83日目:新たな出遭い
「ふ、ふぃ、ふぃ、ふぃぎゃーーーーーー!!!」
鶏が卵でも産んだのか、あるいは命の危険を感じて威嚇しているのか分からないような、とりあえずけたたましく、つんざくような叫び声を耳元で感じて目を覚ますと、そこは明らかに誰かの部屋でした。
……誰かの、部屋?
とりあえず、私は、きっとこの部屋に唯一ついているであろう窓の上に座っていることを、理解します。続いて、目の前にいる、この部屋で生活しているであろう女性―女子を一瞥します。さらに、その瞬間に部屋をぐるりと見渡します。
明らかに女性が住んでいるような、そして学生が住んでいるような部屋でした。
私が住んでいる部屋ではないことを確認し、深呼吸をします。
深呼吸したいのは、きっとそちらの子なのでしょうけど。
コップとジュースを乗せたお盆を持つ彼女は、近年まれにみるほどにはっきりとしてたれ目で(はっきりとしたたれ目ってなんだ)、そして三つ編み一本に眼鏡という、これまた絶滅危惧種とも呼び声高い見た目をしていました。
薄いタンクトップに白い短めのスカートを見る限り、ここの季節は暑い春から、夏にかけてといった具合なのでしょう。
ここまでの状況説明をしている間に我を取り戻すかと思ったのですが、しかし彼女はいたって驚いたままです。持っているお盆が落ちていないのが奇跡です。
朝からうるさいなあとか思ってしまったことを深く反省します。
ここで一つ疑問が浮かびます。
いきなり私みたいなやつが出てきたというのが驚きだというのはさておくとして―いや、できなさそうですが―、もしかして私とんでもない恰好をしているんじゃないでしょうか。
例えば、羽が生えているとか。あるいは、しっぽが生えているとか。
「……あ、ああ、ああ、あの?」
ようやく彼女が私の方へ話しかけてくれました。こちらから話しかけるとさらなる混乱を招きそうだったので、これは素直にありがたいです。
「……あなたは、誰ですか?」
まあ、そうですよね。そうなりますよね。むしろ、それ以外の質問だったら、私の方が驚いて答えられないくらいですよ。
「わ、私は、柳橋咲菜って言います」
今私はどんな姿なのでしょうか。
部屋の端にあった姿見鏡で自分の体を見ます。
どうやら、最初の体に戻っているようです。
幼女でもなく、大人でもなく。
自分本来の姿を取り戻し―――ん?
「……天使とか、そういう類なんですか?」
彼女の質問が、私の考えていたことにリンクして驚きます。
……羽が、生えている?
「……え、ええと」
「やっぱりそうなんですねっ!」
そう言った瞬間、彼女のテンションは限界を突破したようで、部屋を存分に使って狂喜乱舞しました。途中壁や机にぶつかりそうでしたが、それを難なくかわして、踊り続けます。
さながらトップダンサーのようなキレを見せてくれるのはありがたいのですが、ええと、どういうことですか?
「いやあ!私、昨日この本を読んで、『天使っていないのかぁ。いたらいいのになぁ』と思っていたところなんです」
これ以上ないってほどに交じりっ気のない純粋な笑顔を見せながら、両手ではいっと渡してきたそれは、少し厚めの小説でした。
表紙絵はなく、タイトルは読めない漢字が使われていますが短く、なんだか難しそうな本でした。
……ただ一つを除いて。
作者のところを見ると、見覚えしかないような名前がしっかりと刻まれていました。
「……笹指、静?」
「そうなんです!この作者さん、確かに内容はとてもマニアックで作風も凝っているので、好き嫌いが分かれやすいんですけど、いろんなジャンルに手を出してくれて、そう来たか、とか、そう言う考え方もできるのか、ってよく考えさせられるんですよ。たまに、中途半端だとか言われるんですけど、それでも私は大好きな作家さんです。そうですね、『小噺シリーズ』とか、『瞬間シリーズ』とかもいいんですけど、例えば『惑小噺』とかだと、比較的読みやすいと思いますよ。若干ダークですけど、途中途中でしっかりとギャグとのバランスもとりますし、初めから最後までだーっと読むと、ラスト1ページでほろりと泣かせてきますし。瞬間シリーズなら、『世界が壊れる瞬間』とかでしょうか。一見してSFかとか思っちゃうんですけど、ああ、私SFとか理科系は苦手でして、でもこの話は何度も読んでしまいます!他にも、ミステリだったら、『時雨恭太は、永遠に謎である』とか、タイムスリップものなら『時間軸クロス』とかも面白いですよ!あとあと、」
「ちょっと待って!!」
本当は、本棚をごそごそし始めたころに止めるべきだったんでしょうけど、その本棚もとんでもないところから出てきたので、あっけに取られてしまいました。
いやいや、現実に、まさか、クローゼットの後ろの壁を法則性を持って叩くとさらに扉が開くとか、そんな部屋無いでしょ。
しかも、話しながらって、どんだけ慣れているんだよ。
私の存在vs本棚の存在の勝者は、圧倒的に後者でした。
「……いや、君のその、本好きは分かったから」
「一応、小説だけでなくって、ラノベとか漫画とかもそろっていますよ。ドラマやアニメのノベライズとか、特典冊子とか」
「いや、もうそれは良いんだけど……ん?」
目に入ってきたのは、明らかに包装されていない、少し端が破れているような自由帳みたいな、ノートでした。
よいしょっと窓から降りると、ふかふかのベッドで、私はよろけましたがなんとか立て直し、そのノートへ駆け出しました。
なんか、面白そうな予感がしました。
「あ、それは」
彼女も気づいたようでしたが、一歩遅く、私はすでにそのノートを手にしていました。
ははーん。これは、いわゆる。
「やめ、や、やめてください」
その場で頽れる彼女は自分の顔を手で覆い、恥ずかしさのあまり言葉がうまく言えていませんでした。そんなにですか。
彼女の上目遣いを無視し、私はそのノートに目を向けます。
何年も使われているのか、少々埃がかぶっています。ところどころ破れているのは、頑張った証なのでしょう。さて、何を頑張ったのかな?
表紙には、ひらがなで名前が書いていました。
「……さとはま、かこ」
可愛らしい名前じゃないですか。
中をぱらぱらとめくると、そこには絵がびっしりと描かれていました。そして、中にはコマ割りとかもしっかりと……。
おやおや。
「もしかして、漫画家志望ですか?」
彼女は、何も言わず、ただ頬を赤らめて、頷きました。




