2 C.H.A.R.M
政府公認魔法少女支援機構――C.H.A.R.M.
その司令室には、怒号に近い報告が飛び交っていた。
壁一面に並ぶ大型モニター。
雨玻町の地図。
赤く染まっていく浸食区域。
点滅する警告表示。
数値は、刻一刻と悪い方向へ進んでいた。
「雨玻町中心部、悪魔浸食率六十八%!」
「七十%突破まで推定二分!」
「避難誘導、間に合いません!」
「一般通信網にもノイズ発生! 市民からの通報が集中しています!」
オペレーターたちの声が重なる。
普段なら冷静なはずのC.H.A.R.M.職員たちも、この状況では顔色を失っていた。
雨玻町は、これまで何度も魔法少女に守られてきた町だ。
かつては四人組の魔法少女チーム、マジカルメイデンズがいた。
その中心にいたのが、魔法少女フラワーメイデン――五月女エミカだった。
しかし今、その名は司令室の誰もが軽々しく口にできないほど重くなっている。
「フラワーメイデンの容態は」
指揮卓の前に立つ、二メートル近い男が声を張った。
C.H.A.R.M.長官、氷野カズマ。
白髪交じりの髪を後ろへ撫でつけた、筋骨隆々の男だった。
声は落ち着いている。
だが、その拳は強く握られていた。
「現在も意識不明! 魔力回路に深刻な損傷あり! 再変身は不可能です!」
「……そうか」
氷野は短く答えた。
それ以上は言わなかった。
いや、言えなかった。
魔法少女が倒れる。
それは、C.H.A.R.M.にとって最悪の事態の一つだ。
だが、本当に恐ろしいのは、その後だった。
守る者が倒れた町に、悪魔浸食が広がっている。
今、雨玻町には盾がない。
「近隣の魔法少女は」
女性副官が叫ぶ。
「音駒町のマジルカニャンニャはどうした。彼女たちなら雨玻町に近い」
「駄目です!」
別のオペレーターが首を振った。
「音駒町方面にも悪魔反応! バッドデーモンとは別種の妨害反応です! マジルカニャンニャは足止めを受けています!」
「敵はそこまで読んでいたというのか……!」
「他地域の魔法少女は?」
「移動に最低でも二時間! 間に合いません!」
司令室に、重い沈黙が落ちかけた。
だが、警告音がそれを許さなかった。
ビープ音が連続して鳴る。
赤い表示が、さらに広がる。
「悪魔浸食率、七十%を突破!」
「このまま拡大すれば、あと一時間以内に雨玻町全域が影響下に入ります!」
誰かが呻いた。
雨玻町全域。
それが意味するものを、司令室の人間は理解していた。
人々の心に悪魔が入り込む。
怒りが増幅され、恐怖が膨らみ、絶望が連鎖する。
街そのものが悪魔に呑まれ、人間が立ち入れる環境ではなくなっていく。
「敵対組織の正体は」
氷野が鋭く問う。
「悪魔空間発生直後、各機関に声明が送られています。発信者は、黒い鎧をまとった男」
メインモニターの一部に、静止画像が映し出された。
黒い鎧。
髑髏のような仮面。
画面越しにも、ただならぬ圧が伝わってくる。
「声明内で、敵は自らをデビデヴィ・クライシスと名乗りました」
「既存データとの照合は」
「該当なし。少なくとも、C.H.A.R.M.が確認している敵対組織には存在しません」
「新手か」
氷野は低く呟いた。
――新手。
その言葉は、司令室の空気をさらに重くした。
既知の敵であれば、まだ対応策を組める。
だが、今回は違う。
敵はフラワーメイデンを倒し、雨玻町を悪魔空間で覆い、近隣の魔法少女チームまで足止めしている。
偶発的な襲撃ではない。
計画された侵攻だった。
モニターの中で、雨玻町は赤く染まり続けている。
オペレーターたちの指が端末の上を走る。
避難経路。
浸食予測。
現場映像。
救助要請。
どれもが限界に近かった。
そこへ、新たな警告音が鳴った。
今度は赤ではない。
青白い光が、モニターの端に点滅する。
「……待ってください」
一人の女性オペレーターが、画面を凝視した。
「どうした」
「魔力反応を確認」
司令室の空気が変わった。
「まさか、フラワーメイデンか!」
「違います! フラワーメイデンの反応ではありません!」
「では、マジルカニャンニャが間に合ったか」
「いいえ、登録済み反応と一致しません!」
オペレーターの声が、わずかに上ずる。
