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1-2 誕生! 新たな魔法少女? 


 雨玻町の外周部には、すでに防衛線が敷かれていた。


 道路は封鎖され、赤い誘導灯が闇の中で点滅している。警察車両と装甲車両が道を塞ぎ、簡易バリケードの向こうでは、警察官と、異次元からの来る『敵性存在』に対抗する防衛組織『境界防衛隊』の隊員たちが慌ただしく動いていた。


 その先にあるのは、紫色の膜。

 町を覆うように広がる、巨大なドーム。


 ――悪魔空間。


 近づくだけで、皮膚の奥に冷たいものが入り込んでくるような感覚襲われ、空気は重く、耳鳴りのような不快な振動が響く。


 境界防衛隊の隊員たちは、防護マスクと特殊装備を身につけ、銃口を紫の膜へ向けている。


「後退しろ! 民間人は近づくな!」


「悪魔空間内部への長時間侵入は危険だ! 繰り返す、民間人は退避しろ!」


 怒号が飛ぶ。


 だが、その声にも焦りが混じっていた。

 悪魔空間に長く入れば、精神が蝕まれる。恐怖や怒り、不安が増幅され、最悪の場合は『悪魔』に支配される。

 さらに、悪魔空間を広げ、空間内で暴れ回っている巨大な機械怪人――デビガノイドには、通常兵器がほとんど通じない。

 警察も境界防衛隊も、ただ何もしていないわけではなかった。

 逃げ遅れた住民の誘導。悪魔空間の拡大阻止。外へ漏れ出そうとする敵の迎撃。


 できることはすべてやっている。


 だが、決定打がない。


 この町の魔法少女が倒れた今、誰があの怪物を止めるのか。

 誰も、その答えを持っていなかった。


「来るぞ!」


 紫の膜が波打った。

 中から、黒い鉄で作られた人形が飛び出してくる。


 デビドール。

 悪魔の力で動く、量産型の雑兵たちだった。


「撃て!」


 銃声が夜を裂いた。

 防衛隊の銃弾がデビドールへ叩き込まれる。火花が散り、黒い体がよろめいた。


 しかし倒れない。


 何体かは弾丸を受けながらも前進し、バリケードへ飛びかかった。


「くそっ、止まらない!」


「距離を取れ! 近接戦になるぞ!」


 隊員たちが警棒型の対異界装備を構え直す。

 警察官たちも避難誘導を続けながら、必死に後退線を保っていた。


 ――その時だった。


 防衛線の後方から、地面を叩くような足音が近づいてきた。


 重い。速い。まるで巨大な獣が全力で走ってくるような音だった。


「なんだ!?」


 振り返った隊員の横を、一人の男が駆け抜けた。


 身長百九十三センチ。分厚い胸板。丸太のような腕。

 手には、手のひらサイズの奇妙な変身アイテムを握っている。


 ――五月女ゲキだった。


「止まれ! そこの民間人!」


「悪魔空間に近づくな!」


 防衛隊員が叫ぶ。


 ゲキは止まらなかった。


 返事もしなかった。


 ただ、紫色の膜だけを見据えて走っていた。


「おい、待て!」


 一体のデビドールが、ゲキの前に飛び出した。


 黒い腕が振り上げられる。

 しかし、ゲキは速度を落とさなかった。


「邪魔だ!」


 その拳が、デビドールの顔面を真正面から打ち抜いた。


 鈍い音。


 デビドールの体が宙を舞い、バリケードの向こうへ転がっていく。

 周囲の隊員たちが、一瞬だけ固まった。


 ゲキはさらに一体、二体と、悪魔の人形を素手で殴り倒していく。


 変身していない。武器も持っていない。


 それなのに、デビドールが道を開けるように吹き飛んでいく。

 そしてゲキは、そのまま紫の膜の中へ飛び込んだ。


「うっそ」


 誰かが、呆然と呟いた。

 その声は、銃声と警報の中で小さく消えた。


     Θ


 悪魔空間の中は、外から見るよりもさらに不快だった。


 空は紫に濁り、建物の輪郭は黒く滲んでいる。見慣れた雨玻町のはずなのに、まるで別の世界に迷い込んだようだった。


 道路には瓦礫が散らばり、壊れた看板が倒れている。

 遠くで悲鳴が聞こえる。

 何かが崩れる音も聞こえた。


 ゲキは走った。息は荒い。

 だが足は止まらない。


 目的地は分かっていない。

 それでも、敵がいる場所は分かる気がした。


 ……悪魔空間の中心。

 

