駆け出しの見習い魔術師 ◇謁見
謁見の日は晴天だった。 王宮の大広間、謁見の間の重厚な扉が静かに開かれる。
十年ばかり昔に亡くなった王弟には、忘れ形見がいる。
今年、十四歳になったという孫娘だ。
両親もすでに亡い。
この娘が、謁見の場で初めて公に姿を現す、という噂を聞きつけた者たちが、広間に集ってさざめいていた。
「……それがどうやら、社交界ではなく、魔術師を目指して塔に登ったらしい」
「両親の死後は、塔の賢人もつとめたミラナが、乳母として育て魔術も教えたらしい」
「たいそうな、変わり物ではないか」
「しかし、成人すればかなりの遺産を相続すると聞くぞ……」
「だが、王が後見人となるとなかなか……」
人々の勝手なさざめきが、控えているエイラのところまで漏れ聞こえてきた。
「エイラ・ヴァレント殿」
先ぶれが名を高らかに告げた瞬間、その場が水を打ったように静まり返る。
ルミディア王国の廷臣や貴族、ロスター王国などの属国領の王族が見守る中、大理石の床に、小さく鋭い足音がひとつ、またひとつ刻まれていく。
青地に銀の刺繍がちりばめられたマントと、それに調和する濃い緑のドレスを身にまとうその姿は、まるで清冽な風のような気高さだった。
マントの縁には、王家の象徴たる鷲の紋章が濃い緑で控えめに織り込まれている。
髪は高く結い上げられ、ひと筋の銀紐が巻かれていた。
魔術師としての清廉さと、王族としての静かな矜持を、その華奢な体に宿して、少女は進み出た。
年の割に、臆することもなく、落ち着き払ったその少女は、玉座の前に至ると、優雅に一礼する。
王は、玉座からその姿を見守っていた。
大姪にそそぐ老いたまなざしは、厳しさと確かな身内の情を宿していた。
「――エイラ。息災であったか」
「陛下に、ご挨拶申し上げます」
声はわずかに震えていたが、朗々と広間に響いた。
「お目見えの機会をいただき、光栄に存じます。おかげさまで、健やかでございます」
その様子に、王はゆっくりと身を乗り出した。
「――エイラ・ヴァレント。 そなたは、塔にて何を得、何を学び、これよりいずこへ向かうのか」
謁見の間に、張り詰めた空気が満ちた。
試されている――。
エイラはほんの少し考え、顔を上げて王のまなざしを見返した。
「まず、私は塔で……ともに歩む大切な友を得ました。 生涯をかけて信頼し合える、誠実な友です」
言葉を切り、そっと息を吸う。
胸の奥にある灯を確かめるように、続けた。
「次に。 知識の海は無限に深く、人の一代では、到底辿り着けぬ高みがあると知りました。 それでも、その高みに手を伸ばし続けたい。 ――いつか、誰かの希望となる光に届くために」
声がようやく自分のものになってきた。
エイラは胸の内に呼びかけるように、自らを励ましながら言葉を紡ぐ。
「そして最後に。 力を持つ者はいかに生き、どう他者と関わるべきか。 私はそれを、これから出会う師や仲間…… いえ、自分以外のすべての人々から学び続けてゆきたいと願います」
一拍の沈黙。
彼女は正面を見据え、丁寧に頭を垂れた。
「塔に登って日も浅く、王にお示しできるほどの果実を実らせてはおりません。 けれど、この塔に学ぶ機会を得られたこと―― それは、何ものにも代えがたい、私の幸せでございます」
若い娘が語った言葉は飾り気こそなかったが、その一語一語が、胸の奥にまっすぐにしみこむように届いた。
凛とした静けさが広間に満ち、すぐには誰も口を開かなかった。
ロスター王国の王女が、小さく息を吐いた。
それが、合図だったかのように、廷臣が視線を交わしてさざめきあう。
王は、ほんのわずかに眉を上げて、少女の言葉に聞き入っていたが、静かに、深く頷いた。
「ふむ……」
しばし目を細めて沈黙し、反芻するかのように考えていたが、やがて、低く静かな声が響いた。
「お前の祖父は、誇り高き魔術師であった。 剣ではなく言葉を、武功ではなく智慧ちえを尊んだ。 政争にまみれず、清廉であった。 お前が、まさしく弟の血を引く者であることが、よく分かった」
エイラの瞳が、大きく見開かれる。
「……ありがとうございます」
深々と頭を垂れる肩に、王の言葉がさらに降る。
「いずれ、再び問う時が来よう。 その時までは――お前自身の道を歩むがよい」
広間の空気がわずかに変わった。
王が、この清廉な少女を宮廷の陰謀や恋の鞘当て、権力闘争から遠ざけ、 塔という場で育ませようとしていることは、誰の目にも明らかだった。
エイラが退出のために一歩を踏み出したとき、背中に王の声が投げかけられた。
「――塔に伝えよ。 王は目を光らせているとな」
塔に対して、エイラを今後も後見するという意思表示に他ならなかった。
静かに振り返り、まっすぐに王を見つめた。
胸に手を当て、深く一礼する。
安堵と高揚感が、身体の内側からじんわりと広がっていく。
心臓の鼓動が、自分のものでないかのように早かった。
退出の途中、見慣れた顔が視界に入る。
ロディスがいた。
父や兄に伴われ、謁見を見ていたのだろう。
厳格で知られるエルヴェン辺境伯――ロディスの父が、エイラを見て、重々しく、しかし満足げに一度だけ頷くのが見えた。
その隣で、ロディスは目じりと口元に柔らかな笑みを浮かべていた。
彼は何か言いたそうで、声をかけたい衝動が胸をかすめた。
けれど、まだ後に続く王族の子女たちが控えている。
エイラは流れを乱さぬよう、胸に手を当て、感謝のしるしを捧げた。
そして、大広間を後にした。
――やがて謁見の間は再び、静寂に包まれた。