「未登録の魔法少女反応です!」
その言葉に、司令室がざわめいた。
未登録。
新しい魔法少女。
それは、本来なら管理上の問題を意味する。
だが、今この瞬間だけは違った。
それは希望だった。
フラワーメイデンが倒れた町に、新たな魔法少女が現れた。
絶望的な状況に差し込んだ、一本の光。
「位置は」
「雨玻町中心部! 敵性反応の真正面です!」
「単独か」
「はい! ただし……」
「どうした?」
オペレーターは、一瞬だけ言葉に詰まった。
「魔力反応が、通常の魔法少女と比べて極めて不安定です。出力は高いのですが、波形が……その、前例のない形をしています」
「前例など後でいい」
氷野は即座に言った。
「今必要なのは、雨玻町を守る力だ」
そして、ほんのわずかに息を吐く。
「天は……いや、精霊神は、我々を見捨てなかったか」
司令室の職員たちは、誰も笑わなかった。
その言葉が大げさではないほど、状況は追い詰められていた。
「映像は出せるか」
「はい! 現場ドローン、映像回復しました!」
「メインモニターに出せ」
「了解! メインモニター、出します!」
巨大なメインモニターが切り替わる。
一瞬、砂嵐。
ノイズ。
乱れた映像。
そして次の瞬間、画面いっぱいに映し出された。
白。
ピンク。
ハート。
リボン。
魔法少女らしい、可愛らしい意匠。
だが。
その中心に映っていたのは、――筋骨隆々の大男の顔面だった。
あまりにも近い。
近すぎる。
画面いっぱいに、厳つい顔が映っている。
百九十センチを超える巨体。
分厚い首。
広すぎる肩幅。
白とピンクの魔法少女衣装に包まれた、どう見ても成人男性。
司令室の時間が止まった。
「……」
「……」
「……」
誰も何も言わなかった。
いや、言えなかった。
希望が映るはずだった。
新たな魔法少女が、凛々しく立つ姿が映るはずだった。
なのに、メインモニターには、白とピンクの衣装をまとった筋肉男がドアップで映っている。
やがて、画面の中の男が口を開いた。
『娘の涙に拳を燃やす――!』
低い声だった。
魔法少女の名乗りとしては、あまりにも低い声だった。
司令室の全員が、同時に息を呑む。
『怒れる父のマジカルハート!』
誰かのペンが床に落ちた。
『魔法少女――ゲキ・マキシマム!』
その瞬間、司令室の全員の心が一つになった。
「「「……!?」」」
叫びというより、思考停止の音だった。
副官が震える指でモニターを指す。
「ちょ、長官……」
「……なんだ」
「あれは……魔法少女、なのでしょうか?」
氷野カズマは答えなかった。
ただ、じっとモニターを見つめていた。
画面の中では、魔法少女ゲキ・マキシマムと名乗った大男が、機械の怪人と戦っている。
白とピンクの光をまとった拳。
ハートのエフェクト。
しかし威力は完全に重機だった。
「魔力反応は」
氷野が問う。
「ま、間違いありません! 魔法少女反応です!」
「一応……性別判定は」
「登録システムが混乱しています!」
「混乱だと?」
「魔法少女反応と成人男性の身体情報が同時に出ています! システムが処理を拒否しています!」
「機械にも拒否権があるのか……?」
女性副官が真顔で呟いた。
別の職員が、画面を見ながら小声で言う。
「この方、どこかで……」
その時、サブモニターに通信が入った。
病院対応にあたっている赤司良介だった。
『こちら赤司です。現場映像、確認しました』
「赤司エージェント。あの未登録魔法少女に心当たりは?」
良介は、爽やかな好青年らしい整った顔で、数秒だけ黙った。
そして、ものすごく言いにくそうに答える。
『……五月女ゲキさんです』
「五月女だと?」
『フラワーメイデン……五月女エミカさんのお父様です』
司令室が、再び止まった。
「父親……?」
「父親が……」
「あれが……?」
「魔法少女……?」
ざわめきが広がる。
誰かが頭を抱えた。
誰かが資料を確認し始めた。
氷野カズマだけは、静かにモニターを見つめていた。
その目には、驚きがあった。
だが、それだけではない。
理解と納得。そして、ほんの少しの感心。
「――そういう選択肢もあったか」
氷野が呟いた。
女性副官が思わず振り向く。
「長官?」
