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二十三時四十七分の異世界転生 ――夜勤作業員、王国を掃く――  作者: もしものべりすと


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第三章 城下の整え方

棚は埋まっていた、でも空っぽだった。何がどこにあるか誰も知らない。それは存在しないのと同じだ。ぼくはレジ袋からシャープペンを取り出した。


 最初の二日で、ぼくは倉庫を全部の棚ごとに分解した。物資を一度すべて床に降ろして、種類別に積み直した。武具、食糧、医薬、布、燃料、その他。これがマーチャンダイズで言うところの「カテゴリー陳列」だ。次に、使用頻度別に棚の高さを決めた。一日に何度も出し入れする物は腰の高さに。週に一度しか触らない物は上か下に。倉庫業界では「ABC分析」と呼ばれる手法で、夢幻ファンタジアのバックヤードでも当然のように使われていた。地球の知識ではない。それはただ、倉庫を効率的に動かすための、誰でも知っている当たり前の手順だった。


 最初の朝、フィンは半信半疑の目でぼくの作業を見ていた。倉庫の中は、ぼくが物を動かす度に、埃が舞った。古い穀物倉庫を転用した建物は、天井が高く、梁の上には鳩の巣があった。鳩たちは、ぼくの作業を、上から不思議そうに見下ろしていた。彼らも、たぶん、こんな状況を初めて目にしたのだろう。


 昼を過ぎると、フィンの目つきが変わってきた。彼は、ぼくが物を動かす順番に、何かしらの法則性があることに気づき始めていた。「お前、軍隊にいたことは?」と聞かれたが、ぼくは首を横に振った。「では、商人か」「いいえ」「では、どこで、これを習った」。ぼくは少し考えてから、答えた。


「ぼくの仕事です。毎日、夜中に、こういうことを、やっていました」


 フィンは、しばらく黙った。それから、「お前の国は、奇妙な国だな」と言った。


 彼は、扉のところを動かなかった。ぼくが棚を組み替え、札を作り、種類別に紐で結び、出し入れの動線を確保している間、彼はずっと、扉のところで、煙草に似た葉を巻いた何かを吸いながら、ぼくを見ていた。途中で「水を飲め」と水筒を投げてくれた。それから、夕方には「腹減っただろう」と、温かい黒パンと、塩漬けの肉と、薄いチーズを持ってきてくれた。ぼくは、座って食べた。彼も、隣に座って食べた。


 彼は何も言わなかったが、彼の隣に座って黒パンを食べる時間が、ぼくにとっては、たぶん、リシアに来てから最初の、ささやかな安堵だった。


 三日目の朝、女の子が倉庫の入口に立っていた。


 十四歳くらい。亜麻色の髪を後ろで一つに結って、エプロンの裾をぎゅっと握っていた。頬に煤の汚れ。手は荒れていて、年齢に似合わない労働の痕があった。


「あの、私、セレスです。今日からここで働けって、フィンおじさんに言われて……」


「朝霧、です」


 ぼくは少し驚いて、それから棚を指差した。


「とりあえず、ここから始めよう。今日中に医薬の棚だけ覚えてくれればいい。覚え方は、こうやって紙に書く」


 ぼくは手帳の予備のページを破って、簡単な棚のマップを書いた。


「すごい、何これ、こんなに分かりやすい」


 セレスは目を丸くした。


「これ、私もらっていいですか」


「いいよ。明日、もう一枚作るから」


 セレスは紙を両手で受け取って、エプロンのポケットの一番奥に大事そうにしまった。その仕草に、ぼくは何かを思い出しそうになって、思い出せなかった。


「あの、朝霧さん」


 セレスが、棚を整理しながら、ぼそっと言った。


「私、お父さんが去年、魔物にやられて、死にました。お母さんは、私が小さい時に、流行病で。だから、家には、弟しか、いないんです。十一歳の」


 ぼくは、手を止めた。


「弟が、お腹を空かせているの、分かるんです。私が物資集積所で働ける、って聞いて、すごく嬉しかった。給金が、貰えるから」


「うん」


「だから、一生懸命、働きます。これ、ちゃんと、覚えます」


 彼女は、紙をもう一度、丁寧に折り直して、エプロンの奥に、しまった。


 ぼくは、彼女を見ながら、思った。この子は、たぶん、十四歳には見えない、もっと大人びた目をしている。けれど、それは、彼女が、生まれた時から、生きるために、必死で働いてきた目だった。地球の十四歳とは、たぶん、違う種類の十四歳だった。でも、人として、根本のところは、変わらない。誰かに必要とされたい。誰かに、ありがとうと、言われたい。それだけのために、人は、たぶん、何時間でも、棚を整理することができる。


「セレス」


「はい」


「君のような若い子に、こんな仕事を任せて、ごめんね」


「いえ、嬉しいです」


 彼女は、初めて、ぼくの方を、まっすぐに見た。


「私、自分が、誰かの役に立っている、って、感じたかったんです」


 ぼくは、頷いた。それ以上、何も言えなかった。それは、まったく、ぼく自身の願いでもあったから。


 四日目の午後、ナイラ様が倉庫の視察に来た。


 整然と並んだ棚。種類別に色違いの紐で結ばれた箱。入庫日と数量を記した札。誰でも見れば一目で残量が分かる仕組み。彼女は黙ってそれを見て、それからぼくの方を振り返った。


