑った。
「留守のあいだは、あなたがこの家の者。来た人は、あなたがお迎えする。それで、この家の木曜は回るわ。わたくしより、ずっと上手に」
母は、彼女の決まりを知っていた。私は母に話していない。たぶん、ヘッダか、マウリッツか、彼女自身の口から聞いたのだろう。
彼女は、鍵の束を膝に置いて、深く頭を下げた。
「お預かりいたします」
顔を上げた彼女の目が、少し赤かった。私は、窓際の椅子から、それを見ていた。
◇
「それで、婚礼はいつにするの」
母は、今度は私と彼女を交互に見た。
「前にも聞いたけれど、あなたは『彼女に聞く』と言ったきりよ」
私は、彼女を見た。彼女は、鍵の束を指でそっと撫でていた。
「……春が、よろしいです」
「どうして」
母が聞いた。私も、聞きたかった。
「春の最初の木曜に、閣下が初めていらしたからです」
彼女の頬が、少し赤くなった。
「いつでもお越しください、を本気になさって。小客間で、お茶を一杯だけ、とおっしゃって」
あの日のことは、私も覚えている。
王宮の控えの間で伯爵に言われた一言を、私は文字どおりに受け取った。名簿を開いて、在宅日を確かめて、作法どおりに木曜の午後に行った。伯爵はいなかった。いたのは、留守番だと名乗る娘だった。
一杯だけ、と私は言った。その一杯が二杯になって、それから十二回になった。
彼女が、あの最初の木曜から数えていたとは、知らなかった。
母が、扇を閉じた。
「では、春の最初の木曜ね」
「木曜だ」
私が言うと、母は私を見て、それから、とうとう声を立てて笑った。
「あなたたちは、本当に木曜しかないのね」
◇
翌朝、母は海辺へ発った。彼女は朝早くからヘッダを連れて、見送りに来てくれた。
玄関の広間で、彼女が膝を折って「いってらっしゃいませ」と言うと、母は馬車の段の上で振り返った。
「留守番を、お願いね」
「はい。お任せくださいませ」
馬車が門を出ていくと、彼女は鍵の束を胸の前で握ったまま、しばらく門のほうを見ていた。
「重いか」
私は、彼女の手の中の鍵を見て聞いた。
「いいえ。重くはございません」
彼女は、鍵の束を見下ろした。
「ただ、鍵を預かるのは、初めてです。あちらの家の鍵は、一度も持たせてもらえませんでした。留守番なのに」
私は、うまく返事ができなかった。だから、別のことを聞いた。
「この家に、君はいつ帰ってくる」
彼女は、少し驚いた顔をした。それから、鍵の束を握り直して、答えた。
「春の、最初の木曜に」
◇
昼過ぎ、ヤンが書斎に封書を持ってきた。
封蝋には、王家の紋。宛名は私だった。
「王宮からでございます。王女殿下の御名で」
封を切ると、従妹の几帳面な字が並んでいた。
公爵家の在宅日が木曜に開かれたと聞いた。冬の最初の木曜に、伺いたい。お噂の、留守番の方にお目にかかりたい。
「王女殿下か」
「春に、マルグリートお嬢様を急に茶会に招かれた方でございます」
ヤンが、言わなくてもいいことを言った。
私は、もう一度手紙を読み返した。お噂の、留守番の方に。
従妹は、悪い人間ではない。ただ、面白そうなものを見つけると、自分の目で確かめずにはいられない性分だ。春のあの木曜、伯爵が私との約束を破ってまで付き添った茶会を開いたのも、従妹だった。従妹は、たぶん、そのことを知らない。
「旦那様。お断りになりますか」
「いや」
私は、手紙を畳んだ。
「来る人は、迎える。彼女なら、そう言う」
ヤンは、しばらく黙っていた。
「……左様で。旦那様も、ずいぶん」
「何だ」
「いえ。何でもございません」
ヤンは、手帳に何か書きつけて閉じた。
次の木曜、客が帰ったら、この手紙を彼女に見せる。冬の最初の木曜に、この家に来る客のことを。