「いや」
氷野は小さく首を振った。
画面の中で、ゲキ・マキシマムが敵へ向かって吼える。
見た目は異常だ。
状況も異常だ。
登録システムはまだエラーを吐いている。
だが、その拳が向かう先は間違っていない。
その背中は、間違いなく誰かを守ろうとしていた。
「強いな」
氷野は短く言った。
「敵幹部と交戦中!」
オペレーターの声に、少しだけ力が戻る。
希望は、確かに現れた。
ただし、C.H.A.R.M.が想定していた形とは、まったく違っただけで。
氷野は、指揮卓に両手を置いた。
「全職員、混乱は後にしろ」
その一言で、司令室の空気が引き締まる。
「現時点をもって、未登録魔法少女ゲキ・マキシマムを雨玻町防衛戦力として仮認定する!」
「よ、よろしいのですか!?」
「魔力反応は魔法少女。ならば支援対象だ」
「し、しかし、成人男性です!」
「それも後で考える」
氷野はモニターを見据えたまま、静かに命じた。
「現場ドローンをゲキ・マキシマムに追従。浸食域の変化を記録。病院、消防、警察との連携を維持しろ。赤司エージェントには、引き続き五月女家対応を任せる」
「了解!」
「魔力反応解析班、ゲキ・マキシマムの波形を保存。精霊反応との同期率も洗え」
「了解!」
「広報班、現場映像の外部流出を抑えろ」
「了解!」
一斉に職員たちが動き出す。
混乱は残っている。
疑問も山ほどある。
だが、少なくとも司令室は再び機能し始めた。
女性副官が、ぽつりと漏らした。
「……長官」
「なんだ」
「あれを、正式に魔法少女として扱うのですか」
氷野は少しだけ考え、淡々と答えた。
「魔法少女とは、誰かを守るために立つ者だ」
モニターの中で、ゲキ・マキシマムが再び叫ぶ。
氷野は目を細めた。
「ならば、今の彼は魔法少女だ」
司令室の誰も、それ以上は何も言えなかった。
ただ一人、通信越しの赤司良介だけが、どこか遠い目をしていた。
『……この後の報告書、どう書けばいいんでしょうか』
その問いに答えられる者は、C.H.A.R.M.司令室には一人もいなかった。
Θ
「そこの……魔法少女……!」
悪魔空間が晴れた雨玻町の中心部に、緊張した声が響いた。
月明かりの下。
白とピンクの衣装をまとった巨大な男が立っている。
魔法少女ゲキ・マキシマム。
その足元から少し離れた場所には、白い手術服のような服を着た少女が倒れていた。
警察官と境界防衛隊の隊員たちが、ゲキ・マキシマムを囲み、銃口と対異界装備を向けている。
指揮官らしき女性隊員は、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。
「……えっと……魔法少女?」
「ミププも聞きたいミプ……」
ゲキ・マキシマムのそばで、ミププが頭を抱える。
女性隊員は咳払いをした。
「と、とにかく、大人しくしなさい! あなたを重要参考人として拘束します!」
銃口が揃う。
警察官たちは倒れている少女にも気づき、救護班へ指示を飛ばしていた。
ゲキ・マキシマムは逃げなかった。
戦うつもりもなかった。
ただ、倒れている少女を一度だけ見た。
自分は、何を倒したのか。
あのデビガノイドと呼ばれた機械の怪人は、何だったのか。
その疑問は、胸の奥に重く残っている。
だが今は、ここで暴れるべき時ではない。
ゲキ・マキシマムはゆっくりと両手を上げた。
「安心しろ。抵抗する気はない」
低い声だった。
その声に、周囲の隊員たちがさらに身構える。
魔法少女というには、あまりに厳つい。
だが、敵意はなかった。
次の瞬間、白とピンクの光がほどけるように散った。
変身が解除される。
そこに立っていたのは、黒いジャージ姿の大男だった。
五月女ゲキ。
手には、メイクアップ・リグが握られている。
女性隊員は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに指示を出そうとした。
「確保――」
「待ってください!」
その声が、背後から飛んだ。
スーツ姿の青年が、規制線をくぐるように駆け込んでくる。
赤司良介だった。
息を切らしながらも、彼は隊員たちの前に立った。
