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柘榴  作者: 真核生物
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第五章 柘榴

夏のあいだに、交流は六回あった。


小春は毎回、八時四十分のバスで出て、夕方に帰ってきた。帰ってくると、ふつう、とだけ言った。何をしたのかと聞くと、ご飯を食べた、とか、本を読んだ、とか答えた。誰と、と聞くと、おばあちゃんと、と答えた。お父さんは、と聞くと、いた、と答えた。


いた、というのが、どういうことなのか、わたしにはわからなかった。


ノートには、毎回同じ形で書いた。日付、天気、出発時刻、服装、顔色、帰宅時刻。持ち帰ったもの。聞いた話。


七月の二回目に、小春は紙袋を持って帰ってきた。中身は、佐伯の家の近くの和菓子屋の水ようかんだった。おばあちゃんが持たせてくれた、と小春は言った。わたしはそれを冷蔵庫に入れた。三日ほどして、小春がひとりで二つ食べた。残りの四つは、わたしが捨てた。賞味期限が切れていたからだ。


ノートには、持ち帰ったもの、水ようかん六個、と書いた。


捨てた四つのことは、書かなかった。持ち帰ったものの欄はあっても、捨てたものの欄はなかった。


八月の一回目は、朝から雨だった。小春は、傘を差して八時四十分のバスに乗った。わたしは出発の欄に、雨、傘、と書いた。帰ってきたとき、小春は傘を持っていなかった。


「傘は」


「おばあちゃんちに置いてきた。帰りは晴れてたから」


次の交流の日に持って帰ってくるのだろうと思った。けれども、二週間後、小春は傘を持たずに帰ってきた。その次も、持たなかった。


持っていったものの欄を、わたしは作っていなかった。向こうの家に、小春のものが少しずつ増えていくのを、ノートは数えられなかった。


*


八月の終わりの夕飯のときだった。


小春は、茄子の揚げびたしを箸でつまんで、口に入れる前に、ぽつりと言った。


「お母さん、光明殿に菊、届けてるんだね」


わたしは箸を止めた。


「言わなかったっけ」


「聞いてない」


「仕事だから。わざわざ言うことでもないと思って」


小春は茄子を食べて、ご飯を食べた。噛みながら、窓のほうを見ていた。


「三階のブース、全部お母さんの菊なんだね」


「そうよ」


「おばあちゃんが、いつも言ってる。杉本さんの菊はまっすぐだって」


わたしは何と答えていいかわからなかった。まっすぐなのは、わたしが支柱を立てて、ネットで押さえているからだ。放っておけば、菊は好きなほうに伸びる。


「八階にも、飾ってあるよ」


「八階に」


「玄関のとこ。白いの。毎週、おばあちゃんが三階から一束持ってくるの」


小春はそう言って、味噌汁を飲んだ。


わたしは、その話をノートに書かなかった。書こうとすると、自分の菊が、わたしの知らない部屋の玄関に、毎週飾られているということを、書かなければならなかった。


*


九月の半ばに、光明殿で秋の彼岸の打ち合わせがあった。


毎年この時期に、彼岸の一週間分の本数を決める。ふだんの百二十束では足りない。三百束、多い年は四百束になる。わたしは帳面の去年の数字を持って、二階の事務所に行った。


打ち合わせの相手は、尚人の母だった。


「今年は三百五十でお願いできる?」


「大丈夫です。白を多めにしていいですか」


「いいわよ。白のほうが、みなさん好きだから」


尚人の母は、伝票に数字を書き込んだ。それから顔を上げて、屋上、見ていく? と言った。


「屋上ですか」


「庭があるの。小春ちゃんが好きなのよ」


*


屋上には、エレベーターでは行けなかった。


八階で降りて、非常階段を一つ上がる。八階の廊下には扉が三つあって、どれも閉まっていた。表札は出ていなかった。尚人の母は、その前を素通りして、突き当たりの鉄の扉を開けた。


