天使
「ダメだルシェ……もう……ダメだよ……」
おそらく何度やっても、ルシェはミゼールの雷を弾くだろう。ルシェの魔力が続く限り。だがこんな事を続けさせたくはない。
さっきと同様、音もなくミゼールの雷を弾いてみせるルシェ。
「う……うう……さっきよりも強力ね……」
首が鞭打ちにならない様に両手で首のまわりを支えるリアン。
しかしすっかり興奮したニナはふらふらとルシェに近付き、その衝撃波をまともに喰らって吹っ飛んでいた。吹っ飛んだ先で倒れたまま「もう一回……もっと……もっと……もっとぉ……」そう繰り返してる。
そう、ニナはもう正気ではなかった。いや、それはもう、デュナミスに関わった時からずっとなのであろうが……。皮肉にもニナの悲願はほぼ達成されたのだ。清浄の雷で焼かれたのは身体ではなく、精神だったが。
大地を揺るがす暴風と……、何より脇腹の出血でまともに立っていられない筈のハルだが、大事に抱え続けていたカバンから解毒薬を取り出すと、そっと蓋を開けた。
そしてじりじりと、ミゼールに近付く。
ミゼールは二度も雷が掻き消された事に何を思っているのか、無表情にまた繰り返す。ニナが壊れた事で、ミゼールはもうただそれをするだけの魔女に……。いや、清浄の雷が撃てれば良い……ダナ教がそれを望んでいた事を考えればこれで正常と言う事か。
「ハル?! 何してんの……巻き込まれて死んでもおかしくないわよ!」
ハルの行動に気が付いたリアンは首を支えながら叫ぶ。
「ハル!!!」
声はちゃんと聞こえている様で、ハルはリアンを振り向かないままに右手の親指を上げた。
任せろとか、大丈夫とか、きっとそんな意味だ。
「分かったわよ……、そっちはどうにかするってんなら……あたしだってあたしの妹にこれ以上何もやらせない」
魔女としてとても正常に、ミゼールが次の雷を作らんと青い光を纏い、それを見たルシェがまた同じ動きをする。もう、三度目だ。ところどろで地割れが起きている。
「ルー……シェ!」
この状況で、リアンは笑顔でルシェに抱き付いた。立てないのでルシェの腰の辺りにしがみ付くような格好だ。
「うっ……!」
小さいとは言え、ルシェが纏っていた雷がリアンにダメージを負わせるがリアンは決して手を離さなかった。
ハルの方は遅い歩みでミゼールの前まで何とか辿り着き、おもむろに解毒薬を自分の口に流し込んだかと思うと……、突然、姿を消した。
子供騙しの幻影魔術だ。
しかし、幻影を破る魔術も一般的なので高度な魔術戦では通用しない。もちろんミゼールにだってすぐ分かるだろう。原理は分からなくても魔力に優れた者なら勘でどうにかする。
使い様だと……、いつかリアンが言った。
そうだ、一瞬だけで良い。ミゼールの気を逸らせればそれだけで良い。
「あうー? んっ?!」
ミゼールの周りの青い雷が不自然に何かにぶつかって弾けている。ミゼールの唇も、不自然に何かに押し付けられたよう……。
「んっ……んっ……ん……」
そしてその唇の端からは紫の液体が流れ落ちて来るではないか。
「かはぁっ……! あっ……あっ……ああああ!!!」
ふさがれた口が解放されたのかミゼールが苦しそうな声を出すと、その身体から煙が噴き出す。リアンが他の魔女化を解いた時と同じ、あの煙だ。
「……ミゼール……戻っておいで……」
先に姿を現したハルがそう呟く。
あの煙が晴れたらきっと、中からミゼールも……、人の姿のミゼールも現れる。
それを見ていたリアンは、ルシェにしがみ付いたままの格好でこう言った。
「ふふ……だから言ったじゃない……使い様だってさ……うっ……!」
ルシェはそんなリアンを見下ろし、自分の胸辺りにあるリアンの頭をぐいと引き剥がそうとするが、リアンが意地でも離れない。
「あいたたた、こーらルシェ! もうダーメ! おしまい! ねっ?! ほらもう何も怖い事は無くなったんだよ……」
