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二十三時四十七分の異世界転生 ――夜勤作業員、王国を掃く――  作者: もしものべりすと


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第二章 知らない王国にて

石の天井。湿った藁。錆びた鉄格子。ぼくはまだ生きていた。問題は、ここがどこなのか、誰にもわからないことだった。


 最初に意識を取り戻した時、肋骨の奥に重い鈍痛があった。次に背中の冷たさ。それから、鼻を突く藁の埃と、どこか遠くで滴る水の音。ぼくは仰向けに寝かされていた。手探りで自分の体を確かめる。職場の制服。撥水加工の合羽。腰のベルトに業務用ライトとタブレットケース。ポケットには、半分潰れた手帳と、銀色の鈴。それから、班長が朝食用に渡してくれていたレジ袋には、水のペットボトルとカロリーメイトの空き箱、シャープペンの替え芯。


 ライトをつけると、青白い光が、湿った石壁を照らした。鉄格子の向こうに、松明の橙色の光が揺れている。蠟ではなく、樹脂か何かが燃える独特の匂い。アルコール消毒液の刺激臭とは正反対の、原始的な煤の匂いだった。


「異邦人。気がついたか」


 声がした。鉄格子の向こうに、男が一人立っていた。革と鎖で出来た鎧。腰に剣。黒い髭。年は四十代後半か五十代。傷だらけの顔をしている。歴戦の傭兵のような風格があった。


 彼の鎧は、何度も補修された跡があった。鎖帷子の編み目が、ところどころ、色の違う鎖で繕われていた。それは、彼が、自分の鎧を、自分で繕う人間だということを、物語っていた。誰かに作ってもらうのではなく、誰かに任せるのではなく、自分の身を守る道具を、自分の手で、整える。それが、彼の流儀だった。ぼくは、その鎧を見た瞬間、この人とは話が通じる、と、本能的に、思った。


「ここは……どこですか」


 ぼくは喉から声を絞り出した。喉が砂を飲んだみたいに痛んだ。


「リシア王国王城地下牢。お前は嵐の夜、北の魔窟領域近くで意識を失って倒れていた。装備が異様だ。素材も色も、見たことがない」


 彼はぼくのライトを指差した。


「それは、聖典に出てくる『光の杖』か」


「いえ、これは、業務用の……電池で光るやつです」


 言ってから、自分の言葉の致命的な意味のなさに気づいた。電池という単語は、彼に通じていなかった。


「お前は、どこから来た」


「日本という、国です。たぶん、ここからは、ものすごく、遠い場所です」


「東の海の向こうか」


「たぶん、もっと、もっと、向こうです」


 彼は、しばらく、ぼくを見つめた。それから、軽く首を振って、何かを諦めたように、息を吐いた。


「とりあえず、お前を、王女様の前に出す。ナイラ様が、お前を生かすか殺すかを、お決めになる」


 彼は、鉄格子を開けた。錆びついた鉄が、軋んだ。重い扉だった。それが、ぼくの異世界の入り口だった。


 地下牢の取り調べが終わるまでに、半日かかった。ぼくは何度も同じ説明を繰り返した。日本という国から、夜間清掃の仕事中に雷に打たれて、気がついたらここにいた、と。彼は──名をフィンと名乗った──最初は信じなかったが、ぼくが噓をつくにしては手の込みすぎた小道具を持ちすぎていることに、徐々に納得していった。


 牢を出されて、城の中庭に連れて行かれた。


 空は、青かった。ただ、地球の青よりも、ほんの少し緑がかっていた。気温は十月の北海道に似ている。乾いた風。城壁は粗い石灰岩で、長年の風雨で表面に黒い染みが浮かんでいた。蜂の巣のような小さな穴が点在する建材。ぼくの知っている建築様式とは違っていた。城壁の上では、兵士が槍を立てて見張りをしていた。槍の穂先が、わずかに錆びていた。彼らの鎧は、最高級品ではなかった。鎖帷子の編み目が、修理を繰り返した跡で不揃いだった。これは、貧しい国の鎧だ、とぼくは直感した。富める国の鎧なら、もっと整っているはずだった。


