トリヤーナとジェスのまじかるくっきんぐ
とてもくだらないです。
今日は毎年恒例、士官学校名物の炊き出し訓練の日である。
真夏と真冬という過酷な季節に行われるそれは、誰もが避けては通れない通過儀礼の一つである。他にも、海なし国家のヴェルフェランでは隣国に遠征してほぼ初めての海で遠泳を行ったり、アレス山脈で高地サバイバルトレーニングを行ったりと、通過儀礼はいくつかある。ちなみに魔術師を希望するものはある程度免除されている。もちろんラデクは参加をしていないため、ファリスたちからは恨まれている。
炊き出しで出来上がったものは王立兵団の兵士たちおよそ200人に振る舞われるため、彼らにとっても他人事ではなく、兵団の詰め所では朝から妙な緊張感が漂っていた。
「今日は炊き出しの日か」
何となくピリピリとした空気にファリスが気づくと、部下のヨアンが声をかけてきた。
「今年はどうでしょうね。去年は……」
もっとも彼も、士官学校時代にやらかした覚えがあるのか、それ以上は自身が突っ込まれることになると思い口をつぐんだ。
「去年は最悪だった」
「あぁ……あれに比べると一昨年はましだったな」
何やら思い出したのか、顔をしかめながら呟くファリスに、いつものように第一兵団に混じっているラデクが同調する。
男子のみ、しかも良家の子息も多い士官学校では、当然ながら一度もナイフを握ったことがない、という者が圧倒的多数である。
毎年、入学間もない時期に行われる夏の炊き出しの方が圧倒的に出来が悪い。勝手の分からない男子たちの作る食べ物のような何かは、毎年兵団の面々を閉口させてきた。ちなみに冬場の訓練では、作り手たちが多少は手慣れてきたり、あるいは食べる側が真冬の寒さに麻痺して温かいものであれば何でもいい、という心境になったりするのでそこまで評判は悪くない。
「でも今年は女性がいますしね」
ヨアンは少しばかりはずんだ声でそう言った。彼の声に、周囲にいる若い兵士たちも一斉に期待に満ちた目で頷きあっている。彼らは、若い女性の手料理が振る舞われることに浮足立っているようだったが、作り手の大多数は野郎であることに気づいていない。
「……あまり期待をしないほうがいい」
ラデクの頭を一瞬、眼鏡の少女がよぎり、彼は釘をさした。
その頃、野外演習場では今まさに、約200人の胃袋を守りぬくための戦いの火蓋が切られようとしていた。
ジェスが使い古された木のまな板の上に転がる玉ねぎを指さした。
「この玉ねぎを切ればいいんですね」
「はい。お願いします」
「これを、こうっ!」
「あ、やっぱりちょっと待って」
トリヤーナの制止も間に合わず、ジェスは玉ねぎに手をかざした。
その瞬間、玉ねぎは皮ごと木っ端微塵に吹き飛び、数メートル先にいた人の衣服にまで飛び散った。年季の入ったまな板は無残にも真っ二つに割れている。
「……魔術じゃなくてナイフで切ってください」
最後まで言えなかったトリヤーナの言葉がむなしく響き渡る。
軍服にびっちりとついた玉ねぎのミンチはなかなか取れない上に真夏の空気に煽られて異臭を放っていた。
メニューは自由。制限時間は二時間。
まともな調理経験者はトリヤーナただ一人であったため、正式に入学したばかりの彼女が班長として指揮をすることになった。
体よく面倒事を押し付けられた彼女は困り果て、まずアキに相談した。
「一体何を作ればいいのでしょうか」
実家でも家庭料理は散々作ってきたトリヤーナだが、200人もの成年男子の胃袋を満たすようなものはさすがに未経験である。もちろん、アキだって未経験だ。
ここは経験者に聞くのが一番手っ取り早いだろうと、彼女はすぐに自分の夫に相談した。
「シチューですね」
夕飯を食べながら、イゼルは即答した。
食卓の上に並ぶのは、トマトときゅうりと豆のサラダ、チキンととうもろこしとパプリカのグリル、焼き茄子のオイル漬けといった夏野菜が中心である。
「……真夏に?」
「はい。平易な調理法で失敗も無駄も少なく味も安定しているので」
なるほど、切って煮込むだけでそれなりの味になるし、食材のロスも少なくてすむ。アキはイゼルの合理的な答えに納得した。
ただでさえ慣れないのに凝ったものを作ろうとするから失敗するのだと、イゼルは説く。
