2 再会
法務官室の扉を開けると、紅茶と紙の香りが舞った。
「先生! おはようございます!」
「おはよう、ピップ」
くるくるした栗毛の少年、補助員のピップに穏やかに挨拶を返す。
杖を扉横に立てかけ、外套を脱ぐと、エドガーは真っすぐに机へ向かった。
席につき、ピップが差し出した紅茶をひと口。
冷えた指先と喉が、じんわりと温まる。
「さっき書記官の方が来てました。新しい案件は遺産相続ですって」
「そうか」
エドガーは机上の書類束を手に取り、群青の瞳で素早く文字を追う。
その中の一文。
ふと視線が惹かれ、そっと指でなぞった。
――トマス・リンデル。
淡い朝の光が紙を照らし、白い指先に柔らかい影を落とす。
「……懐かしい名前だ」
ぽつりと、そうこぼした。
隣で作業をしていたピップと目が合い、エドガーが淡く笑むと、ピップは不思議そうにエドガーを見つめ返した。
午後。第一聴取室。
灰色の光がガラス窓を透けて差し込み、壁掛け時計がそっと時を刻んでいる。
扉が開く音。
エドガーが顔を上げると、そこに立っていたのは深紅のマフラーを巻いた男だった。
彼は部屋に入るなり、思い出したように慌ててマフラーを取って腕に抱える。
青年はエドガーに気づくなり、その目元を穏やかに細めた。
「あぁ! 久しぶりじゃないか! まさかと思ったが、やっぱりエドガーだ」
「本当に……久しぶりだね。トマス・リンデル」
トマスが手を差し出しながら、聴取室に置かれた法務官机に寄ってくる。
エドガーも席を立ち、その手を取った。
握手を交わす手。
温かく、力強い。
「今回は、お祖父上の遺産相続……って聞いてるけど」
「そうなんだよ。骨董品の分配だけで、大した話じゃないんだ」
トマスは小さく笑った。
「父がまだ健在だから、相続というよりは整理かな。
三人兄弟で、価値が分からないものを均等に――それだけ。
祖父は骨董商だったけど、自分の趣味の品は近代のものばかりでね。
どうにも面倒で、専門家の手を借りようと思ったんだ」
「つまり、分配を公的に扱いたいということ?」
「うん。裁定院にお願いすれば、誰も損をしないだろうし」
「そうか」
エドガーは頷き、聴取室中央に置かれた大きな椅子を手で指し示す。
「……ご着席ください」
目を合わせる。
トマスはにこっと笑うと、大きく頷いた。
「かしこまりました。法務官様」
互いに吹き出す。
トマスが聴取席に腰を下ろすのを確認して、エドガーも席についた。
机の上で指を組み、いつもの口上を述べる。
「改めまして、担当いたします、法務官エドガー・レイブンズです。
ご存じの通り、裁定院は貴族間の契約や紛争を中立的に裁定いたします。
まずは証拠と証言を整理させていただきたい。お時間をいただきますが、よろしいですね」
トマスの頬は上がっていた。
「はい! もちろんです」
エドガーは少しだけ苦く笑うと、手元の書類を整え、視線を落とす。
問題のない案件。
数日のうちに査定と調整を終えれば、すぐに処理できる類だ。
「遺産相続の件ですね。均等に分配されたいとのこと。
まずは遺産項目についての確認をいたします。
それから、品物についての鑑定手続きは法務官である私の方で進めます。リンデル卿には、品を預かる際に同席をお願いしたい」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
それから、いくつかの確認を続ける。
窓の向こう。
霧の少ない薄青の空が、ずっと遠くまで続いている。
聴取を終え、エドガーがトマスを見送るために扉脇に立った。
トマスは赤いマフラーをぐるぐると首に巻き付けながら、にっこりと笑む。
「……しかし懐かしいなぁ! まさかエドガーに会えるとは」
エドガーは少しだけ笑った。
「僕もだよ。寄宿学校以来だね」
「うん。あの頃から変わらないね、君は」
「そう見えるだけじゃないかな」
扉を出ようとして、トマスは足を止める。
少し迷うように視線を落とし、またエドガーをまっすぐに見る。
「……せっかくだし、エドガー、あとで少し話せない? 仕事の邪魔でなければ」
「いいよ。昼を一緒にどう?」
トマスの頬が持ち上がる。
「やった。喜んで」
その瞬間、遠くで鐘がひとつ鳴った。
すれ違いざま、トマスがトントンと軽くエドガーの肩を叩く。
扉が開く。
廊下から、少しだけ冷えた空気が滑り込んできた。
エドガーは小さく瞳を伏せた。
彼の口角も、少しだけ、緩んでいる。




