公爵家の在宅日
公爵家の客間の暖炉には、朝から火が入っていた。
白い布は、ひと晩のうちにすべて外されていた。磨かれた床に、秋の午後の光が長く伸びている。暖炉のそばには背もたれの高い椅子を、窓際の明るい側には若い方の椅子を、窓から遠いところには、いちばん座り心地のいい椅子を一つ。週の初めに私が申し上げたとおりに並んでいた。
「マウリッツが、ゆうべ遅くまでかかったのよ」
ヘートヴィヒ様は、客間の真ん中の長椅子に座って、扇を膝に置いた。私はその隣に座った。ヘッダは部屋の隅に控えている。閣下は、窓際のいちばん端の、布の掛かっていなかったあの椅子にいらした。
「誰も来なかったら、どうしましょうね」
ヘートヴィヒ様は、少しも心配していない声で言った。
「名簿の欄を書き足したのは、おととい。誰も見ていないかもしれないわ」
二時の鐘が鳴った。
鐘が鳴り終わって、ほどなく呼び鈴が鳴った。
◇
「ドルン男爵様が、お見えでございます」
マウリッツの声が、少し上ずっていた。
客間の戸口に、杖をついた男爵が現れた。足元で、ボッケが尻尾をちぎれそうなほど振っている。
「これはこれは、大奥様。お初にお目にかかります。……下のお嬢さんは、ああ、いらした」
男爵は、ヘートヴィヒ様に深く頭を下げてから、私を見つけてほっとした顔をした。
「名簿を見ましたらな、公爵家の欄に、木曜とありまして。木曜なら、下のお嬢さんがおられるだろうと」
「ようこそ、男爵様。ボッケも」
私が呼ぶと、ボッケは私の靴に鼻をつけて、一番いい顔をした。
「マウリッツ、男爵様には濃いめのお茶を。それから、焼き菓子の端を少しだけ、小皿に」
「かしこまりました」
マウリッツが下がる前に、もう呼び鈴が鳴っていた。
ファン・ホーフ子爵夫人がいらした。窓から遠い、いちばん座り心地のいい椅子へ、私がご案内した。子爵夫人は座ってから、日の当たる側を一度見て、満足そうに扇を開いた。
南の生まれの若い夫人がいらした。同じころに着いた年配の殿方が、南の港町のご出身だと、私は知っていた。春の木曜に、そうおっしゃっていたからだ。お二人を引き合わせると、すぐに同じ浜の名前が出て、話が弾み始めた。
近衛の若い士官がいらした。春に伯爵家の図書室から借りていった本を、両手で抱えていた。ヨーリス・ファン・ローン様だ。
「お返しが遅くなりまして。恐縮です」
「最後までお読みになりましたか」
「三度、読みました」
呼び鈴は、鳴りやまなかった。
木曜にお茶をお出ししたことのある方が、次々にいらした。名簿の新しい欄を見て、とおっしゃる方もいれば、子爵夫人から聞いて、とおっしゃる方もいた。どなたも、戸口で最初に私の顔を探した。
私は、お一人ずつ、お名前でお迎えした。お好みのお茶と、座る椅子を、マウリッツにそっと伝えた。マウリッツは途中から、手帳を出して書き取りながら盆を運ぶようになった。
ふと隣を見ると、ヘートヴィヒ様が、扇を止めて私を見ていた。
「あなた、この方たちを、皆ご存じなの」
「木曜にいらした方は、皆」
ヘートヴィヒ様は、口を開きかけて、閉じた。そして、部屋の向こうのマウリッツと目を見交わした。マウリッツが、ほんのわずかに首を横に振った。驚いております、という首の振り方だった。
◇
窓際の閣下のところへは、誰も行かなかった。
正しくは、行こうとした方は、何人かいらした。年頃の娘さんを連れた奥様が、閣下のほうへ娘さんの背中を押しかけたとき、私はその奥様に、去年の秋にお嬢様が刺していらした刺繍のことを伺った。奥様は嬉しそうに話し始め、娘さんは真っ赤になって母親の袖を引いた。紹介は、そのまま流れた。
閣下は窓際で、一人でお茶を飲んでいた。一度だけ、私のほうを見た。言葉はなかった。ただ、カップを持つ手の小指が、少しだけ上がっていた。
◇
四時に近いころ、呼び鈴がもう一度鳴った。
「クローネンベルフ侯爵夫人と、ティネケお嬢様がお見えでございます」
客間の話し声が、すっと低くなった。
戸口に、濃い緑のドレスの婦人が立っていた。川向こうの侯爵家の夫人だ。五月の最後の木曜、閣下がいらっしゃると噂を立てて、うちの家族を音楽会へ呼び寄せた方。その後ろに、淡い黄色のドレスの若い令嬢が、扇で顔を半分隠して立っていた。
侯爵夫人は、ローゼンダール家の木曜に、一度もいらしたことがない。私は、初めてお迎えするお客様として、膝を折った。
「ようこそいらっしゃいました、侯爵夫人。ティネケ様も」
侯爵夫人は、私を上から下まで、ゆっくりと眺めた。
「あなたが、留守番のお嬢さんね」
「はい」
「公爵家の女主人になる方が、留守番だなんて。務まるのかしら。王都の方を、どれほどご存じなの?」
侯爵夫人は笑顔のまま、客間の隅々まで届く声でそう言った。
客間が、しんとした。
私が口を開く前に、窓から遠い椅子のほうで、扇の閉じる音がした。
「わたくしは、木曜の小客間で、日の当たる椅子を勧められたことが一度もございませんわ」
扇の主は、ファン・ホーフ子爵夫人だった。
「うちの犬の名前を、うちの女中より先に覚えておられた」
男爵が、杖の先で床を軽く叩いた。
「わたくし、王都に知り合いが一人もおりませんでしたのに、今日、同じ浜の方にお会いできました」
南の生まれの若い夫人が、小さな声で、けれどはっきりと言った。
侯爵夫人の笑顔の、口元のあたりがこわばった。侯爵夫人はそれ以上は何も言わず、娘の背中に手を当てた。
「ティネケ。閣下にご挨拶を」
閣下が立ち上がった。窓際へ押し出されたティネケ様に一礼して、それだけで、また窓のほうへ向き直った。
ティネケ様は、扇の陰で、ほっと息をついた。それに気づいたのは、たぶん私だけだった。ティネケ様の目は、閣下ではなく、部屋の反対側で本を抱えている若い士官のほうへ、一度だけ動いた。
四時の鐘が鳴った。
「皆様、お帰りの時刻でございます」
私が申し上げると、客間のあちこちで笑い声が上がった。男爵が「これを聞かんと、木曜が終わった気がしませんでな」と言いながら立ち上がり、ほかの方々も、それぞれ私に挨拶をして戸口へ向かった。
ヘートヴィヒ様が、目を丸くしていた。
玄関の広間で、侯爵夫人が振り返った。外套を肩に掛けさせながら、客間に残った人たちにも聞こえる声で言った。
「秋の披露の夜は、うちも夜会を開きますの。異国の歌い手をお呼びしますのよ。皆様、どちらへいらっしゃるかしら」




