連鎖する免罪符
メディアが先走った報道に出たことで、警察は完全に情報戦において後れを取ることになった。
「警察内部にテロの首謀者がいる」というセンセーショナルな見出しは、現場の捜査員たちの手足を容赦なく縛り上げた。聞き込みに行けば「テロリストの仲間」と石を投げられかねない状況下で、まともな捜査などできるはずもない。
関川は血走った目で上層部に掛け合い、報道規制を敷くよう激しく求めた。しかし、一度火がついた世論に対し、上層部の反応は「これ以上の刺激は逆効果だ。緩やかな対応に留める」という及び腰なものだった。
それでも、関川の裏での奔走と、名前を使われたゲームサークルの学生たちからの猛烈な苦情もあってか、翌日になると報道内容には明確な変化が現れた。
昨日まで、どのチャンネルも一日中ひっきりなしに叫んでいた『栗原教』という単語がピタリと止んだのだ。話題は「栗原剛とは何者か」という、警察組織の不祥事を追及する内容のみにすり替わっていた。
さらに、あれほど熱狂していたはずの栗原関連のニュース自体が、全体の報道時間の三分の一程度にまで縮小されていた。空いた放送枠は、何事もなかったかのように有名芸能人の結婚や不倫スキャンダルで穴埋めされている。
「……まったく」
取調室のテレビを眺めながら、栗原は小指で鼻をほじった。
関川が自分のために上層部とどれほど激しくやり合ったかなど、知る由もない。
「メディアってのは、良くも悪くもコロコロと意見を変えるというか。熱しやすく冷めやすいねぇ」
他人事のように文句を垂れ、鼻をほじった指をティッシュで拭っていた、その時だった。
バタンッ! と、取調室の扉が勢いよく開かれた。
「栗原さん! 大変なことに……!」
廊下を走ってきたらしく、息を切らして駆け込んできた鈴原は、室内の光景を見て絶句した。
「……何をしてるんですか、あなたは」
栗原は、三つ並べたパイプ椅子の上に仰向けになり、器用に横たわっていた。
「いやあ、パイプ椅子もずっと座ってると腰が疲れるのよ。これが取調室じゃなくて、応接室のソファーとかならまだしもね」
よっこらせ、と栗原はのんびり身を起こし、椅子に座り直した。
「そんなふざけた姿勢でくつろいでいる場合じゃありません! テレビはともかく、ネットメディアが完全に制御不能です!」
鈴原が、手にしたタブレットを栗原の目の前に突きつける。
そこに映し出された映像を見て、栗原の飄々とした顔から初めて笑みが消えた。
『突撃! テロリストの実家に行ってみた!』
『教祖・栗原の親に凸! 謝罪しろ!』
過激なテロップとともに再生されたのは、迷惑系YouTuberたちが配信しているライブ映像だった。
栗原の自宅アパートはもちろん、遠く離れた地方にある実家の住所や外観までが完全に特定され、ネット上に晒し上げられていた。カメラを持った若者たちが、怯える栗原の年老いた両親に執拗にマイクを向け、怒号を浴びせている。
「親父……お袋……」
栗原の拳が、微かに震えた。
「テレビ局は圧力をかけられても、ネットの暴走はもう誰にも抑えきれません。……さらに最悪なのはこれです」
鈴原が画面をスワイプする。表示されたのは、全国各地の警察署から次々と上がってくる事件報告のリストだった。
「この数時間で、全く関連性のない事件が多発しています。深夜のコンビニ強盗、繁華街での傷害事件、無銭飲食……。それらの事件で捕まった連中が、こぞってこう叫び始めているんです」
鈴原は、奥歯を強く噛み締めた。
「『首謀者は栗原剛だ』『教祖様に命令された』……と」
栗原は息を呑んだ。
「栗原教」という虚像は、いまや一つの免罪符として、全国の不良や愉快犯たちに利用され始めていた。捕まっても「栗原の洗脳のせいだ」と言えばいい。そんな危険な模倣犯が、ウイルスのように増殖しているのだ。
窓の外から、パトカーのサイレンが絶え間なく聞こえてくる。
姿なき真犯人が描いた絵図によって、日本の「法治国家」としての体裁が、今、音を立てて崩れ去ろうとしていた。