階段を上がると、急に明るくなった。


屋上は、思っていたより広かった。四方をフェンスで囲まれていて、床にはウッドデッキが敷いてある。プランターがいくつも並んでいて、ハーブや、名前のわからない草が植わっていた。ベンチが二つ。西の端に、物置のような小屋が一つ。


その小屋の手前に、木が一本立っていた。


高さは二メートルと少し。幹は細く、ねじれながら上に伸びている。枝の先に、赤茶色の実がいくつもぶら下がっていた。握りこぶしほどの大きさで、表面が固そうに光っている。いくつかは、皮が裂けかけて、中が少し見えていた。


中には、赤い粒がぎっしり詰まっていた。


尚人の母がフェンスのほうへ歩いていったので、わたしもついていった。


フェンス越しに、市内が見渡せた。駅のホームと、何本もの線路。線路の向こうに、商店街のアーケードの屋根。そのさらに向こうに、低い山が連なっていた。


いちばん奥の、少し高い山の、右の裾のあたり。そこから先が、わたしの町だった。ここからは、町そのものは見えない。山の陰になっている。


「晴れた日はね、もっと遠くまで見えるのよ」


尚人の母が言った。


わたしは、山の裾のあたりを見ていた。


屋上を吹く風は、町の風より乾いていた。フェンスの金網が、ときどき小さく鳴った。プランターのハーブの匂いと、下の道路の排気の匂いが、交互に来た。小春は、この風の中に座っているのだと思った。あの向こうに、ハウスが三棟ある。いまごろ、一号の暖房機は止まっていて、二号では黄色が蕾をつけはじめている。ここから見ると、それはどこにもなかった。


「柘榴よ」


尚人の母が言った。


「主人が、ここを建てたときに植えたの。鬼子母神さまをお祀りしているお寺にはね、よく柘榴が植わってるの。鬼子母神さまは、柘榴を持っておられるから」


「鬼子母神」


「子どもを守る神さま。昔は、人の子をさらって食べていたの。お釈迦さまが、その人のいちばん下の子を隠して、子をなくす親の気持ちを教えたのよ。それで改心して、子どもを守る神さまになった。柘榴はね、人の子の代わりに食べなさいって、お釈迦さまが渡したんだって。そういう言い伝えがあるのよ」


尚人の母は、枝に手を伸ばして、裂けた実を一つもいだ。


「小春ちゃんね、これが好きなの。こないだも、ここに座って食べてたわ」


*


帰りの国道で、スマホが鳴った。


信号待ちのあいだに見ると、小春からだった。写真が一枚と、短い文が一つ。


写真は、屋上のあの木だった。下から見上げて撮ったもので、枝の先に赤茶色の実が写っている。空は曇っていた。今日の空だった。


文は、こうだった。


「六粒だけ食べた」


わたしは、信号が青に変わっても、しばらく車を出せなかった。後ろの車が短くクラクションを鳴らした。


今日は、交流の日ではない。


今日は木曜で、小春は学校にいるはずだった。


*


家に着いて、小春の帰りを待った。


小春は、いつもどおり四時過ぎに帰ってきた。制服で、学校の鞄を持っていた。


「今日、学校は」


「行ったよ」


「屋上の写真」


「ああ、あれ」


小春は冷蔵庫から麦茶を出した。


「前の土曜に撮ったやつ。送るの忘れてたから」


「空が、今日と同じだった」


「先週の土曜も曇ってたよ」


そうだった気もする。ノートを見れば、わかる。


わたしは、あとでノートを見ることにした。


目の前の小春に、もう一度聞けばすむことだった。けれども、聞いた答えより、ノートに書いてある天気のほうが、確かなもののように思えた。


「六粒って」


「柘榴、すっぱいから。六粒でやめた」


小春はそう言って、二階に上がっていった。


わたしはノートを開いて、先週の土曜日のページを探した。天気の欄には、曇り、と書いてあった。


そのページの、聞いた話の欄に、わたしは今日の日付を添えて書き足した。


六粒だけ食べた。


小春の送ってきた文を、そのまま書き写した。

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