旅立ちの見習い魔術師 ◇演習
陽の光が、塔の中央にある訓練場に降り注いでいた。
円形の広場は磨かれた石畳に囲まれ、その外周は段々状にせり上がり、観覧席のように腰かけられる造りになっている。
魔術師は、魔術や魔法さえ使えればよいというわけではない。
山賊や野盗に襲われることもあれば、ときには戦場に巻き込まれることすらある。
そのため、一定の護身術を身につけることが必修だった。
見習いたちは二年間、週に一度は戦闘術の訓練を受ける義務がある。
とりわけ旅修行に出る者や、見習いを終えて調査部を志望する者にとっては、塔の求める水準の戦闘術を身に着けることが義務となっていた。
席はまばらに埋まり、穏やかなざわめきが訓練所を満たしていた。
最前列には――エイラ、ロディス、そしてシルの三人が並んで腰かけていた。
ロディスの足元にはラジが、エイラの膝にはヨナが丸くなって目を閉じている。
ロディスは調査部トップのカデルから直々に引き抜きの誘いを受け、メザルの手伝いの傍ら、訓練に明け暮れていた。
一方、エイラは、十六歳の春に旅修行に出ることになっていた。
その総仕上げとして戦闘術を学んでいる。
魔術が切れたとき、あるいは使えない状況で頼れるのは自分の体だけ。
だから彼女は必死に食らいついていた。
◇
「――それでね、その人ったら『この花の名を教えてくださいませんか』って言うの。目の前に看板が立ってるのに、わざわざよ? あれはもう、完全に――」
シルの声が華やぎ、日差しを受けた金の髪がきらきらと光る。
彼女はいま、小鳥の魔術師に恋をしていた。
「わざとだな」
ロディスが呆れたように口を挟むと、シルは肩をすくめて楽しそうに笑う。
「そうなのよ。話しかけるきっかけが欲しかったのかな?」
「……で、シルは?」
エイラが控えめに尋ねる。
声が少し震えているのは、興味からか、それとも別の感情からか。
「もちろん無視はしないよ? でも花の名前は知らなかったから、看板を指さしたの。そしたらすっごく照れた顔して、『ありがとう』って……」
シルは頬を染め、目を伏せた。
言葉を重ねるたび、胸の奥に芽生えた新しい感情を隠しきれない。
「綺麗な金髪でね。半身も可愛らしい小鳥なの」
ロディスとエイラは顔を見合わせ、無言でうなずき合う。
(シルが恋してる)
二人の目にあるのは、からかいよりもむしろ温かさだった。
それでも、シルのふわふわした声は止まらない。
放っておけばずっと恋の話をしているのだ。
まさに恋に恋するお年頃―――。
「ねえ、ロディとエイラって、恋ってどんなふうに始まると思う?」
「いきなり来たな」
ロディスは苦笑し、目を細める。
「最近別れたばかりだって.......それ以後、特に何もないよ」
彼の恋の話もシルは聞きたがったが、エイラはあえて耳に入れないようにして、目をそらした。
(……恋の話は苦手だな)
そのときだった。
訓練場に、塔の師匠たち――ルダとネメラが入ってきた。
その瞬間、周囲の空気が一気に張り詰める。
石畳を踏む足音は規則正しく、厳かな響きとなって広場に満ちた。
二人は肩幅に足を開き、並んで立つ。
ルダが低く告げた。
「これより訓練を開始する。準備のすんだ者は立て」
すっと立ち上がるロディス。
その引き締まった横顔を見て、エイラも後に続いた。
ルダは頷き、短く指示を下す。
「はじめ――ロディス。次、エイラ、その次は――」
エイラは拳を固く握りしめた。
****
訓練場の中央に立つのはロディス。
対するは、メザルの弟子にして戦闘術の師――ルダ。
クマのような体格に盛り上がった筋肉。
その怪力もさることながら、俊敏な動きについていける者は少ない。
今は寡黙な僧侶のように静かに構えていた。
剣は使わない。
掌と足さばきだけで敵を制圧する体術が得意で、塔でも指折りの屈強な戦士だった。
