表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/10

3-1 パパ。出動。


 人気のない廃工場に、冷たい風が吹き込んでいた。


 割れた窓ガラス。

 錆びついた鉄骨。

 床に散らばった金属片。

 かつて何かを作っていたであろう機械は、今では沈黙した鉄の塊となっている。


 そんな廃工場の一角で、二人の怪人が床に額を擦りつけていた。


 ――タカワラーイ婦人。


 ――イタヴリ博士。


 デビデヴィ・クライシスの先行部隊を率いるはずの二人は、今、これ以上ないほど美しい土下座をしていた。


 膝の角度は完璧。

  背中は床と平行に近いほど美しく伸びている。

  両手は指先まで丁寧に揃えられ、額はきっちりと地面についている。


 謝罪の型としては、もはや芸術品に近い。


 だが、その美しさが許しにつながることはなかった。


「――ねえ」


 少年のような声が、廃工場に響いた。


 無邪気で、軽い。

 まるで友達に話しかけるような声だった。


 けれど、その場にいたタカワラーイ婦人とイタヴリ博士の背筋は凍りついていた。


 二人の前に立っているのは、金属製の兎の仮面を被った小柄な人物だった。


 長い兎耳を模した仮面。

 感情の読めない銀色の顔。

 その奥にある瞳だけが、ひどく冷たい。


 ――イヴィト副大隊長。


 デビデヴィ・クライシス本隊に属する上位指揮官であり、タカワラーイ婦人たちにとっては、逆らうことなど考えることもできない相手だった。


「どうして、こうなったのかな?」


 イヴィトは首を傾げた。


 その仕草だけなら、ただの子供のようにも見える。


 だが、次の瞬間。


「ねえ。どうして、デヴィ・リグを壊されちゃったの?」


 声の温度が、すっと下がった。

 タカワラーイ婦人の肩が震える。


「も、申し訳ございません……!」


「申し訳ありませんでは足りないよね」


 イヴィトは一歩、二歩と近づいた。


 コツ、コツ、と硬い靴音が響く。


「デヴィ・リグだよ? 幹部級の悪魔エネルギー出力を安定させるための、すっごく貴重な装備だよ? それを二つも壊されたんだよね?」


「は、はい……」


「しかもさあ」


 イヴィトは、楽しそうに笑った。


「大隊長がお膳立てしてくれたんだよ? シータアース侵略のために、悪魔空間の展開準備も、侵攻ルートも、先行部隊の投入も、ぜんぶ整えてくれてたんだよ?」


 タカワラーイ婦人は顔を上げられなかった。

 イタヴリ博士も、床に額をつけたまま震えている。


「それを失敗した。町は落とせなかった。フラワーメイデンは倒したのに、なぜか作戦は失敗した。しかもデヴィ・リグまで壊された」


 イヴィトは、無邪気に言った。


「ねえ、これ、上に怒られるの誰だと思う?」


 答えられる者はいなかった。


 イヴィトは少しだけ沈黙した後、兎の仮面の奥で目を細めた。


「大隊長だよ」


 空気が重くなる。


「君たちじゃない。大隊長が怒られるの。わかる? 君たちが失敗したせいで、大隊長が上に頭を下げるんだよ」


「も、申し訳ございません!」


 タカワラーイ婦人の声が裏返った。


「ですが、イヴィト副大隊長! あれは想定外だったのです!」


「想定外?」


「は、はい! 男です! 男の魔法少女が現れたのです!」


 イヴィトの動きが止まった。


 廃工場の中に、重たい沈黙が落ちる。


 タカワラーイ婦人は必死だった。


「あの男が、フラワーメイデンのメイクアップ・リグを使い、魔法少女へと変身しました! 筋肉質の巨漢でありながら、魔法少女反応を発し、デビガノイドを素手で――」


