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二十三時四十七分の異世界転生 ――夜勤作業員、王国を掃く――  作者: もしものべりすと


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第七章 忍び寄る悪者

真実は、いつも嫌な顔をしてやってくる。今度のそれは、ぼくがよく知っている顔をしていた。


 第二波の翌週、ツルム伯爵が再びリシアを訪れた。今度は支援の名目だった。馬車三台分の食糧と、二十名のハルガル兵を「即時の防衛協力」として連れてきた。


 馬車の食糧は、確かに豊富だった。小麦袋、塩漬けの豚、干した魚、香辛料の小瓶、葡萄酒の樽。城下の人々は、馬車を見送るとき、わずかに、複雑な表情をしていた。彼らは、食糧が必要だった。だが、提供者の意図を、本能的に疑っていた。腹が減っているときほど、人は、与えられた食糧の意味を、深く問い詰める余裕を失う。これが、たぶん、ツルムの計算だった。


 ハルガル兵二十名は、城下の宿に分宿した。彼らの装備は、リシア兵の二倍以上の質だった。剣は鋼の純度が高く、鎧は均一に磨かれていた。彼らは礼儀正しく振る舞い、酒も飲まず、女性に手を出さなかった。表向きは、模範的な「協力者」だった。けれど、彼らは、城下の地形を、毎日少しずつ、足で測って歩いていた。井戸の位置、城壁の高さ、城門の鎖の位置。彼らの目は、観光客の目ではなかった。


 謁見の間で、ツルムは滔々と語った。


「リシアの皆様の奮戦には、ハルガル王陛下も深く感銘を受けておられます。つきましては、両国の絆をより強固にすべく──」


 彼が提案したのは、表向きは「相互防衛同盟」だった。両国軍の指揮系統を統合し、ハルガル軍がリシア領内に常駐する。リシアの徴税の一部をハルガルが管理する。そして、王位継承に関する「相互保証」。


 ぼくの隣で、フィンが歯を食いしばる音がした。これは、過去三回繰り返されてきた、併合の手順だった。


「お返事は、急ぎませんが、来週までに」


 ツルムは微笑んだ。


「魔窟領域の動きが、活発化しております。我が国の最新の調査によれば、今月中に、史上最大規模のホードが押し寄せる可能性が高い。リシア単独でこれを凌ぐのは──不可能でしょう」


 ナイラ様は静かに頷いただけで、答えなかった。


 会議が終わった後、ぼくはナイラ様の執務室に呼ばれた。フィンと、若い騎士のカルロも同席していた。


 執務室は、思っていたよりも、簡素だった。書棚が壁を埋めていて、書物が、整然と並んでいた。中央に、大きな樫の机があり、その上に、現状報告らしき紙の束が、いくつかの山に分けて積まれていた。ナイラ様は、立ったまま、ぼくらを迎えた。彼女は、椅子に座る習慣を、戦時に入ってから、捨てたらしかった。立ち続けることで、自分の意識を、緊張のうちに保っているように見えた。


 ぼくは手帳を開いた。


「これは、ハルガルがこの十二年間で関わった三つの併合事例の記録です」


 ぼくはページを示した。エルトラ。ヴェヌス。シリア。日付。署名。死者。三つの王国の名前が、同じ手順で消えていた。


「すべて、ツルムが関わっています。そして、すべての併合の直前に、その国は、当該地域の歴史上最大規模のホードに襲われています」


 部屋が静まり返った。


「魔物を、誘導している、と?」


 ナイラ様が、声を低くして聞いた。


「物的証拠はありません。でも、確率的に偶然ではありえません。三件すべてが、ハルガルとの『協力協定』調印から半年以内に発生しています。確率を計算すると──」


 ぼくは手帳の余白に、小さな計算式を書いた。


「百二十年に一度の偶然より、ずっと低い確率です」


 フィンが机を叩いた。


「狗どもが、と分かっていた。だが証拠が取れなんだ」


「物的証拠はない。だが、状況証拠は、十分以上に揃っている」


 ぼくは言った。それから付け加えた。


「ぼくは、しばらくツルムに監視されていると思います。あの人は、ぼくの手帳の存在を察知しています」


 カルロが、ぼくの方を見た。


「朝霧殿。あなたを、護衛します。私の部隊から、信頼できる者を、二名、夜間にお部屋の外に立たせます」


「ありがとうございます。でも、過剰な警戒は、かえって相手を刺激します。普段通りで、お願いします」


 ナイラ様は、長いこと黙っていた。それから言った。


「カルロ。城外への密偵を増やせ。ハルガル軍の動きを、最大限に把握しなさい。フィン、城下の物資を、最悪の事態に備えて再配分。整え師殿は、ホード対応のさらなる手順整備を」


