Ep.8 /海底からのRe:スタート
『じゃーん!見てよ、はるか!この服、私が作ったんだよ〜!』
『すごい!これ……本当に姉ちゃんが作ったの?』
『うん!私、将来はデザイナーになるからね〜。これくらいはとーぜん!』
『でざいなー……?』
『私がデザイナーになったら、お洋服のブランドを立ち上げて〜、可愛くてかっこいいモデルさんに着てもらうんだぁ〜』
『なら、俺モデルになる!かっこよくなって、姉ちゃんの服着る!』
『はるかが?』
『うん!姉ちゃんの服を世界で一番着こなしてみせるから―――!』
かつて幼い和袴と悠楓の間に存在していたまばゆいまでの絆と純粋な夢。
本物じゃなくとも、確かに存在していた熱は今はもう音を立てて崩れてしまった―――……。
和袴と悠楓の騒動の翌日。
ビル群に囲まれた篠木高等学校の校門で、悠楓を迎えたのは灯鈴と灯鈴の双子の妹・青砥海稔だった。
悠楓の身体に貼られた湿布に仰天しながらも、なぜか灯鈴は教室にいる幸羽に連絡。
連絡を受けた幸羽は慌てて校門前に行ったのだが……悠楓には校内に逃げられてしまい……。
「おい、幸羽……!話聞けって!これは……家でちょっと……」
「誰にやられたんだ」
光が一切差し込んで来ない、篠木高等学校の特別棟の空き教室の片隅。
幸羽が逃げ回っていた悠楓をやっとのことで見つけたのは、もう昼休憩が終わった頃だった。
雪のように冷たい壁に背中を押しつけられ、幸羽に詰められる悠楓は視線を泳がせながら、言い訳を考える。
「……姉貴と……喧嘩して……」
「……湿布ということはやけどか……」
「……そうだよ。ちょっと汁を被っちまって……。……怒ってんのか……?」
幸羽の圧に耐えたられず、ポツリポツリと少しずつ白状する悠楓は気まずさから目を背ける。
しかし、後ろから怪物でも迫って来そうな幸羽の鋭い眼光に顎を引いたまま、視線だけをすっと這わせる。
「……っ!怒っては……ない。……ただ」
「?」
「悠楓には……もっと自分を大切にしてほしいんだ」
そう言って幸羽は壁から手を離す。
今まで悠楓の怪我を見るたびに言おうと思って飲み込んだ言葉。
まだ数ヶ月過ごしただけの自分にこんな事を言われても悠楓が困るだけだと、そう幸羽は自分に言い聞かせていた。
やめろ―――その言葉が何度も脳裏をよぎって、気付いた頃には目の前の悠楓の顔を見れなくなる。
「……!別に……大切にしてないわけじゃ……」
「家でも我慢していたのだろう?痛くても、ずっと……」
「……」
木目調のタイルが幸羽の視界を全て奪う。
悠楓は幸羽の言葉に素直に反応出来ないまま、二人の間には何とも言えない空気が流れていた。
―――俺にだけなら話してくれないか。
言葉を頭で反芻してはっ、と幸羽は我に返った。
四月のあの日、この特別棟の空き教室で出会ってたった数ヶ月の自分にそんな事を言われて、もし変に気を使わせてしまったら。
また、あの時のように善意でやった事が悪い方に転がってしまったら―――?
そう考えて幸羽は途中で言葉を止めた。
俯いたまま悠楓の顔を見ず、その場で立ち上がる。
「……悪い。おかしな事を言ったな。教室に戻ろう」
「……」
「悠楓?」
幸羽の言葉はその空間に浮いて、消えた。
誰も拾わず、ただ長い沈黙が流れる。
幸羽は最悪の可能性に青ざめながらも、後ろにいるはずの悠楓を覗き見た。
その瞬間、幸羽はガッと服の裾を掴まれて、体勢を崩す。
目の前には真っ赤な呆きれ顔の悠楓がいた……。
「〜〜〜〜……っ。……わかったよ、話してやるから……」
「……!本当か?」
「……誰も来ねぇ様によく見とけよ」
「あぁ」
そうして、悠楓はポツリポツリと語りだした。
昨日、和袴と母・一楓の言い合いから始まった一連の流れを。
努力を否定された和袴が言い返し、喧嘩になったことも、その後部屋に籠りきりになった和袴に悠楓がキムチ鍋を作ったことも、それをひっくり返してやけどしたことも。
淡々と、しかしどこか辛そうに語る悠楓の肩に寄り添って幸羽は相槌を強く打つ。
「……そうか。……今も痛いか?」
「いや、今は昨日より痛くないけど……」
紡がれた言葉はぶっきらぼうだったが、不思議とトゲは消え失せ、冷え切っていた悠楓の心には幸羽の存在が確かな体温となって染み渡っていくようだった。
「……話を聞いて思った。悠楓は、やはり優しいな」
「は?」
「いくら酷いことを言われても、やけどさせられても、和袴さんにやり返してないんだからな」
逃げ場のないその真摯な視線を受け止めきれず、悠楓が思わず視線を床へと落としたその時、静寂を破るように幸羽の低い声が紡ぎ出された。
温かくて、心地よくて、安心するその声に揺られながら、悠楓は目を逸らして立ち上がる。
「つか、悪かったな、わざわざ幸羽までサボらせちまって……」
「俺は構わない。……青砥や海稔は何となく事情を察してくれているだろうし、大丈夫なはずだ」
気恥ずかしさを誤魔化すように頭を掻きむしりながら、悠楓はわずかに視線を逸らした。
打ち明けたことで心の重荷が少しだけ軽くなったのか、その横顔には先ほどまでの張り詰めたトゲがすっかり抜け落ちていた。
「でも……お前は優等生なのにサボるとか……」
「?それは他人が貼ったレッテルだろう?」
涼しげな声音でさらりと告げられたその言葉に、悠楓はわずかに息を呑む。
いつだって周囲からの評価や「理想像」に縛られ、息苦しさにもがいている自分とは違い、幸羽はいつでもどこまでもマイペースで、まっすぐに自分だけを見てくれている。
その事実に気付かされるたび、胸の奥が妙にざわついた。
「……!」
「俺は悠楓の話を聞きたかった。……理由は、それだけで良い」
「……変なやつ」
ぼそりと零した呟きには、呆れよりもむしろ、どうしようもないほどの安堵の色が混ざっていた。
痛むはずの首元や腕のヒリヒリとした感覚が、なぜかさっきよりも遠く感じられる。
「さて、今から戻っても怒られるだけだ。せっかくならこのまま、食べ損ねた昼食でも食べに行かないか?」
「……!俺新しいカフェ見つけたんだけど……。パスタとかもあって、幸羽でも食べられそうだぞ」
差し出されたその穏やかな提案に、悠楓は少しだけ驚いたように瞬きをした。
ガチガチに凝り固まっていた日常の歯車が、この瞬間、確実に音を立てて動き始めている――そんな予感がした。
「わざわざ俺のために探してくれたのか?」
「はぁ、!?別に……たまたま見つけただけだし……!」
慌てて真っ赤になって言い訳を重ねる悠楓の姿を、幸羽は愛おしそうに見つめ返す。
「ふふ、そうか」
張り詰めていた空気はどこかへ消え去り、二人の足取りは、冷え切った特別棟の廊下を後にして、穏やかな光の差す出口へと向けて軽やかに歩み出したのだった―――。




