素直な気持ちを伝えていきたい
「エリーゼ、今日は市場に行ってきますね」
朝食の後片付けを終えたクロードがそう言った。いつもなら「一緒に行く」と言うところだけど、今日はなんだか体がだるくて遠慮することにした。
「うん、いってらっしゃい」
「何か買ってきてほしいものはありますか?」
「特にはないかな。クロードにお任せする」
「わかりました。すぐに戻りますから、ゆっくり休んでいてください」
彼はそう言って私の額にそっと口づけると、買い物かごを持って出かけていった。
いつもならすぐに戻ってくるのに今日に限ってなかなか帰ってこない。時計の針はもう二時間も進んでいる。市場までは片道十五分ほどだから、いくらなんでも遅すぎる。
「どうしたのかな……」
ソファに座って本を読もうとしても、全然集中できない。もしかしてどこかで倒れているんじゃないかそれとも……
胸の奥がモヤモヤする。クロードはとても格好いいから街の女性たちが放っておかないのは知っている。市場に行くたびに、綺麗な女の人たちが声をかけてくるのを何度も見たことがある。
「大丈夫、クロードは私のことだけを愛してくれている」
そう自分に言い聞かせるけれど、時間が経つほどに嫌な想像ばかりが膨らんでいく。
そうこうしているうちに玄関の扉が開く音がして、私は思わず立ち上がった。
「ただいま戻りました、エリーゼ」
「おかえりなさい!……遅かったね」
「ええ、すみません。市場で少し人に捕まってしまって」
「人?」
「はい。村の娘さんたちに、野菜の選び方を聞かれたりして」
「……ふうん」
心臓がきゅっと縮むような感覚。私は無意識に唇を噛みしめていた。
「エリーゼ?顔色が優れませんね。どこか具合でも」
「なんでもない」
そう言って私はぷいっと顔を背けた。本当はなんでもなくない。すごくモヤモヤしている。でもこんな感情をクロードに見せるのは恥ずかしい。大人げないって思われるかもしれない。
「エリーゼ、こちらを向いてください」
「やだ」
「どうしてですか?」
「どうしても」
頑なに顔を背けていると、後ろからそっと抱きしめられた。
「……何か怒っていますね。私が何かしましたか?」
「……してない」
「では、なぜ機嫌が悪いのですか?」
「機嫌悪くなんかないもん」
「そんなことはありません。あなたは嘘をつくのが下手ですから」
耳元で優しく囁かれて、肩がびくっと跳ねる。クロードの腕の中はいつも通り温かくて本当は思い切り甘えたいのに、今はそれができなかった。
「……放して」
「放しません。理由を話してくれるまで」
「クロードの意地悪」
「意地悪ではありません。あなたのことを理解したいからです」
彼の真摯な声に、胸がチクリと痛む。わかっている。クロードはいつだって私のことを大切にしてくれている。それなのに私は……
「……クロードが遅かったから」
「はい」
「それで、女の人に捕まってたって言うから」
「はい」
「……やだった」
小さな声で呟くと、クロードはそっと私の体をくるりと回して正面から向き合った。彼の深い色の瞳が真っ直ぐに私を見つめている。
「エリーゼ、もしかして妬いてくれているのですか?」
「……ちがうもん」
「顔が真っ赤ですよ」
「ちがうの!」
クロードはふっと笑うと、私の額に自分の額をくっつけた。吐息がかかるほどの距離でますます顔が熱くなる。
「可愛いですね」
「……からかわないで」
「からかっているわけではありません。ただ、嬉しいんです」
「嬉しい?」
「ええ。あなたが私のことでそんなふうに思ってくれるなんて」
「……クロードは私のこと、子供っぽいって思わないの?」
「思いません。むしろ、そんな感情も含めてあなたのすべてが愛おしい」
「本当?」
「嘘を言ったことがありますか?」
クロードは真剣な顔で私を見つめる。そうだ彼は一度だって私に嘘をついたことがない。いつだって誠実で、優しくて私だけを見ていてくれる。
