54日目:であい
遠のいていく景色の中、私は惨憺たる状況をその眼に焼き付けていました。車という安全だと思っていた最強の乗り物が粉々に砕かれた、その事実が強く脳裏に焼き付いています。
今もまだ、その衝撃に対応しきれていませんけれど。
その時の景色にのっとって言うなら、その時父親はいなく、運転席は炎に包まれて直視できない状況にありました。母親の腕だけが、なんとか見える程度で、前部座席はもう原形をとどめていませんでした。
熱くて、眩しくて、赤くて、息苦しい世界がそこには広がっていました。
その世界が嫌で、出ていきたくて、私は泣き叫びました。
きっと、周りにはたくさんの人がいたのでしょう。他の車の音がわんさか聞こえて、パニック状態になったのを覚えています。何が起きているのか、どうすればいいのか。私にはさっぱり分かりませんでした。
こんなことになるなら、外出なんてしなければよかった。私には、これが世界の終りに見えました。両親が死んで、車が粉々になって、炎が私の周りを覆って。このまま、私も死ねばよかった。そうすれば、こんなことにならなかったのに。
私は、祈りました。
『死にたくない。ここから、抜け出したい』
「じゃあ、その願いを叶えてやろう」
急に聞こえた声は、背中のほうからで、車のがれきに挟まれた―今更ながら気づいた―体を、痛みながらも反転させました。すると、そこには誰もいませんでした。
今思えば、絶望の中の唯一の光に、妄想の産物を照らし合わせただけかもしれません。
「あなたは?」
「俺はな、いわば神様みたいなもんだ。存在はないがな」
「そうなのね」
「さあ、願いを叶える準備はいいか?」
「具体的には、何をするの?」
「お前を、この世界から出してやるんだよ。じゃあ、報酬頂き」
そう言った瞬間、私の周りから熱さはなくなりました。眩しさもなくなりました。締め付けるような痛みも、何もかもが失われていきました。
「何をしたの?」
もう返事はありません。私は、されるがままに、身をゆだねて、そして意識までもが完全になくなりました。
私はもう死んでしまったのか。
そう考えていました。
そして、それと同時に一つの疑問が浮かびました。意識は着実に遠のいているのに、未だに頭が働いているのを感じます。どうしてなのでしょうか。
五感もそれなりに帰ってきました。あれ、私は死ななかったのでしょうか。あの神様とやらは、本当に私の願いを叶えてくれたのでしょうか。
耳に入ってきたのは、取り乱した男の鼓動音と、乱れた呼吸音。
背中と両足で感じる、筋骨隆々の体。
目に入ってきたのは、こちらを見つめる成人男性の姿。
その、余りの顔の近さに、私は視線をそらしてしまいました。格好いい。ただそれだけが脳の中を駆け巡っていきました。
状況も理解できぬままの私に、この男の人は、
「ほんとに来た……、ありえないことが」
と、半分嬉しそうに、半分面倒くさそうにつぶやきました。
ようやく理解できて来た私は、自分が恥ずかしい状態に置かれているのもしっかりと理解できました。いやもう、一生考えない方が良かったかもしれません。
お姫様抱っこされていたなんて、友達に言えないですよ。お嫁にだって、行けません。
「あ、あの」
自分が出した声のはずなのに、それに違和感を感じました。たまにありますよね、例えばビデオなんかで自分の声を録音したときに「あれ、自分の声とちょっと違う」みたいなことって。そんな感じでした。
「あ、あれ?」
何でしょう。難しいですが、よく考えてみると、小っちゃい子みたいな、そんな高い声です。
「にしても、どうしたもんかなぁ。俺教師なんだけどなぁ。これバレると、結構危ういんだよな。未婚教師が幼女を連れまわしているなんて知られたら、いろんなところから怒られちゃうよなぁ」
「あ、あのぉ」
「あ、ええと、ごめんね。大変だったよね」
優しく下ろしてくれるあたり、優しい人なんだなというのがぐんぐん伝わってきました。
少し戸惑いながら、たどたどしくもお礼を言うと、
「いやいや、そんなことは」
と頭を掻きながら、彼は照れていました。
「君は、いったい何者なんだい?」
その質問には、少し答えられませんでした。
「ああ、ごめんね。まずは俺から名乗るべきだよな。俺の名前は、棚倉健一郎。よろしくな」
思いっきりの良い笑顔を浮かべる彼に、一目ぼれをしたのは、言うまでもありません。




