お客様の好み
公爵家の書斎の大きな机に、名簿を広げた。
披露に招くお客様のお名前が、ヘートヴィヒ様の字で並んでいる。王家に近いお家、公爵家の領地にゆかりのあるお家、それから、この秋の木曜に公爵家へいらした方々。木曜の方々の欄だけは、私が書き足した。
机の向かいでは、マウリッツが手帳とペンを構えていた。
「では、お席を」
「はい」
私は、大広間の見取り図に、お一人ずつお名前を置いていった。
ドルン男爵様は、暖炉のそばに。お膝が冷えると杖が重くなる、と木曜におっしゃっていた。お隣には、犬のお話が好きな老婦人を。ファン・ホーフ子爵夫人は、燭台の光が直接当たらない柱の陰に。お顔の白粉を気になさる方だ。南の生まれの若い夫人は、南の港町ご出身のあの殿方のご家族のお隣へ。
「こちらのお二人は、離してください」
私は、二つのお名前を指さした。
「お二方とも、木曜にいらしたとき、相手のお家の馬の話になると、お茶が冷めるまで黙ってしまわれました。何があったのかは存じませんけれど、隣にお座りになると、お二方とも楽しくなさらないと思います」
マウリッツのペンが、止まった。
「……かしこまりました」
「それから、こちらの方は、いつも少し遅れていらっしゃいます。扉の近くのお席にしておけば、遅れても目立ちません。こちらの方々は、侯爵家にも顔を出さなければならないお宅です。こちらも扉の近くに。早めにお立ちになっても、どなたも気になさらないように」
ヘートヴィヒ様が、書斎の長椅子から身を乗り出していた。
「侯爵家へ行く人の席まで、考えてあげるの?」
「どちらへいらしても、気持ちよくしていただきたいので」
ヘートヴィヒ様は、しばらく黙っていた。それから、マウリッツのほうを見た。
「マウリッツ。わたくしがこの家に嫁いできたころ、主人の母上が開いた披露の席を決めるのに、何日かかったかしら」
「三日でございました、大奥様。それでも、お二人のご婦人が、席を替えてくれとおっしゃいました」
「でしょう」
ヘートヴィヒ様は、長椅子の背にもたれて、扇を開いた。
「この子は、それを、お茶一杯ぶんで済ませてしまうのね」
◇
見取り図の最後に、閣下のお名前を書いた。
大広間の、窓際の椅子。公爵家の客間でも、閣下はいつも窓際の端にいらっしゃるから。
書斎の戸口から、閣下が入っていらした。私の肩越しに見取り図を覗き込んで、しばらく黙って見ていた。
「私の席は、どこだ」
「こちらに。窓際の」
閣下は、私の指の先を見て、それから、見取り図の真ん中にある私の名前を見た。
「……君の隣がいい」
ヘートヴィヒ様の扇が、ぱたりと止まった。マウリッツが、手帳に目を落としたまま、咳払いを一つした。
私は、窓際から閣下のお名前を消して、自分の名前の隣に書き直した。書いた字が、少し曲がった。
◇
次の木曜、公爵家の在宅日に、ティネケ様がいらした。
侯爵夫人はご一緒ではなかった。年配の侍女を一人連れて、四時の鐘の少し前に、そっと客間の戸口に立った。
「あの……少しだけ、よろしいでしょうか」
私は、窓から遠い、人の少ない側の椅子へご案内した。ティネケ様は、扇を膝に置いたまま、なかなか口を開かなかった。
「あの。母には、内緒で参りました」
「はい」
「母は、わたくしを閣下に……と。でも、わたくし」
ティネケ様は、そこで言葉を切った。扇の先が、客間の反対側へ一度だけ向いた。今日は、ヨーリス様は来ていらっしゃらない。近衛の当番の日なのだと、先週おっしゃっていた。
「披露の夜、わたくし、母の夜会にいなければいけないの。お客様をお迎えする側で」
ティネケ様は、膝の上の扇を握りしめた。
「でも、本当は」
その先を、ティネケ様は言わなかった。言わなくても、よかった。
「ティネケ様」
私は、名簿のいちばん上の欄に書いたお名前のことを思い出しながら言った。
「いらっしゃるなら、お迎えします。いらっしゃらなくても、お席は空けておきます」
ティネケ様は、顔を上げた。それから、扇の陰で小さく笑った。
「……ヨーリス様のお隣、でしょうか」
「見取り図では、そうなっております」
ティネケ様の耳が、みるみる赤くなった。
四時の鐘が鳴って、ティネケ様は侍女と一緒に、急いで帰っていった。
お客様方が皆帰ったあと、窓際の椅子から、閣下が私を呼んだ。
「侯爵家の娘は、何の用だった」
「お客様のお話は、ほかの方には申し上げないことにしております」
閣下の目が、わずかに大きくなった。閣下はそのまま、窓のほうへ顔を向けた。
「……そうか。そうだったな」
木曜の小客間で、閣下とどんなお話をしたのかを、私は家族にも話したことがない。聞かれなかったからでもあるけれど、聞かれても、たぶん話さなかった。
閣下は窓の外を見たまま、ほんの少しだけ、肩を揺らしていた。
十月の最後の木曜まで、もうあまり日がなかった。




