同じ夜の招待状
侯爵家の招待状は、その週のうちに、ローゼンダール家の銀の盆にも載った。
夕食の前の居間で、母が封を切った。深く型押しされた紋を、指でなぞってから。
「まあ」
母の声が、久しぶりに高くなった。
「マルグリート、ご覧なさい。侯爵夫人が、あなたに竪琴をとおっしゃっているわ。異国の歌い手の一座の前に、王都一の才媛のひと曲を、ですって」
姉は、窓際の椅子から立ち上がった。招待状を受け取る指が、少し震えていた。
「……わたくしに?」
「そうよ。あなたの季節が、戻ってくるのよ」
母は姉の両手を握った。母が姉の両手をこうして握るのを、私は初めて見た気がした。
父が、新聞を下ろした。
「アデーレ。その夜は、リーケの披露の夜だろう」
「分かっていますわ」
母は、姉の手を握ったまま、父のほうを見た。
「披露には、顔を出せばいいのよ。始まりにご挨拶をして、それから侯爵家へ回れば。両方に出るお宅は、ほかにもたくさんあるはずよ」
「しかし、公爵家の披露だぞ。陛下の姉君がいらっしゃる」
「ですから、あなたは披露に残ってくださいな。わたくしとマルグリートが、侯爵家へ」
父は、口ひげに指をやって考えていたが、やがて頷いた。
「うむ。私は披露に残ろう。閣下にも、母君にも、ご挨拶しておかねばならん」
(お父様は、格の高い方のほうに残るのね)
いつもの父だった。
母が、そこで初めて私のほうを向いた。
「リーケ、あなたは分かってくれるわね。あなたの夜は、これからいくらでもあるもの。マルグリートには、今しかないのよ」
姉が、私を見た。招待状を胸に抱えたまま、何か言いたそうな、言いたくなさそうな顔をしていた。
私は、膝の上で指を組んだ。
披露の夜は、一度きりだ。けれど、来た人をお迎えするのは、いつものことだ。来た人をお迎えして、出かける人をお見送りする。それなら、私は誰よりも慣れている。
「はい。いってらっしゃいませ」
母は、ほっとしたように笑った。姉は、私から目をそらした。
◇
その夜、寝る支度をしていると、部屋の扉が叩かれた。
姉だった。夜着に肩掛けを一枚かけただけの姿で、戸口に立っていた。姉が私の部屋へ来るのは、いつ以来だろう。思い出せなかった。
「あなた、披露では何を着るの」
「公爵家の母君が、仕立て屋を呼んでくださいました。淡い青だそうです」
「そう。わたくしは、侯爵家では薔薇色にするわ」
姉は、それを言いに来たらしかった。けれど、戸口から動かなかった。肩掛けの端を、指で何度もつまみ直していた。
「……わたくしが弾くのは、あなたの披露の夜よ」
「はい」
「あなた、怒らないのね」
私は、少し考えた。
「怒る理由が、ございません。お姉様の演奏会に、私の席があったことは、小さいころのあの一度きりでしたから。いつもどおりです」
姉の顔が、灯りの下で、一瞬だけ強張った。言い返す言葉を探すように唇が動いて、けれど何も出てこなかった。
「……おやすみなさい」
扉が、少し強く閉まった。
◇
次の木曜、公爵家の客間でも、侯爵家の招待状の話が出た。
「うちにも届きましたのよ」
ファン・ホーフ子爵夫人が、窓から遠い椅子で扇を使いながら、声を落とした。
「侯爵夫人には、娘の社交の後見をしていただいたご恩があって。お断りしにくいの。ほかにも、そういうお宅がいくつもありますわ。若いお嬢さんのいる家は、皆」
「うちの孫娘も、来年が初めての社交の季節でしてな」
男爵が、ボッケの頭を撫でながら、珍しく困った顔をした。
「侯爵夫人に睨まれると、招待状が来なくなると申します」
客間のあちこちで、同じような顔がうなずき合っていた。
(侯爵夫人は、そういう方なのね)
お客様方の困った顔を、一つずつ見た。皆様、木曜の小客間で、私にお茶を淹れさせてくださった方々だ。困らせたくはなかった。
「どちらへいらしても、お迎えいたします」
私は言った。
「披露の夜も、木曜の午後も。いらしてくださった方は、私がお迎えします。いらっしゃれない方のお席も、空けてお待ちしております」
子爵夫人が、扇の動きを止めて、私を見た。
「……あなたって、本当に」
子爵夫人は、その先を言わなかった。
四時の鐘が鳴って、お客様方が帰ったあと、ヘートヴィヒ様が私の隣で言った。
「リーケ。披露の客の名簿と、席の割りふり。あなたに任せるわ」
「私で、よろしいのですか」
「この家の客は、もう、あなたの客ですもの」
帰りの馬車の中で、私はもう、名簿のことを考えていた。
侯爵夫人に睨まれては困るお宅の方には、扉の近くのお席を。顔を出してすぐに侯爵家へ回られても、誰の目にも立たないように。それでも残ってくださる方には、暖炉の近くの、温かいお席を。
名簿のいちばん上の欄を見て、私は少しだけ迷った。それから、ティネケ様のお名前を書き込んだ。いらっしゃるかどうかは、分からないけれど。