「……」
「……帰ろうよ……」
「……」
「もう大丈夫、あなたはこれ以上何もしなくて良いの……帰ろう……」
ルシェの腰に回した腕をキュッと締める。
「後はもう全部……あたしが……、お姉ちゃんが、何とかしてあげるからね……」
リアンを見下ろすルシェの瞳は何も変わらない。変わらないのに、ルシェはリアンの頭に乱暴に置いた手で無理矢理リアンを引き剥がすのをやめた。
「良い子……。良い子ねルシェ……本当に……優しい子……!」
煙が風に流れ、寄り添う様に倒れているハルとミゼールの姿が確認出来た。隣で眠るミゼールの美しい顔をそっと撫でるハル。立っていられないだけで意識は有る様だ。
「ごめんよミゼール、苦しい思いをさせたね。君を救う為に……、いや、違うかな、世界……、ううん、結局は弱くて情けない僕のせいで、二人の女の子が魔女になったんだ……。僕の罪は許されない。僕はこの罪を、何が何でも償わなきゃいけない。そうしなきゃ、僕は胸を張って君に会えない」
「ハルー!! 生きてるでしょうね?!」
倒れ込んだままのハルを心配してリアンが大声で呼ぶ声がする。
「その前に……死ねもしないんだ……」
ハルはクスリと笑ってそう呟いた後、軽く腕を上げてリアンに無事を伝えた。そしてその腕でミゼールの肩を抱いて言う。
「これから君には素晴らしい未来が待ってる筈だ。君を閉じ込めるものはもう何もないんだから……」
目を覚ました時、きっとミゼールは魔女の時の記憶をなくしているだろう。ハルに命懸けで救われた事どころか、再会した事もすべて。それで良いと、ハルは思う。
リアンは匍匐前進と翼で、ハルとミゼールのところへ近付くと、ルシェもその後に続いた。とてとてと歩く、光を纏ったルシェは天使の様に可愛い。見た目だけでなく、ルシェは終始天使だった。ハルが主なのもあるが、誰一人傷付けなかった。
「で? ルシェって名前は、ハルが付けたの?」
ハルの元へ辿り着くと、リアンは開口一番そう言った。
「えっ……」
突然リアンにそう言われて、良く分からないままハルは肯定した。
「ああ、何も……覚えてないみたいだったから……」
「そう……、良い名前だと思う。ありがとう……」
言いながらリアンは上半身を起こし、ハルの傷口をきつく縛り直す。
「それに、とっても良い子に育ってる。それはまぁあたしの妹だから生まれ持った気質がそうなんであってあんたの功績は一割くらいだろうけど」
「いっ……妹って……うぐっ……!」
少々乱暴に縛り上げなら、リアンは続けた。
「だけど! 成長が止まったあげく魔女になりましたとかお姉ちゃん絶っっっ対に許さない! ちゃんと勝算があってルシェにデュナミスを飲ませたんでしょうねっ!」
正直なところそれは未知数ではあったが、リアンがデュナミスから生還した時から、ハルには世界が少し違って見えていた。この世界は、絶望じゃない。
「まぁあってもなくても、どっちにしろあんたにはあんたを超えてもらうわよ! あんたが作ったデュナミスの解毒薬を、あんたが作んの! ルシェは……それを信じてるんだから……」
言葉を失い、ただハルを見詰めるルシェ。
言われなくても、ハルはそのつもりだった。リアンを助ける為、デュナミスを飲むと言ったルシェに投薬してしまった時から。
「人生を掛けて、やってみせるよ」
「当たり前よ。そしたら本当の名前と、あたしが本当のお姉ちゃんだよって事、教えてあげるんだから! ふんっ!」
またひと際、包帯代わりの服をきつく縛る。
「ぐわっ! 痛いよリアン! その前に死んじゃうよ!」
「何言ってんの! 死なさないわよ!」
「あがぁっ! 本当に痛いよリアン!」
二人を映す事もない、ガラスの様なルシェの瞳が揺らいで、その口元が少しだけ微笑んだ様な……そんな筈は、ないのに。