「婦人」


 イヴィトが、優しく名前を呼んだ。


「はい!」


「面白いね、それ」


 ……明るい声だった。

 だが、タカワラーイ婦人は一切安心できなかった。


「男の魔法少女。うん。すごく面白い。子供の作り話みたいで、僕、そういうの嫌いじゃないよ」


「で、では……!」


「でもね」


 イヴィトは、タカワラーイ婦人の頭のすぐ横に足を下ろした。


 床の金属片が、ぐしゃりと潰れる。


「言い訳として聞くと、――ぜんぜん面白くない」


 タカワラーイ婦人の喉が鳴った。

 イタヴリ博士が小さく悲鳴を飲み込む。


「次、失敗したら支援は大幅に削減するからね」


「そ、それだけは……!」


「今でも十分、優しいと思うよ」


 イヴィトは指を鳴らした。


 空間が黒く歪み、そこから小さな箱が落ちてくる。

 イタヴリ博士の目の前に、黒いケースが転がった。


「デビルキーを一つ。あとはデビドールを少しだけ送ってあげる」


「ひ、一つだけですか!?」


 イタヴリ博士が思わず顔を上げた。


 だが、兎の仮面がこちらを向いた瞬間、すぐにまた床へ額を戻した。


「一つだけだよ。これでも譲歩してるんだから」


 イヴィトは楽しそうに言った。


「確実に町を落としてね。次こそ、ちゃんと成果を出して。じゃないとさあ」


 イヴィトは、ぴょん、と軽い足取りで後ろに下がった。


「もう、君たちに期待する意味、なくなっちゃうよ?」


 その言葉は、あまりにも軽かった。

 軽いからこそ、恐ろしかった。


 タカワラーイ婦人とイタヴリ博士は、声を揃えて叫んだ。


「必ずや、成果を!」


「必ずや、シータアースをデビデヴィ・クライシスのものに!」


「うん。がんばってね」


 イヴィトは手を振った。

 次の瞬間、その姿は黒い霧となって消えた。


 廃工場に、静寂が戻る。

 しばらく、二人は土下座の姿勢のまま動けなかった。

 やがて、タカワラーイ婦人がゆっくりと顔を上げる。


 美しい銀の縦ロールが、わずかに乱れていた。


「……博士」


「は、はい、婦人」


「後がないわ」


「でしょうね……」


 イタヴリ博士は震える手で黒いケースを開けた。


 中に入っていたのは、一本のデビルキー。


 人間の負の感情を貫き、デモンコアへと変えるための悪魔の鍵。


 たった一つ。


 失敗は許されない。


「デビルキーは一つ。デモンコアにする人間は、慎重に選ばなくてはならないわ」


「となると、強い負の感情を持つ人間だ。怒り、嫉妬、支配欲、劣等感、憎悪……質の高いデモンコアを作るには、素材選びが何より重要ですね」


「ええ」


 タカワラーイ婦人は立ち上がった。


 そして、廃工場の中を見渡す。


「博士。悪魔兵器を作りなさい」


「今からですか!?」


「ええ。対ゲキ・マキシマム用の最高傑作を」


 イタヴリ博士は目を見開いた。


「しかし婦人、材料はどうするのです? デヴィ・リグもなく、支援物資も乏しい。まともな悪魔兵器を組むには、部品も予算も――」


「この廃工場にあるものを使いなさい」


 タカワラーイ婦人は即答した。


「足りない分は、残った軍資金をすべて使うわ」


「すべて!?」


「そうよ。後はないの」


 その声には、追い詰められた者の覚悟があった。


 イタヴリ博士は唇を噛み、やがて不気味に笑った。


「ふ、ふふふ……いいでしょう。婦人。廃工場の重機、鉄骨、圧砕機、古い作業アーム……使えるものはあります。対ゲキ・マキシマム用の重機型悪魔兵器。作ってみせましょう」


