夫婦の形
喧嘩
「エリーゼ、それは危ないですからやめてください」
「大丈夫だよ、これくらい」
「大丈夫ではありません。もし落ちたらどうするのですか」
「落ちないもん」
私は今、脚立の上に立って棚の上の箱を取ろうとしている。クロードが心配して止めるけれどこれくらい自分でできると思った。
「私が取りますから、降りてください」
「いいの。自分で取れるから」
「エリーゼ」
「もう、大丈夫だってば」
そう言って背伸びをした瞬間、ぐらりと体が傾いた。
「きゃっ!」
「エリーゼ!」
クロードが咄嗟に私を受け止めてくれた。彼の腕の中にすっぽりと収まって、心臓がばくばくと鳴っている。
「だから言ったでしょう」
彼の声はいつもより低くて、怒っているのがわかった。
「ご、ごめんなさい……」
「本当に、心臓が止まるかと思いました」
「クロード……」
「あなたに何かあったら、私は……」
彼はそれ以上言わずに、私を強く抱きしめた。その腕が少し震えている。私のせいでこんなに心配させてしまった。
「ごめんね、クロード。私が悪かった」
「……わかればいいんです」
「うん」
「もうあんな無茶はしないでください」
「うん、約束する」
彼はようやく腕を緩めると、私の顔をじっと見つめた。その瞳にはまだ不安の色が残っている。
「本当に、お願いしますよ」
「うん。心配かけてごめんね」
「いえ、私の方こそ強く言ってしまってすみません」
「ううん、クロードが正しい。私が聞かなくてごめん」
そう言うと、彼はほっとしたように微笑んだ。
「では、あの箱は私が取りますね」
「うん、お願い」
クロードは軽々と箱を取って私に渡してくれた。中には昔の手紙や小さな思い出の品が入っている。
「これ、懐かしいね」
「ええ。あなたが初めて私に書いてくれた手紙もありますよ」
「え、恥ずかしいから見ないで!」
「今更ですよ。何度も読み返していますから」
「クロード!」
彼はくすくす笑いながら箱をテーブルに置く。私は顔が熱くなって、彼の背中をぽかぽか叩いた。
「もう、意地悪」
「意地悪ではありません。愛しているからです」
「そういうところだよ」
「ふふ、すみません」
結局いつもこうして彼のペースに乗せられてしまう。でもそれが心地いいのも事実で。
「ねえクロード」
「はい」
「さっきは本当にごめんね。私、クロードに心配かけるようなことして」
「もういいんですよ。無事でいてくれたから」
「でも、クロードが怒るの初めて見たかも」
「怒ったというより、怖かったんです。あなたを失うかもしれないと思って」
「クロード……」
「私はあなたがいない人生など考えられません。だからどうか、自分の身を大切にしてください」
彼の真剣な眼差しに胸が締め付けられる。私は彼の手を握って、しっかりと頷いた。
「うん。私もクロードがいない人生なんて考えられない。だから、ちゃんとする」
「ありがとうございます」
「私の方こそ、ありがとう。いつも守ってくれて」
「当然です。あなたを守るのが私の使命ですから」
「使命って……」
「元執事としてではなく、夫として。あなたを守り愛することが私の生きる意味です」
「クロード……」
また泣きそうになる。彼はいつも私の想像以上に深く私を想ってくれている。
「大好き」
「私もです」
彼の胸に飛び込むと優しく抱きしめ返してくれた。さっきまでの緊張が嘘のように、心が温かく満たされていく。
「ねえ、クロード」
「はい」
「私、もっとクロードの言うこと聞くようにする」
「無理はしなくていいですよ。あなたの意思を尊重したいですから」
「でも、心配かけたくないの」
「あなたがそう思ってくれるだけで十分です」
「クロードは優しすぎるよ」
「あなたにだけです」
そう言って彼は私の髪に口づける。
「さて、この箱の中身を整理しますか。それとも後日にしますか?」
「今しよう。クロードと一緒に思い出話したい」
「いいですね。では、お茶を淹れてきます」
「うん」
彼がキッチンへ向かうのを見送りながら私は箱の中の手紙をそっと取り出した。あの頃の私の拙い文字が並んでいる。それをクロードが大切に取っていてくれたことが、何よりも嬉しい。
「お待たせしました」
「ありがとう」
ハーブティーの香りが部屋に広がる。二人でソファに座り、箱の中身をひとつずつ取り出しては思い出を語り合う。
「これは、初めて二人で出かけた時に買ったブローチですね」
「うん、懐かしい。クロードが選んでくれたんだよね」
「ええ。あなたに似合うと思って」
「今も大切にしてるよ」
「それは嬉しいです」
「これは?あ、押し花だ」
「庭の花をあなたが摘んで作ったものです」
「下手くそだね」
「いいえ、とても可愛らしいですよ」
「クロードは何でも褒めてくれるから」
「本当のことですから」
そんな他愛のない会話が、何よりも幸せだった。さっき喧嘩したことなんてもう遠い昔のことみたい。
「クロード、今日はありがとう」
「何がですか?」
「私のこと、怒ってくれて。それから守ってくれて」
「私はいつでもあなたの味方です。怒ることも、守ることも、愛することもすべてあなたのためですから」
「うん。私もクロードのためにできること、もっとしたい」
「あなたが笑っていてくれるだけで、私は幸せですよ」
「それなら、ずっと笑ってる」
「ええ、お願いします」
彼の手が私の頬に触れる。見つめ合って、自然と唇が近づいた。
「愛しています、エリーゼ」
「私も、愛してる」
夕暮れの光が部屋を橙色に染める中、私たちは何度も口づけを交わした。喧嘩をした日でさえ、こうして愛を深め合える。それが私たちの夫婦の形なのだと心から思えた。