 この紫の闇が、もっとも濃い場所。

 娘を傷つけた敵は、きっとそこにいる。


「ゲキ! 待つミプ!」


 後ろから、必死に羽ばたくような音が追ってくる。


 ミププだった。


 小さな精霊は、ゲキの肩に飛び乗ろうとして失敗し、慌てて横を飛ぶ。


「悪魔空間の中に長くいるのは危険ミプ! 人間の心は悪魔の力に蝕まれるミプ! 怒りも、憎しみも、不安も、全部悪魔に利用されるミプ!」


「なら、長くいなければいいんだな?」


 ゲキは走りながら答えた。


「早く終わらせよう」


「そういう問題じゃないミプ!」


「そういう問題だ」


「もう、話を聞くミプ!」


 ミププの声は震えていた。


 怒っているのではない。


 怖がっているのだ。


 ゲキがこのまま突き進めば、本当に戻れなくなるかもしれない。男が魔法少女になれないことは、ミププが一番よく知っている。


 だからこそ止めたい。


 けれど、ゲキは止まらない。


 その背中からは、怒りが立ち上っていた。

 悪魔空間の紫よりも濃く、静かで、重い怒りだった。


「ミププ」


「な、なんミプ」


「敵は、エミカを傷つけた」


「……ミプ」


「娘が守ってきた町を破壊している」


「分かってるミプ。でも――」


「なら、俺は退かないさ」


 それ以上、ミププは何も言えなかった。

 ゲキの言葉は乱暴だった。

 理屈も無茶苦茶だった。

 