「頼むわよ、博士」


 タカワラーイ婦人の身体を黒い光が包む。


 禍々しい幹部の姿が消え、そこに背が高い女性が立っていた。


 タカワラーイ婦人が人間社会に潜伏するための姿だ。


「私はデモンコアの候補者を探してくるわ」


 そう言い残し、タカワラーイ婦人は廃工場を後にした。


      Θ


 町は、いつも通りの日常を装っていた。


 誰も知らない。


 先日、この町を覆った悪魔空間の脅威が、再び近づいていることを。


 人間に扮したタカワラーイ婦人は、人々の中を歩きながら目を細めた。


 人間。


 弱く、脆く、愚かで、感情に振り回される生き物。


 そのくせ、心の奥に溜め込む負の感情だけは、時に悪魔すら驚くほど濃い。


「さて……どの子がいいかしら」


 その時だった。


「おい、聞いてんのかよ」


 路地の奥から、乱暴な声が聞こえた。


 婦人は足を止める。


 見ると、数人の学生が一人の気弱そうな少年を取り囲んでいた。


 中心にいるのは、いかにも学校の中で目立つタイプの少年だった。


 整った茶髪。

 高そうな靴。

 人を見下すことに慣れた目。


 周囲の取り巻きたちは、彼の顔色をうかがいながら笑っている。


「金、持ってんだろ? さっさと出せよ」


「で、でも……この前も……」


「あ?」


 リーダー格の少年が、気弱な少年の胸ぐらを掴む。


「俺に逆らうわけ?」


「ち、違……」


「なら出せよ。お前みたいなのが俺らと話せるだけありがたいと思えって」


 取り巻きたちが笑う。

 婦人は、じっとその光景を見つめた。


 支配欲。

 優越感。

 他人を踏みつける快感。

 そして、その奥にある空虚。


 悪くない。


 いや、かなりいい。

 婦人の唇が、薄く笑った。


「見つけたわ」


 彼らはカツアゲを終えると、人気のない空き地へと移動した。


 婦人は気配を消し、その後をつける。


 空き地に着くと、リーダー格の少年は奪った金を数えながら笑っていた。


「やっぱ楽だよな、あいつ。ちょっと脅せばすぐ出すし」


「マジで逆らえないもんな」


「そりゃそうだろ。俺に逆らったら学校で終わりだし」


 その言葉に、婦人は確信した。

 この少年は、自分が人を支配する側だと信じている。

 だからこそ、壊した時に濃い悪魔エネルギーが出る。


「ごきげんよう」


 突然の声に、少年たちが振り返った。


「あ? 誰だよ、おば――」


 最後まで言わせなかった。

 婦人の手に、黒い鍵が現れる。


 デビルキー。


 リーダー格の少年が何かを言うより早く、その鍵は彼の胸に突き刺さった。


「がっ……!?」


 少年の身体が大きく仰け反る。

 取り巻きたちが悲鳴を上げた。


「な、何して――」


「安心なさい」


 婦人は微笑んだ。


「あなたたちは、ただ恐怖すればいいの」


 少年の胸から、黒と赤の光が溢れ出す。


 怒り。

 恐怖。

 支配欲。

 誰かを見下したいという醜い感情。

 それらが渦を巻き、少年の身体ごと一つの球体へと凝縮されていく。


 デモンコア。


 婦人はそれを見つめ、満足げに笑った。


「いい素材だわ」


     Θ


 病院の一室では、まったく別の時間が流れていた。


 白い天井。

 消毒液の匂い。

 窓から差し込む昼の光。


 ベッドの上には、五月女エミカが横になっていた。


 顔色は少しずつ戻ってきている。

 だが、右足にはまだ固定具がつけられており、身体には戦いの傷が残っていた。


 そのベッドの横に、五月女ゲキが座っている。


 大きな身体を病室の椅子に押し込めるようにして座る姿は、少し窮屈そうだった。


「病院ってのはな、エミカ。悪いことばかりじゃないぞ」


 ゲキは腕を組み、妙に真剣な顔で言った。


「……え、何の話?」


「パパもな、昔はよく世話になった。トレーニングで無茶して、肩をやったり、脚をやったり、肋骨をやったり」


「やりすぎでしょ」


「ハッハッハ! 若い頃は、限界ってやつに挨拶してから殴りかかるタイプだった」


「それ、今もあんまり変わってない気がする」


 エミカが呆れたように言うと、ゲキは豪快に笑った。


「まあ、とにかくだ。病院食は薄味だが、身体にはいい。ちゃんと寝られる。余計なことを考える時間もある。自分を見つめ直すには、もってこいだ」


「それ、武勇伝っぽく言うこと?」


「武勇伝じゃない。人生訓だ」


 いつも通りのゲキだった。


 大きな声で笑って、少し大げさで、何でも前向きに変えようとする。

 けれど、エミカはその明るさが、逆に気になっていた。

 しばらく沈黙した後、エミカは小さく口を開いた。


「……ねえ、お父さん」


「ん?」


「何も、言わないの?」


 ゲキの表情が、少しだけ変わる。


 エミカはシーツを握った。


「私が……フラワーメイデンだったこと」


 病室の空気が静かになる。

 窓の外から、遠く車の走る音が聞こえた。


 ゲキは、すぐには答えなかった。


 ただ、エミカの顔をまっすぐ見ていた。


「……最初から、なんとなく感づいてたさ」


「え?」


「お前が十一の頃からだ」


 エミカの目が揺れる。


「最初からじゃん、なんで……」


「お前のパパだからな」


 ゲキは、少しだけ笑った。


「夜にこっそり抜け出す。妙に疲れて帰ってくる。怪我をごまかす。ニュースじゃ、同じ時間にフラワーメイデンが戦ってる。さすがに気づく」


「……気づいてたなら、どうして」


「何度も止めようとした」


 ゲキの声は、低かった。


「動画サイトで見た。ニュースでも見た。お前が敵と戦ってるところを何度も見た。吹っ飛ばされて、立ち上がって、また誰かを守りに行く姿を見た」


 エミカは何も言えなかった。


「画面の向こうに飛び込めるなら、何度でも飛び込んでた。怒鳴ってでも止めたかった。お前は俺の娘だ。怪我なんかしてほしくない。怖い思いなんかしてほしくないと」


 ゲキは拳を握った。


 大きな拳だった。

 何かを守るために鍛えられた拳。


「でもな」


 その拳が、ゆっくりと開かれる。


「――誇りにも思ってた」


 エミカの瞳が見開かれる。


「俺の娘は、誰かを守るために戦ってた。怖くても、痛くても、逃げなかった。すごい魔法少女だった」


「……お父さん」


「本当は、ずっと言いたかった。よく頑張ったなって。すごいぞって。けど、それを言ったら、お前が背負ってるものを認めることになる気がしてな。父親として、どうすればいいのか分からなかった」


