旅立ちの見習い魔術師 ◇ナアラの星
──来る。
エイラは腕を広げ、イメージを具現化する。
銀色の風切り羽が、男の足元に冷たく降り注いだ。
ナイフのように鋭く。
男は舌打ちをし、後ずさる。
エイラは子供をオークの下草にそっと横たえた。
魔力が突きかけている。
でも、絶対に――あいつには触らせない。
たとえ、この身をあきらめてでも。
その時。
背をあずけていたオークの幹が、わずかに震えた。
頭上から、花のような香りがふっと舞い落ちる。
懐かしい。
ミラナと暮らした家の香り。
――ああ、これはミラナの意志。
木に触れた手に、緩やかに蔦が絡まる。
そこから、あたたかな魔力が流れ込む。
枯れた心にしみわたるようなこの魔力は……
――アイビー?
アイビーが、魔力を満たすとともに、メザルの意志を伝えてきたのだ。
こんな時に――
師匠の細かすぎる指示に、思わず心の中でひそかに苦笑する。
――そうだった
少しずつ、力がみなぎってくる。
あきらめるなんて、とんでもない
私は最後まであがく人間だ。
抗うのだ。
あらゆる不条理に。
心に、灯がともった。
ロディス。
シル。
メザル。
アイビー。
アリュッタ。
仲間の意志が流れ込んでくる。
――私は、護られている。
アイビーが分けてくれた魔力を抱いて、もう一度、力を振り絞って飛翔した。
もう変身している余裕はない。
青灰の瞳が揺らめき、黒髪がうねる。
男がまた気持ちの悪い言葉を吐いた。
それは、もうどうでもいい。
腕を広げる。
無数の羽根が、男を狙う。
(メザルの指示どおりに!)
「ロディス――今、来て!!私を助けて!!」
****
その瞬間。
ロディスは顔を上げた。
額の星が淡く疼く。
(呼ばれた!――いまだ)
彼は額の星に触れ、力を籠める。
エイラは目を閉じる。
どんな瞬く星々よりも美しい、輝く星を感じた。
宝玉のように澄んだ翡翠のまなざしが、脳裏にひらめく。
ロディスの声が、胸に美しく響いた。
――星よ、宿れ!
エイラの羽根に、星の力が宿る。
光の矢となり、空を切って男を射抜いた。
醜い最期の顔が、コマ送りのように見える。
エイラは、初めて笑った。
避けられるわけがない。
ロディスは、本当に怒っていたから。
――そして、来てくれたのだから。
空を裂き、星の矢となって舞い上がった身体は、やがて静かに重力に引かれていく。
燃え尽きるように、空から落ちた。
意識が遠のく。
――しっかりしなきゃ。
人のまま落ちたら、あの子がけがをしてしまう。
ロディスと同じ、星を持つ子供。
護りきった子供。
本能的に姿を梟に変える。
まだ残党がいるかもしれない。
守らなくては。
落ちるように着地し、子供の上に覆いかぶさった。
だが――もう、それ以上の力は残されていなかった。
魔術師の男も、立ち上がろうとするが、何度も落ち葉の中に倒れ込む。
エイラは、それにはもはや関心がなかった。
向こうから、星の光を宿したあの人がやってくる。
翡翠の輝きをまとって。
私を迎えに来ている。
意識を手放した。
****
風が裂けた。
空より現れた影――。
「エイラ!!」
ひときわまばゆく輝く星を額に宿した少年が、転移魔法陣から抜け出して小さな鳥に駆け寄る。
怒りに燃えるその瞳の色は、翡翠の色。
子供の上に羽根を広げ、落ちながらも必死でかばう白梟を見て――。
いつもは冷静なロディス怒りの揺らめきが、頂点に達した。
なおもエイラの方へ這おうとする魔術師を見て、血が沸騰する。
(汚らわしい手で、エイラに触れるな!)
ロディスの指先が、天に伸びかけた。
「――ならん」
メザルが素早く止めた。
「今宵はイフェルの気配が濃い。やめておけ」
ロディスは振り払おうとする。
だが、メザルはその手をがっちりとつかんで離さなかった。
怒りに満ちた瞳と、静かな覚悟の瞳が交差する。
「もしもやるというなら……わしは命がけでそなたを止めねばならん。そのとっておきは、まだだ。それは大事にとっておけ」
重苦しい沈黙が、あたりを包む。
その隙に、魔術師の体を蔦と蜘蛛の網がからめとった。
ロディスは力を抜き、顔を伏せる。
「……怒りに我を忘れておりました」
小さく会釈し、急いでエイラと子供の方へ駆けていった。
メザルはゆっくりと息を吐き、杖を取り出して地面を三度突く。
「イラヤ」
落ち葉を踏む音。
誰もが知る塔の守人が姿を現した。
イラヤはゆっくりと魔術師に近づき、その顔をじっと見つめる。
「……お前を覚えているぞ。ヒスタ。お前の半身は蝙蝠だったはずだ。どこへ行った?あの浅はかな女神に食らわせたのか」
その口調には、責めるような響きがあった。
懐から、ひどくねじくれた杖を取り出して、男の額に当てた。
瑞々しい若葉のような光がほとばしった。
イフェルの赤い呪いは引き剥がされ、変形し、白いかぎづめのような跡だけが残る。
男のくぐもったうなり声が、夜の闇に響いた。
メザルが蔦に命じる。
「連れていけ」
するすると蔦の塊が、夜の闇に消えていった。
イラヤは怒りを抑えた声でつぶやく。
「……なんとむごたらしいことだ。愚かな女神よ」
彼女は魔獣の遺骸を見回し、杖を掲げる。
遺骸がぐずぐずと崩れ、緑の光の粒となって、うねりを描きながら天空へ立ちのぼった。
「あわいへ還れ」
――そして。
事態は、ようやく収束した。