ロディスは木剣を抜き、深く息を吐く。
重心を落とし、鋭い気をまとって構えた。
「――来い」
一言。ルダの低い声が落ちた瞬間、ロディスが駆け出す。
剣の軌道は迷いなく、風を裂いた。
だが次の瞬間――。
「くっ……!」
斬撃は空を切った。
ルダの姿はすでになく、ロディスの背後から放たれる掌撃。
かろうじて木剣で受けるも、体勢が崩れる。
「ふっ」
間髪入れず、ルダの指先がロディスの額すれすれをかすめた。
「視線を読まれたね……」
見学席でエイラがつぶやく。
シルも腕を組んで頷いた。
「でも、ロディったら……ああやって何度倒されても、まっすぐに立ち上がるんだよね」
額から流れる汗もぬぐわず、ロディスは何度でも立ち上がった。
石畳に響く靴音が、その気迫を物語っている。
ふと、彼の目が見学席のエイラと合った。
エイラは静かに、うなずく。
――大丈夫。
ロディスの瞳に宿った光が揺れる。
すると彼の剣筋が変わった。
軽やかさの中に、芯のある強さが宿っていった。
「おおっ……」
シルが思わず息をもらす。
そして――。
最後の一撃を受け止めたところで、ルダは掌をすっと引いた。
それ以上は攻めない。
訓練場に、静かな間が落ちる。
荒い息を吐きながらも、ロディスは木剣を下ろさなかった。
膝をつくまで続くのだろう――そう思ったからだ。
だが、ルダはほんのわずかに頷く。
「……よし」
ただ一言。
低く、重く、それでいて温かい響きだった。
それを見て観客席でシルがぱっと顔を明るくする。
エイラも小さく安堵の息をつき、胸に手を当てた。
「よかった」
ルダは背を向け、静かに言い残す。
「うまくなった――だが、慢心はするな」
その言葉には、確かな賞賛と期待がにじんでいた。
「次はエイラか」
ロディスは、シルに手渡された布で額の汗をぬぐい、右手を差し出した。
エイラがその掌を軽く叩くと、小気味よい音が響いた。
彼女の前に歩み出たのは――ネメラ。
防衛術の師匠にして、あらゆる武器のスペシャリスト。
長い銀髪を高く結い上げ、細身の体に似合わぬ鋭い気配をまとっている。
その目元には、容赦のない影が宿っていた。
「エイラ、あんまり無理しすぎないでね。旅立ち前に骨折したら笑うから」
後ろからシルが手を振る。
軽口に聞こえたが、ロディスは本気で心配しているようだった。
エイラは小さく微笑み、うなずく。
──大丈夫。私をちゃんと見ていて。
ロディスは、戦闘用の細身の服に身を包んだエイラの姿から目を離さなかった。
ネメラは表情を変えぬまま言う。
「構えなさい、エイラ。私の剣は、情け容赦ないわよ」
「はい、師匠」
空気が変わった。
ネメラは言葉通り、一切の手加減をしない。
塔でも屈指の使い手であり、隙を見せる弟子には容赦なく刃を振り下ろす。
それが生き残るための教えだと、信じているから。
一太刀、また一太刀。
刃が風を裂き、鋭い音が訓練場に響き渡る。
「女は男に真正面からの力では勝てん。手首に力を入れすぎるな。」
「……はい!」
木刀が耳元をかすめる。
避けたつもりでも、すでに目の前に迫っている。
(速い……! これが、ネメラ師匠……!)
額に汗が浮かび、息は荒い。
それでも、エイラは食らいついた。
見学席のロディスとシルは、固唾をのんで見守る。
そして――。
エイラの木刀がひときわ鋭い一閃を受け流す。
そのまま踏み込み、ネメラの足元を崩す動き。
「……おおっ!」
二人の声が重なった。
ネメラは一歩引き、そして確信を得たように微笑んだ。
「よし。旅に出しても、恥ずかしくはないな」
エイラは肩で荒い息をつきながらも、笑顔を見せる。
「もう一戦。おさらいをお願いします」
師と弟子の呼吸が重なり、ふたたび刃が交わってぶつかる乾いた音が響いた。
――訓練場の熱は、さらに高まっていく。