 ゲキは、苦笑した。


「悪かったな。パパも、まだまだ未熟だ」


 エミカの目から、涙がこぼれた。


 ずっと隠していた。


 ――心配させたくなかった。

 ――怒られると思っていた。

 ――やめろと言われると思っていた。


 でも、本当は。


 ……見ていてほしかった。


 頑張ったと、言ってほしかった。


「……ありがとう」


 エミカは泣きながら言った。


「ありがとう、お父さん……」


 ゲキは立ち上がり、そっとエミカを抱きしめた。


 大きな腕が、壊れ物を包むように優しく回される。


「よく頑張ったな、エミカ」


「うん……」


「でも、休め。治すことが、今のお前の戦いだ」


「うん……!」


 エミカは涙を拭き、少しだけ笑った。


「私、早く治す。ちゃんとリハビリして、また――」


 そこで言葉が止まる。


 ――また戦う。


 そう言いかけて、自分の身体がまだ思うように動かないことを思い出した。


 ゲキはその不安に気づいたが、あえて明るく言った。


「焦るな。病院食を食べて、よく寝て、先生の言うことを聞け。筋肉も魔力も、回復には休養が必要だ」


「魔力を筋肉と一緒にしないでよ」


「だいたい同じだ」


「絶対違う」


 いつものやり取りが戻る。

 エミカは少しだけ表情を和らげた。


 そして、ふと思い出したように尋ねる。


「そういえば……デビデヴィ・クライシスはどうなったの?」


 ……ゲキの肩が、ぴくりと動いた。


「ん?」


「私、途中で意識なくなっちゃったから。誰が倒してくれたの? マジルカニャンニャ達?」


「あー……」


 ゲキは目を逸らした。


「まあ、その……通りすがりの、すごく頼もしいやつがな」


「通りすがり?」


「うむ」


「魔法少女?」


「まあ……広い意味では……」


 ゲキの額に汗が滲む。

 エミカは怪訝そうに目を細めた。


「お父さん、何か隠してない?」


「ハッハッハ! パパが隠し事なんかするわけないだろう!」


「笑い方が怪しい」


 その時、病室の扉がノックされた。


 入ってきたのは担当医師だった。


「五月女さん、少しいいですか」


 ゲキは内心で救われたように息を吐いた。

 