 だが、その根にあるものだけは、あまりにも真っ直ぐ、娘を守れなかった父親が、今度こそ何かを守るために走っている。


 その背中を止める言葉を、ミププは見つけられなかった。


     Θ


 悪魔空間の中心部は、商店街の大通りだった。

 本来なら、夜でも店の明かりが並び、人が行き交う場所。


 今は、瓦礫と破壊の中心になっていた。

 道路の真ん中に、巨大なデビガノイドが立っている。

 黒く歪んだ機械の体。腕は太く、脚は建物の柱のように頑丈で、胸部には不気味な球体が埋め込まれていた。


 その周囲には、デビドールたちが蠢いている。


 そして、瓦礫の上に二人の人影があった。


 ――一人は、銀髪縦ロールの女。

 マスクで顔の一部を隠し、黒いレザーのハイレグ衣装をまとっている。


 ――もう一人は、紫髪の白衣の男。

 整った顔立ちに、歪んだ笑みを浮かべている。


 ゲキは足を止めた。

 息を整える。

 拳を握る。


 紫の空の下で、彼は二人を見上げた。


「お前たちが……デビデヴィ・クライシスとかいう、ふざけた連中か?」


 女が、ゆっくりと振り返った。

 扇子で口元を隠し、値踏みするようにゲキを見る。


「あら。ふざけたとは失礼ですわね。筋骨隆々な紳士様」


 白衣の男が目を細める。


「誰だい、こいつ。避難し損ねた一般人?」


 女は街灯の上へ優雅に飛び乗り、扇子を広げた。


「せっかくですから名乗って差し上げましょう。わたくしは、デビデヴィ・クライシス先行部隊隊長――タカワラーイ婦人」


 白衣の男も、胸に手を当てて大げさに笑った。


「そして僕こそが、天才悪魔兵器開発者、イタヴリ博士! このデビガノイドを作り上げた、芸術家にして科学者にして悪魔兵器の申し子さ!」


「下品な自称を増やさないでくださる?」


「婦人、そこは褒めるところでしょう!」


 ゲキは二人のやり取りを聞いていたが、表情は変わらなかった。


「目的は何だ」


 タカワラーイ婦人は目を細めた。


「目的? そんなもの、決まっていますわ」


 扇子の先が、紫に染まった空を示す。


「このシータアースと呼ばれる世界を悪魔空間で覆い尽くすこと。そして悪魔の力によって、この世界の住民すべてをデビデヴィ・クライシスの奴隷にすることですわ」


 イタヴリ博士が楽しげに両手を広げる。


「恐怖も怒りも絶望も、全部悪魔の力に変わる! 人間たちは泣き叫び、世界は悪魔空間に沈み、僕の悪魔兵器たちはさらに美しく進化する! 最高じゃないか!」


「はっ。ふざけた連中だ。仲良く二人で世界征服ごっこか。いい大人が、くだらんことをしている」


 ゲキは低く言った。


「なんですって?」


 タカワラーイ婦人が扇子を閉じる。


「ところで、あなたは何者かしら? この状況で逃げもせず、わたくしたちの前に来るなんて」


 ゲキは一歩前に出た。


「五月女ゲキ」


 そして、言った。


「フラワーメイデンの父親だ」


 一瞬、風が止まったような沈黙が落ちた。

 次に響いたのは、イタヴリ博士の笑い声だった。


「あはっ……あはははははははは!」


 博士は腹を抱えるように笑った。


「父親? あの魔法少女の父親? それで? ただの親父が、ここに何しに来たっていうのさ!」


 ゲキは答えない。

 ただ、拳を握った。


 タカワラーイ婦人はその様子を眺め、少しだけ興味深そうに目を細めた。


「なるほど。娘を傷つけられた父親が、怒りに任せてここまで来たというわけですわね」


「やはり……エミカをやったのは、お前たちか」


「ええ。魔法少女フラワーメイデンは敗れましたわ」


 その言葉が、ゲキの胸の奥を抉った。

 病室に横たわる娘の姿が浮かぶ。


 包帯。


 点滴。


 白い頬。


 そして、窓の外に広がっていた紫の町。


「……なら手加減はしない」


 ゲキの声は静かだった。

 タカワラーイ婦人は扇子を向ける。


「あなた程度の相手など、デビドールで十分ですわ」


 その言葉と同時に、周囲のデビドールたちが一斉に動いた。


 黒い人形の群れが、ゲキへ襲いかかる。

 ゲキは手にしたメイクアップ・リグを掲げた。

 病室で奪うように借りた、エミカの変身アイテム。


 中央のボタンを押す。


 ……沈黙。何も起きない。


「……」


 もう一度押す。


 やはり、何も起きない。


「あたりまえミプ!」


 ミププが悲鳴のように叫んだ。


「男は魔法少女にはなれないミプ! それはエミカのメイクアップ・リグで、ゲキが使っても反応するわけないミプ!」


「ならば」


 ゲキはメイクアップ・リグを握りしめたまま、前に出た。


「反応するまでやるだけだ」


「まるで話を聞いてないミプ!」


 デビドールの爪が迫る。

 ゲキは身を沈め、拳を振り抜いた。