 中庭の中央に、古い噴水があった。大理石ではなく、もっと粗い石で作られていて、彫刻も素朴だった。水盤の縁に、苔が一面に生えていた。水は、ぼんやりと濁っていた。それでも、幾つかの水鳥が水盤の縁にとまっていて、嘴を水につけていた。彼らは、鳥という生きものの定義通り、空と地面の中間で生きていた。それは、地球の鳥と、本質的に変わらなかった。


 ぼくの世界とは、違う。けれど、ぼくの世界とどこか繋がっている。それが、最初の数時間で、ぼくが感じた、この世界への印象だった。


「ナイラ様。例の異邦人を連れてまいりました」


 フィンが頭を下げた先に、一人の女性が立っていた。


 長い銀色の髪。栗色の瞳。年は二十歳くらい。淡い空色のドレスに、肩から薄手のマントを羽織っていた。耳元に小さな金の耳飾り。装飾は控えめだった。ただ、姿勢の美しさが、彼女の身分を雄弁に語っていた。背筋がまっすぐ伸びていて、視線が一定の高さで止まる。ぼくのような人間が会うはずのない種類の人だった。


 ナイラ・エルディーナ第二王女。リシア王国の現存する王族のうち、現役で執政に携わるただ一人の人物。


 彼女が、ぼくをまっすぐに見た。その目は、栗色というよりも、夜明け前の森の樹皮のような、深い焦げ茶色だった。瞳の中に、ぼくの姿が映っていた。痩せた、合羽を着た、二十八歳の異邦人。ぼく自身が、そこに映っているのが、奇妙にひと事のようだった。


「あなたが、フィンの言う『光の杖』を持つ者ね」


 彼女は冷ややかに言った。怒っているのではない。ただ、感情を表に出さないように訓練された声だった。声には、わずかに、若さに似合わない疲労が混じっていた。たぶん、何夜か、眠れていない人の声だった。


「予言者でないのなら、即刻、この国を出ていきなさい。我々には、よく分からない異邦人を養う余裕はないわ」


 ぼくは何も言えなかった。何を言っていいのか、本当に分からなかった。ただ、目の前の女性の、姿勢の良さと、声の疲労との、奇妙なちぐはぐさが、ぼくの中に、小さな違和感として残った。彼女は、強がっている。たぶん、本当は、強がるしかない場所に、立たされている。


「待ってください、ナイラ様」


 フィンが言った。


「この男、変わった目をしておりますな。何の役にも立たぬ目、ではなく……何か小さなものをずっと数えてきた目だ」


 ぼくは、たぶん間抜けな顔をしていた。何を言われているのか分からなかった。


「掃除と整理くらいなら……できますけど」


 ぼくは消え入る声で言った。一同が静止した。掃除──と、誰かが繰り返した。空気の中で、その単語は奇妙に浮いていた。


「物資集積所に連れていけ、フィン」


 ナイラ様は言った。


「あそこは、ぐちゃぐちゃだ。ホードの第一波まで、もう一週間しかない。役に立たないなら追い出せ。少しでも役に立てば、置いてやれ」


 彼女は踵を返した。マントの裾が、彼女の歩みに合わせて静かに翻った。


 フィンに連れられて、ぼくは城下町に出た。


 町は石畳の坂道で構成されていた。両脇に二階建ての石造りの家々。一階は店舗、二階は住居。木製の鎧戸。錆びた鉄の蝶番。木の看板には、火の鳥や星や山羊の絵が描かれていた。文字も書かれていたが、ぼくには読めなかった。けれど、絵を見ればパン屋か蹄鉄屋か仕立屋かは分かった。


 臭いがすごかった。下水の匂い。家畜の糞。煙突から漂う獣脂の煙。それに混じって、パン屋からは小麦と酵母の温かい香り。井戸水の鉄っぽい匂い。子どもたちの汗。香辛料の店からは胡椒に似た、鼻に抜ける鋭い香り。地球と異なる星の匂いというより、ぼくが知らない時代の匂いだった。


