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二十三時四十七分の異世界転生 ――夜勤作業員、王国を掃く――  作者: もしものべりすと


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第四章 整列の魔法

「並んでください」とぼくは言った。城下の人々はぼくを見た。剣も魔法も持たない、痩せた異邦人を。それでも、誰かが最初に列の先頭に並んだ。


 城門前広場は、すり鉢状の傾斜地だった。北側の高台に城門があり、南側に向かって下がる地形。避難民の流れがここに集まると、押し合い圧し合いになる。すり鉢の底に向かって人が押し寄せる構造は、人混みで最も危険なパターンだった。


 ぼくは手帳の手順を頭の中で確認しながら、まず四つのことを同時に進めた。


 第一に、流れの分割。城門に向かって一本の列を作るのではなく、人々を年齢と荷物の量で三つの列に振り分けた。子どもと老人は中央列。荷物の多い者は左列。身軽な者は右列。これだけで、すり鉢の底で発生する圧力が三分の一になる。フェイクパス分散と、ぼくらの業界では呼んでいた手法だった。


 第二に、合流地点の流量制御。三本の列が城門の手前で再合流する地点に、若い兵士を二人立たせた。彼らに「五人通したら手を上げる、上げたら次の列を通す」と教えた。比率は二対一対二。これで一定のリズムが生まれる。リズムが生まれれば、群衆はパニックになりにくい。


 第三に、リードボイス。列の先頭に立つ案内係を、各列に一人ずつ置いた。彼らに大きな声で、決まったフレーズを繰り返させた。「前を見て、止まらないで、押さないで」。同じ言葉を同じ調子で、二十秒に一度ずつ。これがあると、群衆の意識が言葉に同期する。意識が同期すれば、足並みが揃う。


 第四に、待機列の心理ケア。広場の入口で、進行状況を伝える連絡係を配置した。「あと十分です」「半分まで来ました」。情報が来ない時、人は最悪を想像する。情報が来れば、待てる。たったそれだけのことだった。


 半時間後、避難はほぼ円滑に進んでいた。圧死者ゼロ。負傷者三名。当初の見積もりからすれば、奇跡に近い数字だった。


 城壁の上では、戦いが始まっていた。


 ぼくは初めて魔物を見た。


 四足歩行の、黒くて、毛が逆立った、犬ほどの大きさの生きもの。目が四つあって、顎から牙が下に向かって伸びていた。それが百匹単位で押し寄せてきた。城壁の弓兵が矢を放つ。半分は当たり、半分は外れ、当たったものの半分は致命傷にならなかった。前線の兵士たちは疲弊していた。


 城壁の上では、独特の臭いが立ち込めていた。魔物が血を流すと、青黒い液体が地面に染み込み、わずかに硫黄に似た匂いを放った。それは、地球のどんな動物の血の匂いとも、違っていた。腐肉の臭いと、化学薬品の臭いの中間のような、生きものとしての違和感のある匂い。ぼくは、その匂いを嗅ぐと、奥歯がじんじんと痺れた。たぶん、人間の体が、本能的に、これは「敵」だと認識する種類の匂いだった。


 城壁の下では、十数体の魔物が、すでに矢で倒されていた。けれど、その死体の山を踏み越えて、新しい波が押し寄せてくる。彼らには、恐怖がなかった。仲間が倒されても、立ち止まらない。ためらわない。ただ、前へ、前へと、押し寄せてくる。それは、生き物というより、何か別の意志に動かされている、機械の群れのような印象だった。


「兵士のローテーションが乱れています」


 ぼくはフィンに耳打ちした。彼は城壁上の指揮官の隣に立っていた。


「同じ部隊が二時間ぶっ通しで弓を射ています。集中力が落ちて、命中率が四割減ります。三十分ごとに、後方の予備部隊と入れ替えてください。一部隊あたり休憩は最低十分。水と乾パンを用意します」


 指揮官はぼくを胡散臭そうに見た。フィンが頷くのを見て、しぶしぶ命令を出した。


 効果は、半時間後に表れた。命中率が回復し、防御線が安定した。物資集積所からは、セレスの仕切りで、矢の補給が途切れずに続いていた。彼女は若いのに、出庫の判断が早く、的確だった。たぶん、長く貧しい家で家計を切り盛りしてきた経験が、こんな場面で活きていた。


 城壁の中段で、ぼくは負傷者の救護所の組織化を手伝っていた。傷を負った兵士たちが、次々と運び込まれていた。傷の重さによって、三段階に分類した。すぐに止血が必要な者は、入口の左側。安静と水分補給で済む者は、奥。命の助からない者は、その手前に毛布をかけて、少しでも穏やかに、最後を過ごしてもらう場所。これは、地球では「トリアージ」と呼ばれる手法で、夢幻ファンタジアの応急処置員研修で、ぼくも一度、教わっていた。一度しか教わっていないのに、なぜか、そういう知識は、頭のどこかに残っていた。


 救護所の医師は、最初、ぼくの分類に文句を言った。彼は「全員を、平等に救うべきだ」と言った。ぼくは「全員を平等に救おうとすれば、たぶん、誰も救えません」と答えた。彼は、しばらく、ぼくを睨んだ。それから、自分の手を見て、「分かった、お前のやり方で、やってみよう」と、低い声で言った。彼の手は、もう、誰の手より、血で汚れていた。彼は、たぶん、本当は、ぼくの言うことが、正しいと、分かっていた。