「この札、誰が書いたの」


「ぼくです、王女様。あ、ナイラ様」


 ぼくは慌てて訂正した。


「文字は、セレスが手伝ってくれました。ぼくはこの国の文字が書けないので」


 ナイラ様は何かを言いかけて、止めた。それから一拍置いて、口を開いた。


「あなたの、その帳面」


 ぼくは手帳を差し出した。彼女は受け取って、ページを慎重に捲った。読めない文字でびっしりと書かれた図と表。死角ポイントの記録。動線の最適化。混雑時の人員配置。閉園後の補充ルート。


「これは何の記録なの」


「ぼくの、仕事の手帳です」


「あなたの世界では、これは何の仕事?」


 ナイラ様の声が、初めて、わずかに柔らかくなった気がした。ぼくは少し迷ってから、答えた。


「掃除と、片付けと、人を整列させる仕事です。誰にも、特に評価されない仕事です。でも、これがないと、たぶん、ぼくの働いていた場所は、明日には潰れてしまう」


 ナイラ様は手帳を閉じた。表紙の角を指でなぞって、それから、ぼくに返した。


「掃除、ね」


 彼女は短く言った。それから、踵を返して、倉庫を出ていった。


 その日の夜半、警鐘が鳴った。


 高い音。短く、鋭く、三回。続いて、低い銅鑼のような音が二回。倉庫で寝起きしていたぼくとセレスは飛び起きた。フィンが扉を蹴破る勢いで入ってきた。


「予定より早い。ホード第一波が、北の関所まで来ている」


 セレスの顔から血の気が引いた。窓の外で、城下の家々の窓に、次々と灯りがともった。誰かが叫ぶ声。馬のいななき。子どもの泣き声。鈍い金属音は、たぶん、城門の鎖を巻き上げる音。それから、北の方角で、何かが、低く、地鳴りのような音を立てていた。それは、足音だった。たくさんの、たくさんの、何かの足音が、北から、城下に向かって、近づいてきていた。


「私、家族が城壁の外に……」


「家族ごと城内に避難させる。お前はここで物資の出庫を仕切れ。どれを優先してどこに運ぶかは──」


 フィンはぼくを見た。


「お前が決めろ、異邦人」


「ぼくが、ですか」


「他に誰がいる」


 彼は、ぼくの肩を、強く、一度、叩いた。傷だらけの大きな手のひらが、ぼくの肩を、痛いくらいに掴んだ。そして、すぐに離した。それは、ぼくが、生まれて初めて、誰かに「お前を信じる」と、言葉ではなく身体で言われた経験だった。


 ぼくの胸の奥で、何かがまた小さく動いた。今度は、はっきりと震えに似ていた。それは恐怖でもあり、何か別のものでもあった。


 外では避難民の列が城門に殺到していた。混乱。叫び声。子どもの泣く声。荷物を抱えた老人。馬車。数百人の群衆が、四メートル幅の城門に向かって押し寄せていた。このままでは、誰かが圧死する。


 ぼくは無意識に、手帳のあるページを開いた。「特別ナイトイベント終了時、中央広場からゲートまでの分散誘導手順」と書かれたページだった。三年前、夢幻ファンタジアの花火大会で、十万人の客が一斉に出口に向かった夜の記録。


 あの日、ぼくらはどう捌いたか。


 答えは、ぼくの手の中にあった。


 花火大会の夜、ぼくは、新人だった。班長が、ぼくに、ある一画の誘導を任せた。中央広場の南西側。コインロッカー脇の、ちょっとした凹み。そこで、酔った客同士の小競り合いが起きそうな気配があった。班長は、ぼくに「お前は、前に出るな。後ろから、流れを変えるんだ」と言った。ぼくには、最初、その意味が分からなかった。


 ぼくは、その晩、何時間も、コインロッカーの脇で、酔客の流れを観察した。流れが、ある一点で、必ず詰まる。詰まると、後ろの人が、前の人を押す。前の人が、横の人を押す。すると、横の壁にぶつかった人が、酔って怒り出す。これが、トラブルの種だった。


 ぼくは、その夜、詰まる場所の三歩手前に、紙コップで作った簡易の案内コーンを、二つだけ、置いてみた。それが、流れを、わずかに、左に振った。それだけで、詰まる場所が、五メートル先に、移動した。新しい詰まる場所では、もう、酔客が押し合うほどの人数は、来なかった。トラブルは、起きなかった。


 班長が、夜が明ける頃、ぼくの肩を叩いて、「お前、いいセンスだ」と、たった一言、言った。


 あの一言が、たぶん、ぼくの手帳の出発点だった。書かれていたから、今、ここで、ぼくは、思い出せた。書いていなかったら、たぶん、ぼくは、もう、忘れていた。


 ぼくは、手帳を握り直して、走り出した。城門前の広場に、向かって。

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