Ep.1 /雨駆_uka
「―――ふぅ……。やっと帰ったか……。すみません、祈寄さん。悠楓達が邪魔して……」
和袴は深く溜息を吐き出すと、重い足取りで社長室のデスクへと歩み寄った。
その眉間には深くシワが刻まれ、弟たちへの苛立ちと、目上の者に対する恐縮が入り混じった複雑な表情を浮かべている。
「ううん、私は全然構わないよ。ちょうど仕事も一段落したところだったしね」
デスクの奥で優しく微笑む祈寄は、手元に置かれた一束の書類にそっと指を滑らせた。
その視線に気づいた和袴が、不意に足を止める。
「ならよかった……って、その分厚い紙、どうしたんですか?先ほどまではありませんでしたよね?
企画書って書いてますけど」
「あぁ、これ?さっき悠楓くんにもらった企画書だよ」
「え、悠楓にですか……?」
和袴の動きが固まった。
自分の耳を疑うように目を丸くする彼女に対し、祈寄は慈愛に満ちた瞳で頷いてみせる。
「うん。ぜひ読んで下さいって。悠楓くんや、幸羽くん、灯鈴ちゃん、彩蕗の履歴書も載ってたよ」
「履歴書って……」
呆然と呟く和袴の脳裏に浮かぶのは、いつも自分に反抗的な目を向け、母親からの心無い言葉に俯いていた幼い弟の姿だ。
そんな悠楓が、なぜ――。
「和袴の才能は、努力は本物なんです。それを俺が証明してみせるから、どうか考えてください、そう悠楓くんは言ってた」
「……!」
ドクン、と和袴の心臓が大きく跳ね跳ねた。
呼吸すら忘れたように息をのむ。
自分の流してきた血の滲むような汗も涙も、すべて「才能があるから」の一言で片付けてきた母親の顔が頭をよぎる。
自分の努力を誰も認めてくれなかった世界で――自分を最も憎んでいると思っていた弟だけが、自分の努力を「本物だ」と叫んでくれていたのだ。
「……きっと、これまでも悠楓くんは和袴の影に隠れながらも必死に、頑張って来たんだね」
祈寄の言葉が、和袴の胸に冷たく刺さっていた棘をひとつひとつ解かしていく。
「で、どうするの和袴?せっかく可愛い弟くんが、君のためのステージを用意してくれたんだよ?」
和袴はゆっくりと目を閉じ、固く拳を握りしめた。
溢れ出そうになる感情を殺すように一度強く息を吐き出すと、目を開けた時にはプロデザイナーとしての、そして不器用な姉としての鋭い光が宿っていた。
「……祈寄さん、少し提案が―――……」
「―――それで〜?お姉ちゃん、僕らに話ってどうしたの?しかもまた社長室でって……。和袴はいないし……」
退屈そうに袖を引っ張りながら首をかしげる彩蕗の隣で、悠楓はあからさまに不機嫌そうな顔をして腕を組んでいた。
「別に、あんなやついなくて良いだろ」
悪態をつく悠楓の横顔を、隣に立つ幸羽が上から静かに見下ろす。
176センチの幸羽と、164センチの悠楓。
十センチ以上離れた視線の高さから、幸羽は悠楓の握りしめられた拳がわずかに震えているのを見逃さなかった。
「悠楓……」
「また祈寄さんに会えたぁ〜……!」
「和袴はもちろん仕事!今回四人を呼び出したのは他でもない、モデルユニットの件で、だよ」
祈寄の言葉に、悠楓の肩がびくりと跳ねた。
自分の胸ポケットに手を入れる悠楓。
そこには、あの日必死で書き上げた企画書の控えが入っていた。
「え、?でも、候補は決まってるんですよね?」
期待して裏切られるのを恐れるように、悠楓は少し冷めた声を出す。
「うん、Clownnew-weberさんとのコラボの候補者はね。でも、悠楓くんのくれたこの企画書、すごく良かったからさ、何度か和袴や他の社員さんと話し合ったの」
「話し合い?」
「Clownnew-weberさんとのコラボとは別に、新規モデルユニット研究生プロジェクトを立ち上げる事にしたよ」
「……つまり?」
祈寄は言葉を一度切り、四人の顔を一人一人見つめると、とびきりの笑顔で告げた。
「四人にはSQUADHから正式に、モデルユニットの研究生としてデビューしてもらいます!」
静寂の後、社長室に歓声が弾けた。
「え……、え、!?本当〜〜〜っ!?」
「本当だよ」
「わ、私たち初心者ですけど、それでもい、良いんですか……!?」
「初心者大歓迎だからね」
「やったぁ〜!」
「ありがとうございます、祈寄さん」
驚きで目を白黒させる悠楓の隣で、幸羽はホッと胸を撫でおろし、悠楓の頭にそっと手を置こうとして――ツンと素気なく払われ、微笑んだ。
「私は特に何もしてないよ〜。凄腕のプロデューサーさんが色々裏から手を回してくれたんだ!」
「凄腕のプロデューサーさん、ですか?」
「うん。企画書を精査して、予算の工面から上層部への説得まで、全部一晩で通してくれた人がいるの。私の……自慢の妹!」
「ちょっと、ちょっと〜、お姉ちゃんの妹は僕だけなんですけど〜!でも、そこまでお姉ちゃんに言わせたその人凄いなぁ〜。誰なんだろ?」
自分達の知らないところで動いていた「凄腕プロデューサー」の存在に、彩蕗は不思議そうに首をひねる。
それが、あの和袴であることに気づかず。
「それは打ち合わせの時までの秘密!それじゃあみんな、次は詳細が決まり次第会おうね!」




