4-2 悶絶少女と焦る父!
翌朝。
五月女家の自室。
エミカは自分のベッドの上で目を覚ました。
白い天井ではない。病院の匂いもしない。
見慣れた部屋。
見慣れた机。
見慣れた本棚。
壁には、私立ウィエーテル学院の制服がかけられている。
昨日、ようやく退院した。
まだ右脚は松葉杖が必要だ。
肋骨も痛む。肩も動かしづらい。
魔力回路に関しては、考えるだけで胸が沈む。
……それでも、家に帰ってきた。
帰ってきたはずなのだが。
「……」
エミカは布団の中で、じっと天井を見つめた。
そして、いままで起きたことを思い出す。
デビデヴィ・クライシス。
自分の敗北。
父が魔法少女になったこと。
白とピンクの衣装。
ハート。名乗り。
マジカル・ショットガン。
動画サイト。
コメント欄。
エミカは布団を頭からかぶった。
「うううううう……!」
悶絶した。
「なんで……なんでお父さんが魔法少女になってるの……!」
一応、C.H.A.R.M.から説明は受けた。
メイクアップ・リグが反応したこと。
ゲキが雨玻町を守ったこと。
一時的とはいえ、正式に支援対象として扱われていること。
ゲキ・マキシマムは、現在の雨玻町に必要な戦力であること。
……頭では理解している。
……理解しているのだ。
でも、心が追いつかない。
「お父さんが……魔法少女の衣装で……動画に……!」
しかも、なぜか本人に恥じらいがない。
エミカは昨日の会話を思い出す。
『お父さん、恥ずかしくないの?』
『何がだ』
『いや、あの衣装……』
『エミカと同じ衣装だ。恥ずかしくないに《《決まっている》》』
『決まってないよ!?』
その時の父の顔は、本気だった。
迷いも照れもなかった。
――むしろ誇らしそうだった。
「お父さんの感性、やっぱりおかしい……」
エミカは布団の中で呟く。
思い返せば、伏線はあった。
ゲキは昔から、ピンクのエプロンを気に入っていた。
母が使っていたものだから、という理由もある。
だが、それにしても、あの大男がピンクの花柄エプロンを身につけて台所に立つ姿に、本人は何の違和感も持っていなかった。
「今思えば、あれがすべての始まりだったのかもしれない……」
「何を朝から深刻なこと言ってるミプ……」
ベッドの横から、眠そうな声がした。
ミププだった。
小さな精霊は、クッションの上で丸くなっている。
どうやらまだ半分寝ているらしい。
「ミププ……起きてたの?」
「エミカの呻き声で起きたミプ……朝から悪魔みたいな声出すのやめるミプ……」
「誰のせいだと思ってるの」
「ミププのせいではないミプ。どちらかというとゲキのせいミプ」
「それは否定できない……」
エミカは布団から顔を出した。
改めて壁にかかった制服を見る。
私立ウィエーテル学院の制服。
今日から復学する予定だった。
「……学校」
エミカは小さく呟いた。
ゲキは、もう少し休めと言っていた。
最低でも数日は様子を見るべきだ、と。
松葉杖での移動も慣れていないし、魔力回路のリハビリも始まったばかりだから、と。
だが、エミカは押し切った。
勉強に遅れたくない。
クラスメイトに心配をかけたままにしたくない。
そして何より、病人として家に閉じこもっていると、自分が本当に戦えなくなった気がしてしまう。
「今日から行くんだよね」
「本当に行くミプ?」
「行く」
「ゲキ、心配してたミプ」
「知ってる。でも、ずっと休んでたら余計に心配されるし」
「松葉杖で無茶するのは駄目ミプ」
「分かってる」
「階段で走るのも駄目ミプ」
「走れないよ」
「困ってる人を見つけて松葉杖で突撃するのも駄目ミプ」
「し、しないよ!」
