Ep.10/大いなる不自由へと
SQUADHの社内の壁一面に、ブランド告知映像が、まるで地続きの窓のように映し出されている。
そんなSQUADHの上層部と関係者以外は立ち入り禁止の、取締役社長室から叫び声が響いて来たのは、十七時を過ぎた頃だった。
「―――えぇ〜!?もうモデルユニットは候補がいる!?お姉ちゃん、それ本当!?」
「そうだよ?モデルだけじゃなくて、演劇も出来る候補者がって……彩蕗には昨日家で話さなかったっけ?」
「そ、そうだっけ?」
バンッ!と茶色い机を立たいてそう声を漏らしたのは彩蕗だった。
彼の後ろにはもちろん、つい先程まではキラキラと目を輝かせていて灯鈴と呆れている悠楓と幸羽もいる。
そんな四人の前で感情的になる彩蕗の言葉に大人として、淡々と応えるのは彼の姉でありSQUADHの若き取締役社長・赤城祈寄だ。
肩下まである栗色のミディアムロングが特徴的で、ストレートではなく、全体的にゆるいウェーブがかかっている。
トレンドを押さえたお洒落で洗練された雰囲気をまとって、胸元には金色に輝く、Photoshop®クリエイター能力検定試験のバッジが着けられている。
「祈寄さん、書類の確認お願いします……って、彩蕗?また来たの?」
「あ、和袴!」
「幸羽くんと……灯鈴ちゃんも来てるし……」
いつもの凛とした表情が、目の前に広がるカオスな光景を見た瞬間に崩れ、和袴の眉間にはみるみるうちに深いシワが刻まれていく。
(なんでこの問題児がここにいるの……?)という絶望的な呆れがその声色には混じっていた。
「すみません、和袴さん。お邪魔してます」
「失礼してまーす!」
「……」
幸羽が冷静に、灯鈴が元気に挨拶するなか、和袴をジトーっと目を細めて悠楓が見ていた。
そんな弟の何か言いたげな表情に和袴も睨み返す。
「おい、言っとくが俺は、彩蕗に無理やり連れてこられただけだからな」
「別に、何も言ってないでしょ」
「明らかに嫌そうだろうが……」
相変わらず顔を合わせればトゲを飛ばし合う姉弟に幸羽と彩蕗が苦笑いをして見せる。
彩蕗に無理やり連れてこられた、と何故か姉に言い訳しながら目を細めると、和袴もいつもの様にツン、と言葉を返した。
そんな柴原姉弟の争いを止めたのは、祈寄の透き通るような声だった。
「というわけで彩蕗、もうモデルユニットは決まってるからこの間言ってたことは申し訳ないけど白紙に戻すよ?」
「えぇ〜!まぁでも、決まってるなら仕方ないか……。ごめんね、みんな」
祈寄からバッサリと切り捨てられた彩蕗が、ショックを受けたように両手で頬を押さえて大げさにふてくされてみせる。
しかし、すぐに「まぁ、お姉ちゃんがそこまで言うなら仕方ないか」と切り替えるのもまた彼らしいところだった。
「私は全然!てか、祈寄社長と会えただけでもう……!」
「貴重な機会を頂き、ありがとうございました」
灯鈴は憧れの元モデルの血を引く者として、あるいは一人のファンとして、目の前にいる若きカリスマ社長・祈寄を前にして興奮を隠しきれない様子で両手を胸の前で軽く握りしめていた。
そんな灯鈴の圧倒的な熱量に、幸羽はどこか苦笑いを浮かべつつも、丁寧に言葉を並べる。
「はいはい、話が終わったならさっさと帰ってよね。祈寄さんも私も、仕事中なんだから」
だが、その和やかな空気を引き裂くように、人事部としての現実に戻った和袴が冷ややかな声音で二人にツッコミを入れたのだった。
「お邪魔しました」
「私も持ち場に戻りますね」
和袴の冷ややかな一言を合図に、幸羽たちが帰路へと身じろぎしたその時だった。
手際よく背筋を伸ばして扉を開ける和袴の横をすり抜けるように、悠楓がぴたりと足を止める。
軽薄だった空気は一瞬にして霧散し、そこに残ったのは、弟が胸に秘めていた切実な意志の重みだけだった。
和袴も、幸羽も、灯鈴も、彩蕗も社長室の外へと行き、扉を閉める。
悠楓と祈寄、二人きりの社長室にほんの少しの静寂が訪れた。
「……祈寄さん」
「悠楓くんどうしたの?」
「少し、見てもらいたいものがあって……」
その声に迷いはなく、秘めた熱だけが静かに揺らめいていた―――。