「C.H.A.R.M.所属、赤司良介です。その人物の身柄は、C.H.A.R.M.が管理します」
「C.H.A.R.M.?」
女性隊員が眉をひそめる。
「この男性は、現時点で未登録魔法少女として仮認定されています。詳細確認と聴取は、魔法少女支援機構の管轄です」
「……魔法……少女?」
女性隊員の視線が、ゲキの頭から足元まで動く。
「……この方が?」
「ええ、お気持ちは痛いほど分かります」
赤司は真顔で言った。
「ですが、魔力反応上はそうなっています。我々の管轄です」
「反応上は……出ているのですね。この男から」
「はい。反応上は」
現場に、なんとも言えない沈黙が落ちた。
ゲキは赤司を見下ろす。
「赤司か」
「五月女さん。ご無事で何よりです」
「拘束されるのは構わない。だがその前に、娘に会わせてほしい」
その一言で、赤司の表情が変わった。
仕事の顔ではない。
エミカを長く支えてきた者の顔だった。
「拘束はしませんよ。それに、ちょうど先ほど病院から、彼女が目を覚ましたと連絡がありました」
ゲキの息が止まる。
「……そうか」
短い返事だった。
だが、その声に込められた安堵は隠せなかった。
「今から我々の本部へ来ていただく必要があります。ただ、その前に病院へ寄りましょう」
「感謝する赤司」
ゲキは頷いた。
ミププが小さく胸を撫で下ろす。
「よかった……エミカ……起きたミプ……」
救護班が、倒れていた少女を慎重に担架へ乗せていく。
ゲキはその様子を見た。
小さな少女。
意識のない顔。
あのデビガノイドの中から現れた存在。
「あの子はどうなる?」
「救急搬送します。C.H.A.R.M.でも確認しますが……正直、彼女が何者か、こちらも把握していません」
「……そうか」
ゲキは拳を握った。
敵は、まだ何かを隠している。
そう思った。
Θ
雨玻町総合病院の病室には、静かな灯りがともっていた。
先ほどまでの混乱が嘘のように、部屋の中は穏やかだった。
ただ、医療機器の音だけが規則正しく響いている。
ベッドの上で、五月女エミカが目を開けていた。
顔色はまだ悪い。
体には包帯が巻かれ、点滴もつながっている。
それでも、意識は戻っていた。
「パパ……」
病室に入ってきたゲキの顔を見た瞬間、エミカの目に涙が浮かんだ。
エミカがそう呼んでくれたのは、いつぶりだろうか。
もう十六歳だから子供っぽいと、最近はずっと「お父さん」と呼んでいた。
こんな状況でなければ、ゲキは少しだけ喜んでいたかもしれない。
「ごめん……ごめんなさい……」
かすれた声。
「私、負けちゃった……町を、守れなくて……」
ゲキはベッドのそばへ歩み寄った。
その大きな手を、エミカの手にそっと重ねる。
「大丈夫だ。もう敵はいない」
「え……?」
「何も心配するな、エミカ」
エミカの目から、涙がこぼれる。
ゲキはそれ以上、戦いのことを話さなかった。
自分が何をしたのかも言わなかった。
魔法少女になったなどと、今ここで伝えるつもりはなかった。
まずは休ませる。
父親として、それが一番先だった。
「今は身体を休ませることに集中しろ。他のことは、また明日話そう。いいな?」
「……うん」
エミカは小さく頷いた。
安心したのか、再びまぶたが重く落ちていく。
ゲキは眠りについた娘を見つめた。
そして、そっとエミカの額にキスをした。
その後、手に持っていたメイクアップ・リグを、枕元に置く。
「――ありがとう、エミカ」
小さな声だった。
エミカには聞こえていない。
それでよかった。
部屋の隅では、浅倉沙織が椅子に座ったまま眠っていた。
目元は赤く腫れている。
エミカが目を覚ました時、きっと泣いたのだろう。
片手には、エミカの手を握っていた名残のように、まだ力が残っている。
ゲキはその姿を見て、静かに頭を下げた。
「沙織ちゃんも、ありがとうな」
沙織は起きなかった。
赤司は病室の入口で、その光景を静かに見守っている。
そして、ミププへ視線を向けた。
「ミププさん」
「な、何ミプ」
「あなたにも、C.H.A.R.M.本部へ同行していただきたい。今回の件は、精霊側の証言も必要です」
「……分かったミプ」
ミププはエミカを見た。
眠っている少女。
長年支えてきた魔法少女。
守れなかった相棒。