 骨ではない、金属でもない、悪魔の力で動く人形の体が、鈍い音を立ててへし曲がる。


 一体。


 二体。


 三体。


 デビドールが次々と倒れていく。

 ゲキはメイクアップ・リグを手放さなかった。

 それを握った拳で殴ることはしない。


 娘のものだからだ。


 だから片手で守りながら、もう片方の拳と足だけで敵をなぎ倒していく。


「えっと……婦人」


 イタヴリ博士の声が、少しだけ引きつった。


「デビドールがやられているんだけど」


「見れば分かりますわ」


「いや、ただの親父だよね?」


「なんというフィジカル……魔法少女の親だけのことはありますわね」


「いや、多分あの親父が異常なだけだと思うけど!?」


 最後のデビドールが、ゲキの蹴りで瓦礫の山へ叩き込まれた。

 ゲキは肩で息をしている。


 ……無傷ではない。


 腕には擦り傷ができ、服も裂けている。

 悪魔空間の重い空気が、体力を削っている。


 それでも、彼は立っていた。


「次は、お前らだ」


 ゲキが言った。

 イタヴリ博士の表情が、歪んだ笑みに戻る。


「はっ。なるほど、デビドール程度なら倒せるんだ。すごいすごい。じゃあ、これはどうかな?」


 博士が指を鳴らし、巨大な影が動いた。


 デビガノイド。


 黒く歪んだ巨体が、ゲキの前に立ちはだかる。


「こいつはデビガノイド。デビドールとは格が違う! 悪魔エネルギーで強化された本物の悪魔兵器だ! ただの腕力でどうにかなる相手じゃないんだよ!」


 ゲキは一歩踏み込んだ。

 拳を引く。

 地面を蹴る。

 その拳が、デビガノイドの腹部へ叩き込まれた。


 ……鈍い音。


 だが、巨体は揺らいだだけだった。


「……っ」


 拳に、嫌な痺れが走る。

 人形とは違う。桁が違う。

 ゲキの拳は、確かに異常なほど強い。

 だが、それはあくまで人間の拳。


 デビガノイドが腕を振る。


 避けきれない。


 ゲキの体が弾き飛ばされた。

 背中から地面に叩きつけられ、肺の空気が押し出される。


「がっ……!」


「ゲキ!」


 ミププが駆け寄る。

 ゲキは咳き込みながら起き上がった。

 手にはまだ、メイクアップ・リグがある。


 彼はそれを見た。


 そして、何度もボタンを押した。


「頼む……動いてくれ」


 反応はない。


「頼む」


 また押す。


「俺を行かせろ」


 何も起きない。


「ははははは!」


 イタヴリ博士が笑う。


「何をしてるんだい? その玩具で変身でもするつもり? 残念だったねぇ。君は魔法少女じゃない。ただの父親だ!」


「はやく逃げるミプ!」


 ミププがゲキの服を引っ張る。


「もう分かったミプ! ゲキが死んだら、エミカが悲しむミプ!」


 ゲキはミププを見た。

 その目は、少しだけ揺れた。


 ……エミカが悲しむ。


 その言葉だけは、彼の胸に刺さった。

 だが、それでも。

 ゲキはミププの手をそっと外した。


「すまない」


「ゲキ!」


 デビガノイドが迫る。

 巨大な腕が、上から振り下ろされた。

 避けるには遅い。防ぐには無謀。


 普通なら、そのまま叩き潰される。


 ゲキは逃げなかった。


「うおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 雄叫びとともに、両腕を突き出す。

 デビガノイドの腕を、真正面から受け止めた。


 地面が砕ける。


 膝が沈む。


 骨が悲鳴を上げる。


 悪魔の力が、腕から胸へ、頭の奥へと流れ込んでくるようだった。


 怒れ。


 憎め。


 壊せ。


 そんな声が、どこかから聞こえる。

 悪魔空間が、心に入り込もうとしていた。


 ゲキは歯を食いしばる。


「攻撃を受け止めた!?」


 イタヴリ博士が目を見開く。


「ありえない……あの巨体だぞ……!」


 タカワラーイ婦人も、扇子の奥で息を呑んだ。


「なんという力……」


 ゲキの腕が震える。

 押し潰されそうになる。

 それでも、退かない。


「俺は……後悔した」


 低い声が、悪魔空間に落ちた。


「エミカが魔法少女だと気づいた時、止めるべきだと……何度もそう思った」


 娘は当時十一歳だった。

 小さな体で、町を守っていた。

 傷を隠して帰ってきた。


 笑って「ただいま」と言った。


「でもな」


 ゲキの筋肉が軋む。

 デビガノイドの腕が、わずかに押し返される。


「――あいつが誇らしい」


 ミププが息を呑んだ。


「エミカは、誰かのために戦った。怖くても、痛くても、逃げなかった。俺の娘は……俺とあやこの娘は、立派な魔法少女だった」


 ゲキの目に、怒りだけではない光が宿る。


 ――それは誇りだった。

 