 ホード第一波は、夜明けまでに退いた。


 城壁の上で、若い騎士が一人、ぼくに頭を下げた。


「カルロと申します。あなたの……指示で、私の部隊は無傷で勝ちました。最初は、こんな掃除人みたいな男の言うことを聞かされて、と腹を立てていましたが」


 彼は顔を上げて、はにかんだ。年は二十二くらい。金髪を短く刈り込んでいて、目尻に幼さの残る男だった。


「あなたの指示は、的確でした。誤解をお詫びします」


「いえ、頭を上げてください。ぼくは、ただの……」


「掃除人さん、で構いませんか」


「あ、ええ、それでいいです」


 ぼくはぎこちなく笑った。カルロも笑った。


 城壁の階段を下りながら、カルロが、ぼくの隣を歩いた。彼の鎧の隙間から、汗の匂いと、鉄の匂いが、混ざって立ち上っていた。彼は、首筋を、片手で拭いながら、言った。


「朝霧殿。一つ、聞いてもよろしいですか」


「はい」


「あなたは、なぜ、ご自分のような方が、ご自分の国で、評価されないと、おっしゃるのですか。私の目には、あなたは、どこからどう見ても、有能な方に見えます」


 ぼくは、しばらく、答えに、迷った。


「ぼくの国では、声が大きい人と、目立つ仕事をする人が、評価されるんです。ぼくは、声が小さい。仕事は、目立たない。だから、評価されないんです」


「奇妙な国ですね」


 カルロは、軽く首を振った。


「私の故郷の村では、声の小さい人ほど、長老に重んじられました。声の小さい人は、よく考えて話す、と。声の大きい人は、いまの瞬間しか考えていない、と。私の祖父は、そう言っていました」


 ぼくは、彼の祖父に、会ってみたかった、と思った。会ってみて、深く、頭を下げたかった。世界には、ぼくの国とは違う物差しを持つ村も、たぶん、あるのだった。


 昼になって、城の謁見の間に呼ばれた。ナイラ様が玉座の傍らに立っていた。王座は空席だった。前王はホード対応で行方不明、噂では戦死との情報もあるとフィンが教えてくれた。


「異邦人、よくやった」


 ナイラ様は短く言った。彼女の声には、初めて熱に似たものが含まれていた。


「お前を、リシア王国の正式な客人として迎える。住居と給金を出す。条件は一つ。次のホード波までに、城下と城壁の防衛体制を、可能な範囲で『整えろ』」


 整えろ、という言葉に、彼女はわずかに笑みのようなものを乗せた。


「掃除のように」


 ぼくは、その日初めて、自分が何かに役立っているという感覚を、体の真ん中で受け取った。


 謁見の後、フィンに案内されて、城下の小さな宿舎を、与えられた。ぼくの新しい住居だった。窓の外には、城下町が一望できた。ベッドは石造りの台座に、薄い藁布団が敷かれていた。机が一つ、椅子が一つ、棚が一つ。最低限の家具。けれど、ぼく一人が、誰にも干渉されずに使える空間が、ここに、あった。地球の自分のアパートでさえ、これほど自由に使えた感じは、なかった。


 ぼくは、机の上に、手帳を、置いた。


 手帳は、机の真ん中に置くと、まるで、その机の本来の主であるかのように、収まりよく見えた。たぶん、机が、書くために作られたものだから、書くものが置かれることが、机の幸せなのだろう。ぼくは、そんな、馬鹿げたことを、思った。


 夕方、フィンが、夕食を一緒に取らないかと、誘ってきた。城下の小さな酒場で、塩漬けの豚と、スープと、黒パン。葡萄酒は、頼まなかった。代わりに、薄いエールを飲んだ。


「お前、家族はおるのか」


 フィンが聞いた。


「両親は、いますが、もう、ずっと、会っていません」


「兄弟は」


「いません」


「結婚は」


「していません」


「そうか」


 フィンは、頷いた。


「俺もな、似たようなもんだ。傭兵を三十年やって、家族は、戦で皆な失った。今は、城門の番をしながら、ナイラ様の身を守るのが、仕事だ」


 ぼくらは、しばらく、黙って食べた。夜が、ゆっくりと、城下に降りてきた。窓の外で、街灯のような大きな松明が、点々と、ともされ始めた。誰かが、夜の街を、整えていた。たぶん、ぼくが、まだ会ったことのない、夜勤の人々が。


 その夜、ぼくは中庭の隅で、夜空を見上げた。地球の星座とは違う星々が、ガラス細工のように散らばっていた。手帳をポケットから取り出して、新しいページに書き込みを始めた。


「リシア王国、ホード第一波。避難民総数約三千。圧死者ゼロ。次回までの改善点──」


 書きながら、思った。ぼくの仕事が、誰かの役に立っている。


 今までにない感情だった。それは喜びでもあったし、もっと静かな、もっと深い、何かでもあった。三年間、毎晩、同じ仕事を繰り返してきた。何も生み出さない仕事。誰の記憶にも残らない仕事。終わったあと、何も自分のものにならない仕事。それを、ぼくは続けてきた。続けてきたことが、ぼくは無意味だと、たぶん、心の底のどこかで、ずっと思っていた。


 今日、その感覚が、わずかに揺らいだ。


 ぼくの手順で、人が死ななかった。ぼくの記録で、列が円滑に動いた。ぼくの何気ない一行のメモが、誰かの命を、たぶん、一日延ばした。


 それを、ぼくは、誇りに思っていいのだろうか。


 答えは、まだ、出なかった。けれど、出ない答えを、ぼくは、今夜、初めて、自分の中に抱いて寝ることができた。それだけで、たぶん、十分だった。

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