そして、彼女の父親は、ありえない形でメイクアップ・リグに選ばれた。
「ミププも、ちゃんと説明するミプ」
ミププは小さく言った。
Θ
C.H.A.R.M.本部。
その司令室は、先ほどまでの混乱が嘘のように静けさを取り戻していた。
だが、空気は軽くない。
雨玻町の被害状況。
倒れていた少女の搬送報告。
デビデヴィ・クライシスという新たな敵組織。
そして、未登録魔法少女――ゲキ・マキシマム。
処理すべき問題は山ほどあった。
その司令室の中央で、氷野カズマは五月女ゲキと向き合っていた。
ゲキは通常の姿に戻っている。
黒いジャージ。
巨体。
鋭い目。
魔法少女の衣装を着ていなくても、十分すぎるほど圧があった。
隣にはミププ。
少し離れて、赤司良介が立っている。
「まずは礼を言わせてほしい」
氷野は深く頭を下げた。
「雨玻町を守ってくれて、ありがとう」
ゲキは少しだけ眉を動かした。
長官と呼ばれる男が、迷いなく頭を下げたことに驚いたのかもしれない。
「いや……自分は、娘が守ろうとした町を守っただけです。怒りに任せて動いた。むしろ、ご迷惑をおかけしました」
ゲキも頭を下げる。
「顔を上げてくれ。君がいなければ、雨玻町は落ちていた」
ゲキは顔を上げた。
「C.H.A.R.M.長官、氷野カズマだ」
「五月女ゲキです」
二人は短く名乗った。
ゲキは少し間を置いてから言った。
「娘を支えてくれていたことにも、礼を言いたい」
「我々は、魔法少女を支援するための組織だ。当然のことをしたまでだ」
氷野は静かに頷く。
ゲキは司令室を見回した。
大型モニター。
操作端末。
忙しく動く職員たち。
そのすべてが、彼にとっては馴染みのないものだった。
「私の存在は、かなりのイレギュラーでしょう。今後どうなるのですか?」
「その前に、まずは我々がどういった組織か、詳しく説明しよう」
氷野は司令室へ視線を向けた。
「正式名称は、Civilian Heroine Aid and Response Management。頭文字を取って、C.H.A.R.M.。日本語では、政府公認魔法少女支援機構と呼ばれている」
「言葉通り……魔法少女を支援する組織、ですか」
「ああ。魔法少女を戦わせるための組織ではない。魔法少女を守り、支え、戦える環境を整えるための組織だ」
氷野は指揮卓の端末を操作した。
モニターに、古い記録映像が表示される。
壊れた街。
黒い怪物。
逃げ惑う人々。
そして、その前に立つ、幼さの残る魔法少女の姿。
「約二十年前、この世界に異次元から敵性存在が現れ始めた。奴らは悪魔の力を使い、町を壊し、人を襲い、この世界の秩序を乱した」
「それが、『異次元敵性存在』……」
「そうだ。境界防衛隊も組織され、通常兵器による対処も行われた。だが、悪魔の力をまとった敵の中には、通常兵器では倒しきれないものも多かった」
画面が切り替わる。
銃撃を受けても進み続ける怪物。
崩れる建物。
黒い瘴気に包まれる街。
「その時、精霊界から精霊たちが派遣された。悪魔の力に対抗できる力を、この世界にもたらすために」
「精霊と契約した少女が、魔法少女になる……」
「そうだ。魔法の力を与えられた少女たち。それが、『魔法少女』だ。彼女たちは悪魔の力に対抗できる、数少ない存在だった」
氷野の声が、少しだけ低くなった。
「だが、最初から今のような支援体制があったわけではない。初期の魔法少女たちは、ほとんど一人で戦っていた。敵の情報もない。治療体制もない。身元を守る仕組みもない。戦った後の心のケアもない」
ゲキは黙って聞いていた。
一人で戦う。
町を背負う。
誰にも言えず、傷を隠す。
それは、エミカの姿と重なった。
「最初の魔法少女は強かった。勇敢だった。だが、どれほど強くても、子供が一人で背負うには重すぎた」
「……だから、C.H.A.R.M.を作ったんですね」
「ああ。同じ過ちを繰り返さないためだ。魔法少女を孤独に戦わせない。戦闘だけではなく、医療、避難誘導、現場処理、身元保護、学校や家族への偽装対応、戦闘後のケアまで行う。それがC.H.A.R.M.の役割だ」
ゲキは赤司を見た。
進路相談を見ている塾関係者。