ミププは疑わしそうに目を細めた。
「……本当に?」
「本当!」
「エミカは前科が多いミプ」
「うっ」
言い返せなかった。
エミカはベッドの横に置かれた松葉杖を見た。
……早く治さなければならない。
体も。
魔力回路も。
そして、心も。
「大丈夫。今日は普通に学校へ行くだけ」
「その“普通”が一番怪しいミプ」
「もう、ミププってば」
エミカは苦笑しながら、ゆっくりと体を起こした。
Θ
五月女家の一階は、SAOTOME GYMになっている。
大手チェーンのような広大な施設ではない。
地域密着型の小規模ジムだ。
だが、設備はきちんと整っている。
フリーウェイト。
ランニングマシン。
各種トレーニングマシン。
ストレッチスペース。
シャワールーム。
壁には会員向けの掲示板と、トレーニングフォームの注意書きが貼られている。
営業時間は二十四時間。
会員はいつでも利用できる。
ただし、トレーナーが常駐する時間は限られている。
朝の時間帯は、常連の会員が多い。
出勤前に軽く体を動かす者。
近所の年配客。
筋トレを日課にしている会社員。
そして、妙に筋肉談義が好きな者たち。
ゲキは黒いジャージ姿で、器具の点検をしていた。
ダンベルの位置を直し、ベンチを拭き、タオルを補充する。
その動きは手慣れている。
魔法少女として戦う時とは違う。
ここでの彼は、SAOTOME GYMの店長だった。
「店長、こっちの消毒液、補充しておきました」
受付側から声をかけてきたのは、エイコーだった。
SAOTOME GYMの正社員であり、実質的な副店長ポジション。
受付、清掃、入会手続き、予約管理、初心者対応、そしてゲキ不在時の現場管理までこなす、頼れるスタッフである。
「ああ、助かるよエイコー」
「エミカちゃん、今日から学校ですか?」
「本人が行くって聞かなくてな」
「店長が過保護すぎるんじゃないですか?」
「ははは。たった一人の愛娘を心配するのは、父親として当たり前だろ」
「その愛、だいぶ重量級ですからね」
「ん、どういう意味だ」
「そのままの意味です店長」
エイコーは笑いながら、受付の端末を操作する。
その近くでは、朝から来ていた会員二人が休憩しながら話し込んでいた。
「昨日の動画見た?」
「見た見た。《《ゲキ・マキシマム》》だろ?」
ゲキの手が止まった。
「すごかったよな。魔法少女なのにバイク乗ってたぞ」
「しかもショットガン撃ってた。ハート出てたけど、完全にショットガンだった」
「いや、あの筋肉が一番やばいって。あれ本物か? 魔法で盛ってんのか?」
ゲキの背中に、冷や汗が流れた。
エイコーが会員たちの話に混ざる。
「あの筋肉は本物っぽいですよ。肩周りと大胸筋の付き方、魔法で急に作った筋肉じゃないです」
「エイコーさん、分かるの?」
「分かります。あれは日常的に鍛えてる筋肉です」
「へえー」
ゲキは無言でベンチを拭き続ける。
拭く必要のないところまで拭いている。
エイコーがふと、ゲキを見る。
「店長」
「な、なんだ」
「ゲキ・マキシマムの筋肉、素晴らしいですよね?」
ゲキの手が止まった。
「……まあ、そうだな」
「特に僧帽筋と広背筋の厚み。あと腕。あの上腕三頭筋の張り方、ただの見せ筋じゃないです」
「そうか」
「でも、どこかで見たことある気がするんですよね」
「気のせいだろ」
即答だった。
エイコーは首をかしげる。
「そうですかね」
「ああ、気のせいだ」
「でも、あの肩幅とか、店長に――」
「気のせいだと言ってる」
「まだ最後まで言ってませんよ」
「言わなくていい」
会員の一人が笑う。
