84日目:漫画家志望の香湖(かこ)さん
「……親には、内緒にしてください」
真剣なまなざしでこちらに懇願してくる彼女―さとはまさんは、実は私よりも断然背が高く、こうして立たれると圧が凄くて、何も言い返せないというのが関の山でした。
「……いや、まあ、言わないけれど」
そう言うと、彼女は先ほどの真剣なまなざしをすぐに解き、代わりに満面の笑みで私に笑いかけます。なんというか、見た目のわりに表情が豊かな方です。
「本当ですかっ!ありがとうございますっ!」
「ひゃうっ!」
唐突に手を握られたので、少し声を荒げてしまいましたが、決して悪い気はしませんでした。
むしろ、意外と柔らかい肌に、ドキッとしました。
ずっとこのまま、握っていられたらどんなに気持ちが良いだろうか。快いだろうか。
「あ、あの」
気づけば、私は初めの彼女以上の力を使って、彼女の手を握ってしまいました。
「あ、すみません」
開けた本棚を順序よく閉めていき、完全に閉まったところで、彼女は下へ降りていきました。
不思議に思いながら部屋で待っていると、彼女はお茶を持ってきてくれました。
礼儀正しい方で、凄く心が温まります。
勉強机の隣に立てかけてあった折り畳み式の机を取り出して、フローリングに座りました。
私も同様に座ります。彼女と同じ正座で。
「ちゃんと、自己紹介しますね」
そう言えば、衝撃的な出遭いによって掻き消されてしまって、自己紹介がまだでした。互いに互いを脅かせるという、稀有にして奇跡的な出遭いをした私たちではありますが、自己紹介はきちんとしなければなりません。
「忍者の里の里に、浜辺の浜。香る湖で、里浜香湖です」
「柳の橋で、柳橋。咲く菜で、咲菜です」
「質問良いですか?」
元気よく手を挙げる里浜さん。
私は先生にでもなったつもりで、里浜さんに指をさします。
「何でしょう」
「天使さんって、普段何しているんですか?」
そうでした。全く忘れていたと言えば嘘になりますけどね。本当ですよ、忘れていませんって。なんて言うのかなぁ。記憶の引き出しにしまっておいただけで、いつでも出せるような位置にあったんですよ。ほら、衣替えみたいに。夏物と冬物を入れ替えるみたいに、自分のことと天使の羽の記憶の位置を入れ替えていたんですよ。
ほ、本当ですって。
……やめましょう。
すっかり忘れていました。しかも、どうしてこんなことになっているのかすらわかりません。触ってみると、昆虫のようなそれでも、蝙蝠みたいなそれでもなく、しっかりとした鳥の羽でした。寡聞にして知らないので、どの種の羽なのかは定かではありませんけど、確かに真っ白い羽です。
しかし、角度によっては―日差しの入り方によっては全く見えなくなってしまうので、なんとなく、空白のような白さでもあります。
何もないところには、いつだって白色が使われます。
まあ、逆に黒を使われることもあるんですけど。
「……純白のような、空白みたいな、そんな白色の翼は、鳥みたいに飛べるのでしょうか」
「……え、知らないんですか?」
思わず零してしまった独り言に、里浜さんは反応しました。
「え、あ、ええと」
そわそわしていると、彼女は私と同じようにそわそわし始めました。
「え、いやいやそうじゃないですよ。聞いちゃいけないことを訊いたわけではないので、安心してください。ただ、私も、こんな風に産まれてくるとは思っていなくって」
「まあ、私も人間として産まれてくるとは思っていないですし」
ええと、そう言うことでは……。まあ、納得してくれたので良しとしましょう。
「あの、天使さんって」
そう言うと、彼女はいつの間にか崩していた足を、もう一度正座にし直して、依頼をするような声で言いました。まあ、私にできることなんて常識くらい限られているんですけど、それでもできることならなんでも致しましょう!
「漫画家のこと、どう思っていますか?」
……依頼ではなく、質問でしたか。
「私は、良いなって思いますよ。なんか、自分の世界を作れるだなんて、格好いいと思います」
「そうですよね!」
「もしかして、漫画家さんになりたいんですか?」
「……ええ、まあ」
髪の毛を触りながら恥ずかしそうに答える彼女は、非常に可愛いです。
「……一応、賞で、最終候補まで残ったことがあります」
「マジっすか!すごいじゃないですか!」
思わず叫んでしまいましたが、でもそれを撤回するようなことでもないなと思い、その勢いに任せて私は続けます。
「ご両親は、何と?」
「……それが、問題でして」
「問題?」
「問題というか、課題です」
何でしょうか。凄いはずなのに、嬉しそうではありません。むしろ、後悔と言わんばかりの眼です。
「両親は、漫画家になることに、というか、掲載すること自体に反対なのです」
「……まあ、いますよね。確かに、不安定って聞きますし」
「それは良いんですけど。それだったら、もっといいんですけど」
「他の理由なんですか?」
「私、一応3姉妹の長女でして。この島の時期島長を任そうとしているんです。両親は厳格で、そう言った娯楽とかに厳しいんです。全然そんなこともないのに、はしたないとか言って。たぶん、これがばれれば、部屋ごと丸焼きです」
……怖いな、ご両親。
「……でも、あの量の本はどうやって手に入れたんですか?」
「だいたいは、数少ない同級生のツテです。あとは、先生とか」
「……なるほど」
「でも、やっぱり私は漫画家になりたいんです。慣れる才能があるのなら、その才能をフルに使いたいのです」
……難しい課題が課されたなぁ。
でも、彼女の瞳を見る限り、まさしく本気で、真剣で、私はそれを拒否することはできませんでした。
……よし、頑張ろうかな。




