表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

4-1 猫武者

 雨玻町総合病院。

 その一角には、通常の病室とは明らかに違う区画があった。


 ――隔離病棟。


 白い壁。厚い防護ガラス。電子ロック付きの扉。廊下にはC.H.A.R.M.から派遣された警備員と、病院側の職員が交代で立っている。


 そこに、一人の少年が収容されていた。


 先日、デビガノイドの中から救出された少年である。


 学校では目立つグループの中心にいた少年。

 弱い立場の相手に横暴な態度を取っていた少年。

 そして、デビデヴィ・クライシスによってデモンコアにされた少年。


 彼は一度、人間の姿に戻った。

 だが、事態はそれで終わらない。


 目覚めた直後、少年は暴れた。


 点滴を引き抜き、看護師の腕を掴み、止めに入った男性職員を突き飛ばした。

 近くにあった医療用トレーを投げつけ、ガラスを割り、叫びながら病室の扉を叩き続けた。


 それは、ただ気が立っているという程度の話ではなかった。


 目は焦点が合っておらず、誰に向けて怒っているのかも分からない。

 見舞いに来ていた家族の声にも反応せず、ただ目の前にいる者すべてを敵のように睨みつけた。


 その結果、看護師二名が軽傷。

 病院職員一名が肩を打撲。

 警備員一名が顔面に打撲を負った。


 鎮静剤が投与され、ようやく少年は眠った。


 そして今。


 その病室の前に、一人の女性が立っていた。


 C.H.A.R.M.調査主任、――風間カリン。


 三十歳。


 艶のある黒髪を後ろでまとめ、細いフレームの眼鏡をかけている。

 白衣の下には体の線が分かる黒いタイトな服。

 知的でありながら、どこか人を惑わせるような雰囲気をまとった女性だった。


 カリンは分厚い防護ガラス越しに、ベッドの上の少年を見つめていた。


 少年は眠っている。


 拘束具で手足を固定され、医療機器につながれている。

 顔色は悪い。

 しかし検査数値上は、危険な異常は見つかっていなかった。


「身体異常なし。血液検査も大きな問題なし。脳波も鎮静剤の影響を除けば正常範囲……ね」


 カリンはタブレット端末を指でなぞりながら、低く呟いた。

 隣に立つ若い護衛が尋ねる。


「つまり、問題はないということですか?」


「いいえ」


 カリンは即答した。


「問題しかないわ」


「え?」


「検査で異常が出ないのに、あれだけ暴れる。そこが問題なのよ」


 カリンは少年の顔を見つめたまま、眼鏡の位置を直す。


「この子の身元は?」


「すぐに判明しました。県立雨玻町第一高校の生徒です。交友関係も確認済み。昨日、彼の友人たちから聞き取りを行っています」


「例の証言ね」


「はい。謎の女性に胸を刺され、赤い球体のようなものに変えられた、と」


「たしか……デモンコア」


 カリンは小さく呟く。

 敵幹部がそう呼称していた。


「人間の負の感情を核にした、悪魔兵器の中枢……推測通りなら、かなり悪趣味な技術。今までいろんな異次元敵性存在を見てきたけど、ここまでの技術力を持った敵は初めてね。」