「もしかして店長、ゲキ・マキシマムに《《対抗意識》》あるんですか?」
「なに?」
「店長もかなりすごい筋肉ですけど、さすがに魔法少女には勝てないんじゃないですか?」
「いや……まぁ……そうだな」
ゲキは苦い顔で答えた。
自分と自分を比較されるという、妙な状況だった。
エイコーが腕を組む。
「でも本当に不思議なんですよ。顔は全然思い出せないんですけど、筋肉だけは覚えてる感じがするんです」
ゲキは内心で息を呑んだ。
認識阻害の魔法はちゃんと働いている。
ゲキ・マキシマムの姿を見た者は、彼を五月女ゲキと結びつけにくくなる。
顔、声、雰囲気、細部の記憶がぼやける。
だが、エイコーはトレーナーだ。
日々、筋肉を見ている。
フォームを見ている。
体つきの癖を見ている。
認識阻害が効いていても、筋肉の特徴だけが妙に引っかかっているらしい。
ゲキは額に汗を浮かべた。
「エイコー」
「はい」
「筋肉を見る目が鋭すぎるのも、考えものだな」
「え、どういう意味ですか」
「なんというか……怖いな」
「怖い!?」
エイコーは不思議そうに笑った。
「店長に怖いって言われると、ちょっと自信になりますね」
「いや、なるな」
その時、二階から松葉杖の音が聞こえた。
エミカが制服姿で降りてくる。
当然、動きはぎこちない。
右脚に体重をかけないよう、慎重に一段ずつ降りている。
ゲキは即座に階段下へ向かった。
「エミカ、待て。パパが支える」
「大丈夫だって」
「その大丈夫は信用できない」
「朝から二回目だよ、それ」
「一日何回でも言ってやる」
エミカはため息をつく。
エミカが抗議する。
その様子をジムの会員たちが微笑ましそうに見守っていた。
「あ、エミカちゃん退院したんだ」
「おかえり」
「学校行くの? 無理しないでね」
「あ、ありがとうございます」
エミカは少し照れながら頭を下げた。
ゲキは彼女の鞄を持ち上げる。
「少し重いな」
「教科書入ってるから」
「俺が持つ」
「校門までだからね」
「教室まででもいい」
「絶対駄目」
「机までなら」
「来ないでよ」
「授業中、廊下で待機するのは」
「ストーカーだよ!」
会員たちが笑う。
エイコーも笑いながら言った。
「店長、娘さんに嫌われますよ」
「そ、それは困るな」
「なら校門までにしてください」
「……仕方がない」
ゲキは渋々頷いた。
その時、受付端末に通知音が鳴った。
エイコーが画面を見る。
「あ、店長。今日の午後、体験予約が一件入ってます」
「体験?」
「はい。名前は……井原壮吉さん」
「井原?」
「備考欄に、“どうしても五月女店長に会いたい”って書いてありますね」
ゲキは眉をひそめた。
「知り合いか?」
「いえ、私は聞いたことないです」
エミカはあまり気にしていない様子で、松葉杖を持ち直した。
「お父さん、早く行かないと遅れる」
「ああ」
ゲキはエミカの鞄を持ち、ジムの入口へ向かう。
その背中を、エイコーが見送った。
会員たちはまだ、ゲキ・マキシマムの話で盛り上がっている。
「でもさ、ゲキ・マキシマムって名前、すごいよな」
「筋肉もマキシマムだったしな」
「魔法少女って、あそこまでいけるんだなあ」
ゲキは背中に冷や汗を感じながら、ドアを開けた。
認識阻害は効いている。効いているはずだ。
だが、世間は思った以上に、ゲキ・マキシマムに興味を持っていた。
そして、彼はまだ知らない。
午後にやってくる体験希望者が、ゲキ・マキシマムの動画を見て、長年押し込めていた夢に火をつけられた男であることを。
その男が、やがて雨玻町に新たな混乱を運んでくることを。
五月女ゲキは、まだ知らなかった。