「……ごめんね、クロード。私信じてなかったわけじゃないの。ただ、ちょっと不安になって……」
「謝らないでください。私の方こそ、もっと早く帰るべきでした」
彼は私を抱きしめると、髪を優しく撫でながら続けた。
「でも、知っていてほしいのは私の心はいつだってあなただけのものだということです」
「……うん」
「市場で会った娘さんたちには、『妻が待っているので』と言って断りました。それでもしつこくされて時間がかかってしまったんです」
「そうだったんだ……」
「はい。あなた以外の女性に興味はありません」
きっぱりと言い切るクロードに、胸の奥のモヤモヤがゆっくりと溶けていく。
「クロード、大好き」
「私もですよ、エリーゼ」
彼の胸に顔を埋めると規則正しい心音が聞こえてくる。さっきまでの不安が嘘みたいに、今はこの温もりだけがすべてだった。
「……でも、やっぱりちょっとだけまだモヤモヤする」
「そうですか。では、どうすればそのモヤモヤはなくなりますか?」
「……今日は一日中私に構ってほしい」
「それは簡単ですね。もともとそのつもりでした」
「あと、ずっと抱きしめててほしい」
「もちろんです」
「それから、今日の夕食は私の好きなものにして」
「かしこまりました」
クロードは嬉しそうに微笑むと、私を抱き上げてソファに座った。膝の上に乗せられてぎゅっと抱きしめられる。
「こうしていれば、少しは気が晴れますか?」
「……うん。すごく落ち着く」
「それはよかった。しばらくこうしていましょう」
彼の手が私の背中を優しくトントンと叩く。まるで子供扱いされているみたいだけど、それが逆に心地よかった。
「クロード」
「はい」
「私、すごく子供っぽいよね」
「そうですね、少し」
「……そこは否定してよ」
「ふふ、でもそこが可愛いんです」
「クロードはずるい」
「ずるくありません。愛しているからです」
そう言って彼は私のこめかみに口づける。
「あなたが嫉妬してくれるのは、私にとってはこの上ない喜びです。それだけ愛されている証拠ですから」
「……私だけのクロードでいてね」
「もちろんです。私はあなただけのものです。これまでもこれからもずっと」
彼の真摯な言葉に、目の奥がじんと熱くなる。
「泣かないでください」
「だって……クロードが優しいから……」
「あなたが愛しいからですよ」
涙を指で拭われてそのまま唇が重なる。優しく触れるだけの口づけなのに、心が満たされていくのがわかった。
「……ありがとう、クロード」
「こちらこそ。あなたの素直な気持ちを聞かせてくれて、ありがとうございます」
そう言って彼はもう一度、今度は深く口づけた。
「さて、そろそろお昼にしましょうか。お腹は空きましたか?」
「……うん、空いたかも」
「では、何か作りましょう。リクエストはありますか?」
「クロードのオムライスが食べたい」
「かしこまりました。とびきり美味しいものを作りますね」
彼は私をそっとソファに座らせると、キッチンへ向かう。私はその背中を見つめながらさっきまでの自分の感情が少しだけ恥ずかしくなった。でも同時に、これからもこんなふうに素直な気持ちを伝えていこうとも思った。
「クロード」
「はい?」
振り返った彼に、私は精一杯の笑顔を向ける。
「私、クロードのこと世界で一番大好き」
「……エリーゼ」
彼は一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに優しい笑顔になって戻ってきてくれた。そして私の手を取るとその甲にそっと口づける。
「私もです。世界中の誰よりもあなたを愛しています」
「うん」
「さあ、オムライスを作りましょう。手伝ってくれますか?」
「もちろん!」
私は立ち上がって、彼の腕に抱きついた。
今日もまた、クロードと過ごす穏やかな時間が続いていく。