「ですが、ゲキ・マキシマムがデビガノイドを倒したことで、彼は人間に戻りました」


「戻ったように見えただけ、かもしれないわ」


 護衛は言葉を失う。


 カリンは端末の記録を開いた。


 そこには、少年の生活記録や学校での評判がまとめられている。


「確かに、元々の性格にも問題はあったみたいね。学校内では高圧的。グループ内での支配欲も強い。弱い立場の相手に対して横暴な言動あり」


「……かなり問題児ですね」


「でも、誰彼かまわず暴れるタイプではない」


 カリンは鋭く言った。


「彼は自分より弱いと見なした相手に対して横暴だった。逆に言えば、相手を選んでいたのよ。自分の立場を崩さない範囲で、自分が優位に立てる相手を選んでいた」


「今回のように、病院職員や看護師へ無差別に?」


「そこが違う」


 カリンは病室の中の少年を見つめた。


「デモンコアから戻った後に、悪魔エネルギーを完全に浄化しきれていない可能性があるわ」


「残留悪魔エネルギー……ですか」


「ええ。肉体ではなく、心の奥にこびりついている。怒りや恐怖、劣等感を増幅して、本人の意思とは別に暴走させる」


「そんなことが……」


「あるかもしれない。だから調べてるの」


 カリンは腕を組む。

 その表情は冷静だった。


 だが、瞳の奥にはわずかな苛立を宿す。


「魔法少女の浄化でも完全に抜けない悪魔エネルギー。もしそうなら、かなり厄介よ」


「ゲキ・マキシマムの浄化が不完全だったと?」


「そう結論づけるには早いわ。彼は初戦で、しかも即席の魔法少女。むしろ初見でデモンコアを破壊せず人間へ戻せただけでも異常よ」


「異常、ですか」


「ええ。褒め言葉としてね」


 ――その時。


 廊下の向こうで、鈍い音がした。

 何かが倒れる音。続いて、短い呻き声。


 護衛が即座に振り返る。


「何だ?」


 廊下の警備員の声が聞こえた。


「おい、そこで止ま――ぐあっ!」


 次の瞬間、重い衝撃音。通信機からのノイズ。


 カリンの目つきが変わった。


「来るわ」


 白衣の内側から、彼女は小型拳銃を抜いた。


 護衛も同時に拳銃を構える。


 通常弾ではない。


 ――C.H.A.R.M.製の特殊弾。


 悪魔エネルギーを帯びた対象の動きを一時的に鈍らせるための弾丸。


「主任、下がってください」


「嫌よ。見えないところに下がったら、何が起きるか分からないでしょ」


「ですが――」


「あなたが前。私が後ろ。三秒以上足止めできれば十分」


「三秒ですか」


「できない?」


「……やります」


 護衛が扉の前に立つ。


 廊下の照明が一つ、また一つと消えた。


 足音はしない。だが、何かが確実に近づいている。


 空気が重くなる。


 まるで廊下全体に、黒い布をかぶせられたように。


 護衛が小さく息を呑む。


「主任……これは」


「悪魔反応。しかも濃い」


 カリンは拳銃の照準を廊下へ向ける。


「――でも、デビドールではない」


 暗がりの向こうに、影が立つ。


 人型。


 しかし、人間ではない。


 丸い頭部と猫のような耳。

 着ぐるみじみた輪郭。

 だが、身にまとっているのは古めかしい日本甲冑。


 ――腰には刀。


 その姿は奇妙だった。

 可愛らしさと不気味さが同居している。

 《《遊園地のマスコット》》が、そのまま戦場の亡霊になったような姿。


「止まりなさい!」


 護衛が叫ぶ。影は止まらない。

 

 護衛が発砲し、特殊弾が三発、廊下を走る。

 だが、影は揺れたように見えただけ。


 次の瞬間、護衛の体が吹き飛ぶ。


「がっ……!」


 壁に叩きつけられ、床へ崩れ落ちる。

 カリンは目を見開いた。


「速い……!」


 彼女も撃つ。


 一発。


 二発。


 影は首をわずかに傾けただけで、それをかわした。


 刀は抜いていない。


 ただ、腕を振るっただけだった。


 衝撃がカリンの腹部を打つ。


「っ……!」


 体が浮き、背中から壁に激突した。


 ……息が詰まる。


 拳銃が手から滑り落ち、視界が揺れる。


 白い廊下が歪む。

 カリンは床に膝をつきながら、必死に顔を上げた。


 影は病室の扉の前に立っていた。


 電子ロックが黒い火花を散らして壊れ、扉がゆっくりと開く。


 猫のような影は、少年のベッドへ近づいていく。


 カリンは手を伸ばした。


「待ち……なさい……」


 影は振り返らない。

 鎮静剤で眠る少年を、軽々と抱きかかえる。


 そして、初めて口を開いた。


「こ奴は、まだ使える」


 ……恐ろしく渋い声だった。

 見た目の奇妙さとはまるで合っていない。

 低く、重く、刃のように冷たい声。

 影の手から、禍々しい黒いエネルギーが溢れた。


 それが少年の胸へ流れ込み、少年の体が痙攣する。

 肌の下を黒い光が走り、胸元に赤い球体が浮かび上がった。


 人間に戻ったはずの少年が、再び赤い球体へと変わっていく。

 カリンの喉から、掠れた声が漏れた。


「再……変換……?」


 影は赤い球体『デモンコア』を抱える。まるで拾った道具を回収するように。

 人間を扱う手つきではなかった。


 カリンはその姿を見つめた。


 意識が遠のいていく。


 最後に聞こえたのは、低く渋い声だった。


「主命を果たす」


 その言葉を最後に、カリンの視界は黒く閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