 石畳は、長年人の足で磨かれて、ところどころ窪んでいた。馬車の通る大通りには、二本の轍が、深い溝になって走っていた。子どもたちが、その溝の中に、棒切れを突っ込んで遊んでいた。一人の男の子が、ぼくの異様な姿を見て、口を開けたまま固まった。母親らしき女性が、慌てて子どもの肩を引き寄せて、別の路地に連れていった。


 町の人々の服装は、地味だった。茶色、灰色、生成りの麻のチュニック。腰に縄か、革のベルト。靴は、革を縫い合わせた素朴なもので、底は薄かった。富裕な階級らしき人物は、ほとんど見かけなかった。たぶん、戦時下で外出を控えているのだろう。市場の店主たちは、商品を並べていたが、客は少なかった。皆、警鐘の音に怯えていた。次の魔物の波がいつ来るのか、誰にも分からなかった。


「魔窟領域というのは」


 ぼくは歩きながら、フィンに尋ねた。


「西の山脈の向こう、北の凍土の奥に広がる土地のことだ。あそこから定期的に魔物がこちらに溢れてくる。我々はそれを『ホード』と呼んでいる」


「いつから、ですか」


「数百年前からだ。だが、ここ十年でその波が大きくなり、間隔が短くなっている。原因は分からん。占い師どもは色々言うが、まあ当たらん」


 フィンの口調には、占い師に対する醒めた揶揄が含まれていた。ぼくは、この人とは話が合いそうな気がした。


 城下町の北端に、目当ての物資集積所があった。古い穀物倉庫を転用したらしい、二階建ての石造り。中に入って、ぼくは思わず息を吐いた。


 棚が、埋まっていた。けれど、空っぽだった。


 矢の束が槍の隣に積み上げられ、その上に毛布が乗り、毛布の隙間から固いパンが転がり、奥の壁際には薬草と香辛料が同じ箱に投げ込まれていた。何がどこにあるか、誰も知らない。これは在庫があるとは言わない。在庫があるふりをしている、ただの混乱だ。


「これを、整えろ、と?」


「やってみろ。やれぬなら、追い出す」


 フィンは扉のところに腰を下ろし、ぼくを見守る姿勢を取った。


 ぼくは手帳を取り出した。レジ袋の中からシャープペンを抜く。最初に書いたのは、倉庫の見取り図だった。寸法を歩幅で測りながら、棚の位置を写し取る。


 胸の中で、何かが小さく動いていた。それが何なのか、その時はまだ分からなかった。


 倉庫の中は、思っていたより、広かった。天井までの高さは六メートル以上。横幅は十五メートル、奥行きはその倍ほど。古い穀物倉庫を転用したらしく、壁際の所々に、麦袋を吊るすための鉄製の梁が、今も残っていた。床は、古い木板の上に、一面の藁が敷かれていた。藁の下から、麦の粒が、たまに顔を出した。何十年も前の麦が、まだ、ここで眠っていた。


 梁の上で、鳩が一羽、ぼくを見下ろしていた。それから、もう一羽。さらに二羽。倉庫の主は、たぶん、彼らだった。彼らは、人間が倉庫に何を運び込もうと、そこに巣を作って、生活を続けていた。彼らにとって、ここは、家だった。家であるからには、混乱した倉庫であろうと、整然とした倉庫であろうと、関係なかった。


 ぼくは、最初の歩幅を、踏み出した。倉庫の北東の角から、南西の角まで。それから、東西方向に。歩幅は、夢幻ファンタジアでぼくの体に染み付いた、一歩約七十センチ。これで、頭の中で計算ができる。


 歩いていると、靴の底に、何か、こつん、と当たった。屈んで拾ってみると、それは、子どもの玩具だった。木彫りの、小さな、馬の形をしたもの。ところどころ、塗料が剥げていた。誰かが、ここで、たぶん、戦時の混乱の中で、落としたまま、忘れていったのだろう。


 ぼくは、その玩具を、レジ袋の中に、しまった。後で、誰かに、届けるつもりだった。落とし物を、ぼくは、見つけたら、必ず誰かに届ける。それが、ぼくの仕事の、いちばん古い、いちばん基本の動作だった。たぶん、地球でもリシアでも、変わらない。


 その動作を、ぼくは、続ける。それが、ぼくに、できることだった。

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