4 寄宿舎の朝
――チョークが黒板を走る音。
その乾いた音が、冬の教室の冷たい空気に吸い込まれていく。
煉瓦造りの壁の隙間から細い光が差し、光の粒が金色に舞っていた。
ストーブの火はまだ入らず、吐く息が白い。
前列の席で、少年がノートに細い字を並べている。
黒髪が額にかかり、指先がわずかに震えた。
寄宿舎の朝。
今日も変わらず、また一日が始まった。
鐘が鳴り、授業が終わる。
十二歳の少年――エドガー・レイブンズは静かにノートを閉じ、机の上を整えはじめた。
「見ろよ、これ!」
弾けるような声が教室に響く。
「やめてよ! 返して!」
「“妄想ノート”だってさ! なんだって? 初代国王の隠し遺産のありか? それがこの寄宿学校に隠されてる、だとよ!」
背が高く体格の良い金髪の少年――シェイド・カーマインは、一冊のノートを高く掲げて笑っていた。
その腕にしがみつき、必死に取り返そうと跳ねるのは、赤茶のくせ毛に真鍮の眼鏡の少年――トマス・リンデル。
「隠し遺産がある理由まで書いてあるぜ! んなもんあるわけねぇだろ!」
教室のあちこちから、嘲るような笑い声が上がった。
「あるよ! 遺産は絶対にある! ノートを返せっ!」
シェイドは仲間にノートを投げる。ノートは手から手へ渡り、トマスは泣きながらそれを追う。
エドガーはその様子を横目に小さく息を吐くと、次の授業の準備に取りかかった。
寒さで少し赤くなった指先をそっとさすり、深緑のジャケットの袖を引いて手を覆う。気休めだが、それだけで少し暖かい気がした。
窓の外には霧が立ちこめ、寄宿舎を囲む石壁の向こうに、木々の影が滲んで見える。
群青の瞳に朝の光が差し、短い黒髪が青く艶めいた。
昼食をさっさと済ませたエドガーは、本を脇に抱えて中庭を歩いていた。
ほとんどの木は葉を落とし、枯れ芝の上を白い霧が漂っている。
そんな中庭のベンチに、目を真っ赤にしたトマス・リンデルが座っていた。
ノートを胸に抱え、赤と茶のチェックのマフラーに顔を埋めている。
エドガーは静かに、彼の隣に腰を下ろした。
「秀才のエドガー・レイブンズじゃないか。君も僕を笑いに来たの?」
しゃくり上げる声。
エドガーはそっと眉をひそめた。
「僕がそんなことに時間を使うと思っているの?」
トマスの薄茶の瞳が見開かれる。
「……君って、もっと大人しいのかと思ってたけど、意外ときついんだね」
「そう?」
エドガーは、トマスの胸に抱えられたノートにちらと視線を落とした。
「ねぇ、“妄想ノート”を僕にも見せてよ。面白そう」
トマスはぎゅっとノートを抱く。
「……バカにしない?」
「しないよ。約束する」
トマスはノートを見下ろすと、一度短い息を吐き出した。
おずおずと、指先が赤くなった手でノートをエドガーに差し出す。
エドガーはそれを受け取ると、さっそく頁をぱらぱらとめくった。
そこには文字はぎっしりと詰まり、ところどころに地図や絵が描きこまれている。
「ねぇ、トマス・リンデル。なぜ遺産がここにあると思ったの?
彼が生きた千年前、このあたりはまだ森だったはずだよ」
エドガーが顔を上げると、トマスの瞳が少しだけ揺れた。
「初代国王アーサー・ヴァレンタインは、国を平定したあとも旅を続けたんだ。
その時に作った小さな礼拝堂や祭壇は地図に載ってない。
だから、実際にどこを歩いたか記録がないんだ。
この辺りは森だけど、湖もあって開けてる。
旅の途中に立ち寄ったとしても、おかしくないだろ?」
途端、エドガーの群青の瞳が光を帯びた。
青い炎のような輝きに、トマスは思わず息をのむ。
「いいね。理にかなってる。僕にも手伝わせてよ。遺産探し」
黒髪の少年が身を乗り出すと、トマスは反射的に身を引いた。
「え? えっ……? えっ!」
「何回“えっ”て言うの。もうすぐ鐘が鳴る。教室に戻ろう」
エドガーはノートをトマスに握らせ、本を抱え直して立ち上がる。
「本当に? 一緒にやってくれるの!?」
「早く行くよ」
エドガーが歩き出しても、トマスはついてこない。
「エドガー! 嬉しいよ! 僕――」
「僕もう行くからね」
ベンチに座ったまま、トマスは体を丸めて「わぁ!」と声を上げた。
エドガーは肩を竦めると、先に教室へ向かった。
霧の中に鐘の音が鳴る。
冷たい風が頬をかすめていった。
――もうすぐ冬が来る。




