3 霧の遺産
王立裁定院のある区画のすぐ隣、ハートウェル区にあるカフェ――“ミルフォード・ティールーム”。
エドガーは、いつもの窓際の席に腰を下ろしていた。
窓の外では乾いた風が霧を晴らし、澄んだ青い空がよく見える。
金に染まる木々から葉が落ち、行き交う人々や馬車を彩どるようだった。
ささやかなドアベルの音。
赤茶の柔らかい髪を揺らしながら、店内を見回す真鍮の眼鏡をかけた男が扉の向こうから現れた。
エドガーは彼に小さく手を上げる。
こちらに気付いたトマスは、子どものように無邪気な笑顔を作り、ゆっくりと木床を踏んでエドガーの席に近づいた。
木床を踏む音。
それは、鈍く店内に響く。
低い天井の梁に、ぼんやりとこもった柔らかい影の中に、紅茶の芳香がほどけていく。
椅子を引き、トマスはエドガーの向かいの席に身を預けた。
「やぁ。素敵なカフェだね」
エドガーは小さく頷く。
トマスは窓の向こうをちらと見てから、またエドガーに顔を向けた。
「もうすぐ祭りでもあるのかい?」
「収穫祭があるんだ」
「そうか。このあたりを散歩していたんだが、楽しそうな喧騒があちこちからしてきた」
トマスは隣の椅子に鞄を置くと、そこからノートを取り出し、テーブルの上で開いてエドガーに見せる。
「これは?」
「地図を描いていたんだ。都会だから、あまり宝は埋まっていなさそうだ」
楽しげに細められた茶色の瞳。
昔と変わらず、光を集めて瞬いていた。
エドガーも、つられるように目を細めた。
「相変わらずだな」
ノートを受け取る。
給仕の青年がやってきて、エドガーの紅茶とサンドイッチを静かにテーブルに置いた。
ベルガモットの香りが、鼻をくすぐる。
トマスもいくつか注文をすると、給仕の彼は頭を下げ、また去っていった。
「……トマス、絵がうまくなったんじゃない?」
「積み重ねの賜物だろうね」
胸を張らんばかりに誇らしげに言うトマスに、エドガーはふっと笑う。
ふと、エドガーはノートの表紙を見てみた。
「No.312って書いてある」
「妄想ノート312号だよ」
「あははっ」
エドガーは口元を押さえながら、つい声を上げて笑ってしまった。
「君こそ変わってなさすぎるな」
トマスの眼鏡が、スッと光を反射する。
「子ども心は大事だよ」
「そうか……。そうだね」
互いに、小さく笑う。
しばらくの後に、トマスが注文した紅茶とパイが届いた。
静かな午後。
二人は思い出話をしながら、のんびりと過ごした。
夜。ブラクストン街。
官僚街であるそこに佇む、石造の建物の二階角部屋。
その下宿に住むエドガーは、自室の机の引き出しを静かに開けた。
紙の束の奥に、深い青の小箱がひとつ。
指先で蓋を撫でると、革がかすかに鳴いた。
そっと、開く。
そこに眠っているのは銀のリング。
校章の天秤の紋が、オイルランプの明かりを淡く返した。
指先で触れれば、少しだけひやりとする。
ふと、聞こえてくるような気がした。
冬の寄宿学校の鐘の音。
それから、少年たちの笑い声。
エドガーはふっと笑って、瞳を伏せた。