 娘の戦いを否定しない父親の、重く、熱い誇りだった。


「だから、娘が倒れたなら」


 ゲキの足が、前へ出る。


「今度は、俺が立つ番だ」


 デビガノイドの腕が押し上げられる。


「魔法少女の親父を……」


 ゲキの全身に力がこもる。


「なめるなぁぁぁ!!」


 彼は、デビガノイドの腕を掴んだまま、巨体を持ち上げた。

 そして、全身を捻る。

 巨大な悪魔兵器が宙を舞った。

 建物の外壁へ叩きつけられ、瓦礫が爆ぜる。


「デ、デビガノイドを投げ飛ばしたですって!?」


 タカワラーイ婦人が叫ぶ。


「お、お前は化物か!?」


 イタヴリ博士の声は裏返っていた。

 だが、瓦礫の中からデビガノイドが起き上がる。

 黒い装甲はへこんでいる。


 しかし、その動きは止まっていない。


「ざ、残念!」


 イタヴリ博士が無理やり笑みを作る。


「僕が作った兵器が、投げ飛ばされた程度で止まるわけないじゃん!」


 周囲の瓦礫の影から、新たなデビドールが現れる。

 一体、二体ではない。

 無数の黒い人形が、傷だらけのゲキを囲んでいく。

 ミププの顔から血の気が引いた。


「もう無理ミプ……!」


 ゲキは立っていた。


 息は荒い。


 腕は震えている。


 膝も笑っている。


 悪魔空間の圧が、心を黒く塗り潰そうとしてくる。

 それでも、彼はメイクアップ・リグを握った。


 娘が使っていたもの。


 娘が戦っていた証。


 父親として、ただ一度だけでいい。


 この町を守るための力がほしい。


「……あやこ」


 ゲキは、空を見上げた。

 紫に歪んだ空。

 その奥にいるはずのない、亡き妻へ向けて。


「力を貸してくれ」


 握りしめたメイクアップ・リグが、小さく震えた。


「お前に似たあの子が守った町を……俺にも守らせてくれ」


 ……次の瞬間。


 メイクアップ・リグから、眩い光が溢れた。


「ミプ!?」


 ミププが目を見開く。

 光はゲキの前で形を結び、ピンク色のハート型クリスタルとなった。

 温かく、強く、脈打つような光。


「メイクアップ・リグが……ゲキの心に応えたミプ!?」


 ゲキはクリスタルを見た。

 それが何なのか、理屈では分からない。

 

