29 理の守護者
馬車を降りると、赤茶の髪をふわふわさせながらトマスが駆け寄ってきた。
「エドガー!」
「トマス。遺品を返却に来たよ」
「今日も寒いな。中へ入って」
ウィンダーミア村の邸宅へ、エドガーは再び足を踏み入れた。
案内された応接間のテーブルにトランクを置き、一つずつ骨董品を並べていく。
鑑定書を渡し、受領書にサインをもらう作業が淡々と続いた。
「まだあるんだ」
エドガーが言うと、トマスはすでに疲れた顔で笑った。
トランクの底から、赤い布に包まれた杯を取り出す。
そっと机の上に置き、慎重に布を外した。
「えっ!?」
白い陶器の杯を目にしたトマスは、目を見開いた。
「本当に知らなかったんだな。遺品の中に含まれていたんだ」
「な、なんで……!?」
エドガーは淡く笑み、元学校長とトマスの祖父との関わりを、簡潔に説明した。
「ずっとうちにあったってことか……」
「そのようだね」
トマスは杯に触れず、角度を変えてじっと見つめた。
「どうする? 王立裁定院御用達の鑑定士が“本物”だと断言した。間違いなく、君が探していた“隠された遺産”だ」
真鍮の眼鏡の奥で、トマスの薄茶の瞳に涙が盛り上がる。
「……報告はしない。鑑定書もいらない。
でも、これは僕が持っていてもいいかな。
他の骨董品は兄弟に譲るけど、これだけは――僕の宝にしたい。
僕たちの、青春の証しだから」
エドガーは静かに頷いた。
「わかった。では裁定院に戻ったら、そのように処理をしておくよ」
笑ったトマスの頬を、涙がつうっと伝った。
「大人になっても、君は泣き虫なんだな」
「人間なんて、いくつになっても本質は変わらないさ」
「言うことは大人になったようだ」
二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。
「なぁ、エドガー。今日は時間あるか?」
トランクを閉じていたエドガーが顔を上げる。
「今日は一人で来たし、明日は休日だ。
ただ、裁定院の馬車で来たから、遅くなるようなら御者を先に返さなきゃいけない。そうすると足がなくなるけど」
「うちの馬車を貸すよ。ある人とバーで会う約束をしてるんだ。一緒に来ないか」
「僕が行ってもいいのか?」
「むしろ大歓迎さ」
「そうか。なら甘えようかな」
トマスがにっこりと笑って頷いた。
◇
トマスに連れられて訪れたのは、バー《ミルフォード・ランタン》。
ウィンダーミア村の坂下にある、石造りの暖炉と黄銅のランプが灯る、静かな店だった。
壁には古い航海地図。木の床は長い年月を感じさせ、空気にはスモークとワインの香りが漂う。
テーブル席で背の高い男が手を挙げた。
「トマス、こっちだ……。え!? エドガー・レイブンズか!?」
金髪に青い瞳の青年が、目を見開く。
「久しぶりじゃないか。シェイド・カーマイン」
エドガーは淡く笑った。
シェイドは立ち上がり、両手を広げてエドガーを迎えると、力強く抱きしめた。
三人は並んで席につき、グラスを手に取る。
「会えてうれしいよ、エドガー。今は何をしてる?」
「シェイド、僕も会えて嬉しい」
「エドガーは王都で、王立裁定院の法務官様なんだよ」
トマスがどこか誇らしげに言い、エドガーは苦笑する。
「さすが秀才。エリート様だな」
「シェイドは?」
「俺は騎士にはならなかった。北方地方行政局の地方官だ。これが意外と性に合っててな。
トマスは王立博物館の資料整理官。昔のままだよ」
「そうか」
「シェイドは釣りが好きなんだ。ウィンダーミア湖はよく釣れるから、休日のたびに魚を持ってくるんだよ」
「いいじゃないか。うまいだろ?」
「二人はよく会っていたんだね」
「そう。エドガーも今度食いに来いよ」
「ふふ、それも楽しそうだ」
三人はグラスを掲げ、軽く乾杯をした。
「そういえば、あの騎士――覚えているか?」
シェイドが霧の騎士の話を持ち出す。
「覚えてるよ」
エドガーが頷く。
「あの騎士、結局何だったんだろうな」
「僕も考えていた」
トマスが目を輝かせる。
「僕はね、あれは“アラステア”だったんじゃないかと思ってるんだ」
「アラステア?」
エドガーの脳裏に、あの杯の文字が浮かぶ。
――“Alastair”。
「アラステアは、初代国王の右腕と言われた騎士だよ。左利きだったらしい。今思えば、あの霧の騎士も左利きだった」
「そうか……アラステアか」
シェイドが呟く。
今となっては、真実を確かめる術はない。
けれど、もしそうだったなら――そうであってほしいと三人は思った。
黄色のランプの下、笑い声とグラスの音が重なり、彼らの昔話は夜更けまで途切れることなく続いた。