 医師はエミカの状態を確認し、カルテを見ながら穏やかに言った。


「回復はかなり早いですね。この調子なら、退院もそう遠くありません」


「本当ですか!」


 エミカの表情が明るくなる。


「ただし、右足の負傷があります。退院後もしばらくは松葉杖を使ってもらうことになります」


「……松葉杖」


「無理は禁物です。焦らず、段階的に回復していきましょう」


 医師はそう告げると、いくつか注意事項を説明して病室を出ていった。


 扉が閉まる。

 病室に、再び静けさが戻った。


 そのタイミングで、ベッドの横にいたピンク色の小さな精霊が、もぞりと動いた。


 ミププだった。


 丸い耳。

 短い手足。

 ふわふわした身体。


 ぬいぐるみのような見た目だが、その表情はいつになく真剣だった。


「エミカ」


「ミププ?」


 エミカが振り向く。

 ミププは、少しだけ迷うように耳を伏せた。


 だが、すぐに顔を上げた。


「大事な話があるミプ」


 ゲキの表情も引き締まる。


「今回のダメージで、エミカの魔力回路は大きく傷ついてるミプ」


「……うん」


「今の状態で変身するのは、難しいミプ」


 エミカの顔から血の気が引いた。


 ミププは続ける。


「無理に魔力を流せば、激痛が走るミプ。それでも無理をすれば、損傷がもっと悪化する可能性があるミプ」


「それって……」


 エミカの声が震える。


「私、もう……フラワーメイデンに、なれないってこと?」


 ミププはすぐには答えなかった。

 その沈黙が、エミカの胸に突き刺さる。


「……そっか」


 エミカは俯いた。

 さっきまで少し戻っていた明るさが、一瞬で消える。


「そっか……私、もう……」


「おい、ミププ」


 ゲキが低い声を出した。


「そんなにはっきり言わなくてもいいだろ」


 だが、ミププは引かなかった。


「はっきり言わないと、エミカは無茶するミプ」


 ゲキは言葉を詰まらせ、ミププの声は震えていた。

 けれど、その目は真剣だった。


「エミカは、町で誰かが泣いてたら絶対に飛び出すミプ。自分が痛くても、怖くても、変身しようとするミプ。だから、今は危ないって、ちゃんと言わなきゃ駄目ミプ」


 ゲキはエミカを見た。

 エミカはシーツを握りしめ、唇を噛んでいる。


 その姿を見て、ゲキは深く息を吐いた。


「……そうだな」


 ゲキは静かに言った。


「お前の言う通りだ、ミププ」


「ミプ……」


「エミカ」


 ゲキは、娘の目線に合わせるように腰を落とした。


「今は無茶するな。頼む」


「でも……町が……」


「町は俺が何とかする」


 エミカが顔を上げる。

 ゲキはまっすぐに言った。


「お前が戻るまで、パパが何とかする。だから、お前は治すことだけ考えろ」


「……お父さん」


 その言葉の意味を、エミカはまだ知らない。

 ゲキが何になったのかを、まだ知らない。


 ミププは小さく咳払いした。


「それに、完全に駄目って決まったわけじゃないミプ」


「え?」


「少量の魔力を少しずつ流して、傷ついた魔力回路を慣らしていくリハビリをすれば、いつかまた変身できる可能性はあるミプ」


 エミカの目に、わずかな光が戻る。


「本当に?」


「簡単じゃないミプ。痛みもあるミプ。時間もかかるミプ。でも、可能性はあるミプ」


 エミカは涙を拭いた。


「……やる」


 その声は、小さいけれど強かった。