 だが、本能で分かった。


 これは、自分の覚悟に与えられたものだ。


「ミププ!」


「な、何ミプ!」


「これはどうすればいい」


「め、メイクアップ・リグの真ん中の溝にはめるミプ!」


 ゲキは頷き、クリスタルをリグの中央へ差し込んだ。

 かちり、と音が鳴る。

 その瞬間、ゲキの頭の中に、言葉が流れ込んできた。


 知らないはずの言葉。


 だが、魂が最初から知っていたような言葉。

 ゲキは大きく息を吸った。

 周囲のデビドールが飛びかかる。


 デビガノイドが咆哮する。


 タカワラーイ婦人とイタヴリ博士が、驚愕に目を見開く。


 そして、ゲキは叫んだ。


「マジカル・ケミカル・フィジカル・メイクアップ!!」


 ピンク色の光が爆発した。

 周囲のデビドールが吹き飛び、瓦礫が舞い上がる。


 デビガノイドすら、その光にたじろいだ。


 悪魔空間の紫の闇を、白とピンクの魔法陣が塗り替えていく。


 光の中で、ゲキの体が変わる。


 白とピンクを基調としたスーツ。


 胸元に輝くハートの意匠。


 腰に伸びるリボン。


 手足を包む、魔法少女らしい可憐な装飾。


 だが、そのシルエットはあまりにも巨大だった。


 分厚い胸板。


 丸太のような腕。


 筋骨隆々の肉体を包むタイツスタイル。


 可憐であるはずのデザインが、彼の肉体によってアメコミヒーローのような圧に変わっていた。


 光が晴れる。


 ――そこに立っていたのは、魔法少女だった。


 魔法少女のはずだった。


 少なくとも、メイクアップ・リグはそう認識しているらしかった。


 ゲキは拳を握りしめ、叫ぶ。


「娘の涙に拳を燃やす! 怒れる父のマジカルハート!」


 白とピンクの魔力が、拳の周囲で燃え上がる。


「魔法少女――ゲキ・マキシマム!」


 名乗りが響いた。

 数秒、誰も動かなかった。

 悪魔空間の中で、沈黙だけが落ちた。

 最初に叫んだのは、ミププだった。


「う……うそだミプぅぅぅぅぅぅ!?」


 次に、イタヴリ博士が両手で頭を抱えた。


「へ、変身した!? 嘘だろ!? 今、何が起きた!?」


 タカワラーイ婦人は、扇子を口元に当てたまま固まっていた。


「なんということなの……色んな魔法少女を見てきましたけど、筋肉厶キムキマッチョが、変身すなるなんて……」


「いやいや婦人! あれは少女でもなんでもないって!!」


 ゲキ・マキシマムは、自分の手を見た。

 力が湧いてくる。

 ただの筋力ではない。

 体の奥から、熱く、眩しいものが溢れてくる。


 ……それは怒りに似ている。


 ……だが、憎しみではない。


 誰かを守りたいという願いが、拳の形になったような力だった。


「力が湧いてくる……」


 ゲキ・マキシマムは、ゆっくりと顔を上げる。


「俺の心のラブクリスタルが、お前らをぶちのめせと叫んでる!」


「意味分からんこと言うな、おっさん!」


 イタヴリ博士が叫ぶ。


「いけ! デビガノイド!」


「そ、そうですわ! いきなさい!」


 デビガノイドが再び襲いかかり、巨大な腕が振り下ろされた。

 さっきまでなら、受け止めるだけで全身が悲鳴を上げた一撃。


 だが今、ゲキ・マキシマムは片手を上げただけだった。


 轟音。


 衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばす。


 しかし、ゲキ・マキシマムの体は一歩も動いていない。


 ――片手で、デビガノイドの腕を受け止めていた。


「なっ……!」


 イタヴリ博士の口が開いたままになる。

 ゲキ・マキシマムは、デビガノイドの腕を掴んだ。


「さっきは世話になったな……その不細工な姿をスクラップにしてやる」


 力を込めると黒い装甲が軋み、ひびが走る。

 次の瞬間、デビガノイドの腕が引きちぎられた。


 デビガノイドが叫ぶ。


 ゲキ・マキシマムは拳を引いた。

 白とピンクの魔力が拳に集まる。


「怒れ拳!」


 地面を踏み砕き、前へ出る。


「マジカル・マキシマム・ナックル!」


 拳がデビガノイドの胸部へ叩き込まれ、巨体が吹き飛ぶ。そのまま建物の壁を突き破り、瓦礫の中へと沈んだ。


 ……しかし、デビガノイドはまだ動いていた。


 怒り狂ったように起き上がり、片腕のまま突進してくる。


 ゲキ・マキシマムは逃げない。


 拳を握る。


 魔力が渦巻く。


「もう一発だ」


 デビガノイドが迫る。

 その瞬間、ゲキ・マキシマムの体が消えた。


 否。


 速すぎて、見えなかった。


「マジカル・ゲキドー・ブレイク!」


 横から叩き込まれた拳が、デビガノイドの巨体を大きくよろめかせる。

 黒い装甲が砕け、悪魔の力が火花のように散った。


「そんな……たった一撃で……ありえない!」


 イタヴリ博士が後ずさる。

 その目の前に、影が落ちた。


 ゲキ・マキシマムだった。


「よそ見してる場合か?」


「ひぃっ!?」


 博士が情けない声を上げる。

 ゲキ・マキシマムの拳が振り抜かれた。


 直撃したのは、博士の腰に装着されていた黒い機械装置だった。


 奇妙な紋章が刻まれた、悪魔エネルギーをまとった装置。


 それは拳の魔力を受け、嫌な音を立てて砕け散った。


「ぶべら!?」


 イタヴリ博士の体が、ギャグ漫画のように吹き飛んだ。


 壁に激突し、ずるずると落ちる。


 腰にあった謎の装置は、黒い煙を上げながら完全に壊れていた。