 彼女は立ち上がった。


「私は、ハルガルの提案を、引き延ばす。決して受け入れない。この国は、私の代で売らない」


 その日の夕刻、ぼくは中庭でツルムと擦れ違った。


 偶然ではなかった。彼が、ぼくを待っていた。


「整え師殿」


 彼は微笑んだ。鶴丸さんと、同じ微笑みだった。


「お前、随分と王女に気に入られているようだな」


「お役に立てているなら、嬉しいです」


「お役に、ね」


 彼は鼻で笑った。


「お前のような陰気で地味な人間が、英雄になれると思うな」


 時間が、止まった。


 ぼくの目の前で、ツルムの姿に、鶴丸さんの姿が重なった。深夜のパーク控室。蛍光灯の青白い光。プラスチックのテーブル。冷えた缶コーヒーの匂い。鶴丸さんが、同じ言葉を、同じ調子で言った。三年前。新人賞のノミネートから外されて落ち込んでいた、ぼくに向かって。


「お前みたいな陰気で地味な人間が、表彰なんて受けると思うな。お前は、永遠に俺の下にいるべきだったんだ」


 あの夜、ぼくは何も言い返せなかった。控室の隅で、缶コーヒーを握り潰しただけだった。あの缶の凹みが、たぶん、ぼくの中の何かを永遠に凹ませた。


 あの夜から、ぼくは、自分のことを、「陰気で地味な人間」と呼ぶようになった。誰かに、そう呼ばれる前に、自分で、自分を、そう呼んだ。先回りして、自分を貶めることで、誰かに貶められる痛みを、わずかに減らすことができた、ような気がしていた。本当は、何も減らせていなかった。痛みは、内側で、沈澱していた。


「お前は、永遠に私の下にいるべきだったんだ。掃除人」


 ツルムは、まったく同じ言葉を、ここで使った。違う世界で、違う顔で、同じ声で。


 ぼくの足が震えた。手帳を握る指が、また白くなった。


「言葉を、お返ししますが」


 ぼくは、声を絞り出した。それは、自分でも驚くほど、弱々しい声だった。


「ぼくは、誰の、下にもいません」


「ほう」


 ツルムは目を細めた。


「では、一週間後を楽しみにしている。お前の主人がどう転ぶか、見ものだ」


 彼は背を向けて去った。マントの裾が、風もないのに静かに翻った。


 ぼくは、その夜、宿舎で一人、手帳を握り締めていた。


 書きかけのページが、開いたままだった。「ハルガル軍陣形図、要分析」。フィンに言われた、あの宿題だった。広げる気力がなかった。ぼくが何を書いても、何を分析しても、ツルムにも、鶴丸さんにも、勝てる気がしなかった。


 あの人たちは、何もしなくても勝つ人たちだった。声が大きく、振る舞いが堂々として、誰よりも先に手を挙げる人たちだった。記録なんて、必要としない。記憶力すら、たぶん必要としない。彼らは、忘れることが許される側の人間だった。


 ぼくは、忘れないようにすることでしか、生きてこられなかった人間だった。


 窓の外を、見た。


 城下の家々の窓に、ぽつぽつと灯りがともっていた。ある家の窓では、母親と思われる人物が、子どもに本を読み聞かせていた。手の動きで、それが分かった。ある家の窓では、夫と妻と思われる二人が、向かい合って、夕食を食べていた。皿の上の何かを、男の方が、女の方の皿に取り分けていた。それは、たぶん、肉の塊で、それがその家の今夜の贅沢だった。


 ぼくは、その人々を、一晩中、守ろうとしてきた。リシアに来てからの、まだ短い日々だが、ぼくは、必死で、彼らの夜を、支えようとしてきた。けれど、ツルムの一言で、ぼくの内側は、簡単に崩れた。鶴丸さんと、同じ言葉を、同じ調子で言う、たった一人の男に。


 手帳のページを、ぼくは静かに閉じた。閉じた手帳を、机の隅に置いた。それから、ベッドに横になって、目を閉じた。


 目を閉じても、眠れなかった。


 窓の外で、夜風が、何かを引きずるような音を立てていた。それは、たぶん、宿の裏庭の物干し竿に、誰かが洗濯物を干したまま忘れていたのだろう。風で、布が、ずるずると動いていた。その音が、ぼくの中で、自分の中の何かが引きずられている音と、重なって聞こえた。

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