あれも、エミカを守るための偽装だったのだ。
「……なるほど」
ゲキは短く息を吐いた。
「改めて礼を言わせてください。娘を……エミカを支えてくれて、ありがとうございます」
氷野はその言葉を静かに受け止めた。
そして、ミププへ視線を向ける。
「ミププ」
「ミプ?」
「確認したい。精霊として答えてほしい」
ミププは少しだけ身構えた。
氷野の問いは、司令室全体に響いた。
「五月女ゲキは、魔法少女か?」
職員たちの手が止まる。
赤司も、思わずミププを見た。
ゲキ本人は黙っている。
ミププは、深く悩むように目を伏せた。
「……精霊界の一般常識で言うなら、違うミプ」
はっきりとした答えだった。
「魔法少女になるには、女性だけが持つ魔力回路と、精神的適性が必要ミプ。ゲキは男ミプ。しかも、どう見ても魔法少女という言葉から遠いミプ」
「まあ、事実だな」
「とんだイレギュラーだミプ」
ミププは真顔で続けた。
「ミププ個人の感情としても、正直あれを魔法少女と認めるには抵抗があるミプ。精霊界の何かが終わる気がするミプ」
「そこまで言うのか」
「でも」
ミププの声が変わった。
少しだけ、真剣な響きになった。
「メイクアップ・リグは、ゲキを魔法少女として認めたミプ」
司令室に静かな空気が落ちる。
「ミププがどう思うかとは関係なく、リグはゲキの心に応えたミプ。娘を守りたい気持ち。町を守りたい覚悟。エミカの戦いを否定しない誇り。それが、リグを動かしたミプ」
ミププは悔しそうに耳を伏せる。
「だから……精霊としては認めるしかないミプ。五月女ゲキは、メイクアップ・リグに選ばれた魔法少女ミプ」
ゲキは何も言わなかった。
氷野もまた、静かに頷いた。
「分かった」
彼はゲキへ向き直る。
「C.H.A.R.M.として、君を魔法少女として扱い、支援対象としたい」
司令室の空気がわずかに動く。
――しかし、ゲキはすぐには答えなかった。
腕を組み、少しだけ目を伏せる。
「デビデヴィ・クライシスとやらがまだ残っている以上、私は戦います」
その声に迷いはなかった。
「奴らはエミカを傷つけ、町を壊した。そして、あのデビガノイドと呼んでいたものにも、何かがある。首を突っ込んでしまったからには、見て見ぬふりは性に合いません」
「なら――」
「しかし」
ゲキは氷野の言葉を遮った。
「私は、エミカの代わりにずっと魔法少女を続けるつもりはありません」
氷野は黙って続きを待つ。
「私は父親だ。娘が倒れたなら、彼女が戻るまで町を守る。それが自分の役目だと思っています」
ゲキは拳を握った。
「エミカが守ってきた町です。エミカが誇りを持って戦ってきた場所です。私がそれを奪ってしまうわけにはいきません」
ゲキの声は低く、まっすぐだった。
「娘が戻るまでです。娘がもう一度立てるようになるまで、雨玻町は私が預かります」
氷野の目が、わずかに細くなる。
その言葉の意味を、彼は理解していた。
この男は、娘の席を奪おうとしているのではない。
――娘が帰る場所を守ろうとしている。
「……分かった」
氷野は頷いた。
「では、五月女ゲキ。C.H.A.R.M.は君を、エミカ君が復帰するまでの雨玻町臨時防衛戦力――魔法少女ゲキ・マキシマムとして支援する」
ゲキは氷野を見た。
「支援とは、具体的に何をするのですか?」
「現場情報の共有。避難誘導との連携。医療支援。敵性反応の解析。必要なら装備の調整も行う」
「頼もしい限りです」
「そのための組織だ」
氷野は右手を差し出した。
「共に戦おう、五月女ゲキ」
ゲキはその手を見た。
大きな手で、ゆっくりと握り返す。
「娘が戻るまでです」
「ああ」
二人の手が固く結ばれる。
C.H.A.R.M.司令室のモニターには、雨玻町の地図が映っていた。
悪魔空間は消えた。
だが、赤い警告表示はいくつも残っている。
新たな敵――デビデヴィ・クライシス。
デビガノイドの中から現れた少女。
そして、ありえない形で誕生した新たな魔法少女。
問題は山積みだった。
けれど、少なくとも一つだけ決まったことがある。
雨玻町を守る者は、まだいる。
その名は――魔法少女ゲキ・マキシマム。
娘の願いを預かった、怒れる父のマジカルハートだった。