「イタヴリ博士!?」


 タカワラーイ婦人が叫ぶ。


 ゲキ・マキシマムは、ゆっくりと彼女へ向き直った。


「お前で最後だ」


 その声に、婦人の肩がわずかに震えた。

 彼女は扇子を広げ、黒い魔力を放つ。


「調子に乗らないことですわ!」


 黒い刃が飛ぶ。

 ゲキ・マキシマムの肩を、腕を、胸元を打つ。


 ……だが、彼は止まらない。


 一歩。


 また一歩。


 攻撃を受けながら、前へ進む。


「なんというタフネス……!」


 タカワラーイ婦人が後ずさる。

 扇子を振り、黒い衝撃波が走る。


 それでも、ゲキ・マキシマムは止まらない。


「愛娘を傷つけた相手を、俺は絶対に許さない」


 拳にピンク色の光が集まる。


「女だろうが、幹部だろうが関係ない。今ここでぶちのめす」


「くっ……!」


 タカワラーイ婦人は胸元のブローチへ手をかけた。

 そこに、黒い魔力が集まる。


 だが遅かった。


「マキシマ厶・ギガ・アッパー!」


 ゲキ・マキシマムのアッパーが、彼女の魔力障壁ごと胸元を打ち抜いた。


「がっは……!」


 直撃した衝撃で、ブローチ型の黒い装置が砕け、同時に、悪魔空間全体が悲鳴を上げた。


 アッパーの余波で紫の空に亀裂が走り、ドーム状の膜が、ガラスのように割れていく。黒い光が散り、濁った空が剥がれ落ちる。


 そして、その向こうから。


 夜の空が現れた。

 澄んだ月が、雨玻町を照らした。


 悪魔空間が、崩壊し始めた。


「そんな……わたくしの……!」


 タカワラーイ婦人が膝をつく。

 砕けたブローチから、黒い煙が漏れている。

 イタヴリ博士も、瓦礫の中でうめいていた。


「お前たちは魔法少女の父親を侮った」


 ゲキ・マキシマムは息を吐く。


 終わった。


 そう思った瞬間だった。


「あ、あぶないミプ!」


 ミププの叫び。


 背後から、ボロボロになったデビガノイドが襲いかかってきた。


 片腕を失い、装甲を砕かれながらも、なお動いている。


 ゲキ・マキシマムは振り返る。


 反射だった。


 考えるより先に、拳が動いた。


「マジカル・マキシマム――」


 白とピンクの魔力が拳へ集中する。


「カウンター!」


 拳が、デビガノイドの胸部へ突き刺さった。

 偶然だった。狙ったわけではない。


 ただ、最も強く光っていた場所へ拳を叩き込んだだけだった。


 胸部の球体に、拳が触れる。


 その瞬間。


 眩い光が爆発した。

 デビガノイドの体が内側から崩れていく。

 黒い装甲が灰になり、悪魔の力が霧のように消える。

 それは破壊というより、浄化に近かった。


 白とピンクの光が夜空へ昇り、月明かりに溶けていく。


 悪魔空間が完全に消滅した。


 ゲキ・マキシマムは拳を下ろし、辺りを見回す。

 タカワラーイ婦人とイタヴリ博士の姿は、もうなかった。


「……逃げたか」

 

 砕けた装置の破片と、瓦礫だけが残っている。


 逃げられた。


 ……だが町は守った。


 悪魔空間も消えた。

 ゲキはようやく息を吐こうとした。

 その時、ミププが震える声で言った。


「ゲキさん……あれを見るミプ」


 ゲキ・マキシマムは、ミププの視線を追った。

 そこは、デビガノイドが消えた場所だった。

 黒い装甲の残骸も、悪魔の霧も消えかけている。

 その中心に、誰かが倒れていた。


 ――白い手術服のような服を着た少女。


 年は、エミカと同じか、それより少し下くらいに見えた。


 顔色は悪く、意識はない。

 だが、胸はかすかに上下している。


「女の子……?」


 ゲキ・マキシマムの声が、低く揺れた。


 なぜ、ここに人間の少女がいる。

 

 さっきまでそこにいたのは、機械の怪人だったはず。

 ゲキはゆっくりと近づこうとした。


 その時だった。


「そこの……魔法少女……!」


 背後から声が響いた。


 振り返ると、警察官と境界防衛隊の隊員たちが、銃口と装備をこちらへ向けていた。


 悪魔空間が消えたことで、中心部まで進入できたのだろう。


 彼らはゲキ・マキシマムを見ていた。


 ――白とピンクの魔法少女衣装。


 ――巨大な体。


 ――筋骨隆々の腕。


 ――圧倒的存在感。


 月明かりに照らされた、あまりにも異様な姿。

 指揮官らしき女性隊員が、一瞬だけ言葉に詰まる。


「……えっと……魔法少女?」


 その疑問は、現場にいた全員の心を代弁していた。

 ミププが小さく頭を抱える。


「ミププも聞きたいミプ……」


 女性隊員は咳払いをした。


「と、とにかく止まりなさい! あなたを重要参考人として拘束します!」


 銃口が揃う。


 警察官たちは倒れている少女にも気づき、救護班へ指示を飛ばしていた。


 ゲキ・マキシマムは動かなかった。

 逃げるつもりはない。戦うつもりもない。

 ただ、倒れている少女を見つめていた。

 そして思った。


 自分は、何を倒したのか。


 あのデビガノイドとは、何だったのか。

 娘を傷つけた敵は、ただの怪物ではないのかもしれない。


 月明かりの下で、ゲキ・マキシマムは静かに拳を握った。

 雨玻町の夜は、ようやく紫の闇から解放された。


 ……けれど、戦いは終わっていない。


 むしろ本当の意味で、ここから始まるのだと。

 ゲキは、まだ知らなかった。


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