「私、リハビリする。もう一度、フラワーメイデンになる」


 ゲキは頷いた。


「その意気だ」


 その時だった。

 ミププの耳が、ぴくりと動いた。


「……ミプ?」


 表情が変わる。

 さっきまでの真剣さとは別の、警戒の色。


「どうした?」


 ゲキが小声で尋ねる。

 ミププはエミカに聞こえないよう、ゲキの肩へ飛び移った。そして、耳元に口を寄せる。


「嫌な気配がするミプ」


 ゲキも声を落とした。


「嫌な気配?」


「前に戦ったデビガノイドと同じ感じミプ。小さいけど、確かにあるミプ」


 ゲキの目つきが変わった。


 その直後、ゲキのスマホが震えた。

 画面には、C.H.A.R.M.からの緊急通知が表示されている。


 小規模悪魔空間発生。

 市街地にデビドール反応。

 未確認大型反応あり。


 ゲキはスマホを握りしめた。


「……来やがったか」


 エミカが不安そうに尋ねる。


「お父さん?」


 ゲキはすぐに表情を切り替えた。


「ちょっとジムの件で連絡が入った。エイコーだけじゃ手が回らないらしい」


「本当に?」


「本当だ」


 エミカは疑うような目を向けたが、今はそれ以上追及できなかった。


 ゲキは立ち上がる。


「すぐ戻る。ミププ、少し借りるぞ」


「えっ、ミププも?」


「ジムの……まあ、いろいろだ」


「絶対ジムじゃない気がする……」


 エミカの疑いの目を背中に受けながら、ゲキは病室を出た。


 その後、背後からミププが呼び止める。


「ゲキ」


「ん?」


「手を出すミプ」


 ゲキは眉をひそめながらも、右手を差し出した。


 ミププの身体から、淡い光があふれる。


 その光は粒となって集まり、ゲキの手の中で形を作っていく。


 やがて現れたのは、ひとつのメイクアップ・リグだった。


 エミカが使っていたものとは別の、新しいリグ。


 ゲキは目を見開いた。


「これは……」


「予備のメイクアップ・リグミプ」


 ミププは静かに言った。


「もともとは、マジカルメイデンズの新メンバー用に、精霊界から持ってきていたものミプ」


「そんな大事なものを、俺に渡していいのか?」


「本当は、普通なら駄目ミプ」


 ミププはゲキを見上げた。


「でも、ゲキは変身したミプ。メイクアップ・リグが、ゲキの心に応えたミプ」


 小さな精霊は、真剣な顔で続けた。


「だから、今はこれを持っていくミプ。エミカが戻るまで、町を守るために」


 ゲキはメイクアップ・リグを握りしめた。


 重さはほとんどない。


 だが、その小さな道具には、娘が背負ってきたものの重みがあった。


「……分かった」


 ゲキは静かに頷いた。


「借りるぞ、ミププ」


「貸すんじゃないミプ」


 ミププは、少しだけ照れたように鼻を鳴らした。


「今のゲキには、必要なものミプ」


 病院の自動ドアが開く。

 外の空気が流れ込んでくる。

 遠くの空に、かすかに黒い歪みが見えた。


 悪魔空間。


 誰かが、また泣いている。


 誰かが、助けを求めている。


 そして今、エミカは戦えない。


 ならば。


「行くぞ、ミププ」


「ミプ!」


 五月女ゲキは走り出した。


 娘が守ってきた町へ。


 魔法少女として。

 父親として。

 そして、フラワーメイデンの帰りを待つ者として。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