「あとは熱量を補うためにパンを焼けば良いでしょう」
野外でパンが焼けるのかと問えば、専用の器具があるらしい。
「食材は俺が提供します」
通常であれば市場へ買い出しに行かなければならなく、大量の荷物を運び込む作業が待ち受けているのだが、イゼルの厚意により彼の畑の作物が提供されることになった。
「訓練なのにいいんですか?」
生真面目な彼にしては珍しいと思ったアキが聞くと、非常時には市場など無いし、そこにあるもので調理しなければならないのだからむしろこちらの方が訓練になるのだと、熱心に言われた。
もっともらしい事を言っているが半分は本当で、もう半分はただ出来すぎた作物を押し付けたいという邪な気持ちがあったからである。
そんな経緯を経て、トリヤーナは自身の誇りにかけて絶対に失敗はできないと息巻いていた。
シチューなんて飽きるほど作ってきた初心者向けの料理であるが、彼女の目の前には初心者以前の基礎知識も持ち合わせていない男たちとジェスが立ちはだかっているのだ。
「玉ねぎはまず皮を剥いてこう切ります」
彼女は、ジェスが破壊したまな板の片側を使い、一から実演して説明してやる。そこには玉ねぎや人参、ジャガイモの他に、ナスやトマト、パプリカといった夏野菜も混じっていた。
「切った野菜は全部こちらの鍋に入れてください。では各自持ち場に戻って」
彼女の指し示した先には、手押し車と大きな窯が一体化した重厚な形状のものがある。窯の上には大きな鍋がすっぽりと収まるようになっており、大量の炊事が可能になっている。どこへでも運べるので災害時にも活躍する野外炊事車だ。
玉ねぎまみれのトリヤーナが無表情でそう言うと、生徒たちは慌てた様子で一斉に動き出した。
「私は何をすればいいですか?」
まったく懲りていない様子のジェスに、トリヤーナは一枚の紙切れを渡した。
「ジェスさんはこれを量って。余計なことはしないように」
トリヤーナが念を押すと、彼女は満面の笑みで「了解です」と元気よく返事を返した。その顔を見て、トリヤーナは一抹の不安を覚える。
彼女に渡したのはパンの材料である。量るだけなら失敗も少なくて済むだろうという采配だ。調理に関わると変なアレンジをされそうで怖かったのだ。
全ての指示を出し終えると、トリヤーナはぐるりと周囲を見渡してみた。
生徒たちは最初こそ少し緊張していたものの、今日は厳しい教官もいないので次第に気が緩んでいく。
すぐ近くでふざけている声がして、彼女は早くも据わった目つきになる。見栄をはって人参の早切りをしているようだが、手付きが危なっかしくて見ていられない。ナイフを振り回してはしゃいでいる男子に、おのれはどこの初等科生かとトリヤーナは心の中で悪態をつく。
「痛っ」
案の定小さな叫び声が聞こえ、トリヤーナはそちらを注視する。
「どうしました?」
「いや、ちょっと指先を切っちゃって」
一人の男子生徒が気まずそうに指先を抑えている。調理未経験者のやることなので、もちろんトリヤーナはこういったことも想定していた。大したことはないようだが、一応見てやらなければならない。
彼女はその可愛い顔に似合わず舌打ちをすると、用意していた救急箱を片手に近寄ろうとした。それよりも先に、素早くジェスが動いた。
「怪我をされたのなら私が治します!」
パッと顔を輝かせて張り切る様子のジェスに対し、生徒の顔色が悪くなる。
「い、いや大丈夫だから! 大したことないから!」
彼女の歩みを止めようと、大げさに手を振ってみせた。
彼の必死の制止もむなしく、ジェスはその手を躊躇なく掴むと呪文を唱えはじめた。
「ぐあっ」
指先にとんでもない衝撃が伝わり、彼は歯を食いしばるも抑えきれない悲鳴が口から漏れてしまう。なぜ自分は今、ナイフで切るよりも数倍痛い思いをしなければならないのか、と心の中で叫ぶ。
ゆっくりと自然に治る怪我と違い、魔術はその身体が持つ治癒力を最大限に高め、急速に活性化させる。したがって施される側にはある程度の衝撃や著しい消耗が生じてしまう。しかし、そここそが技の見せ所で、術者の力量に左右される。リーアンにおいては「偉大なる癒し手」の名に相応しく、膨大な魔力を用いながらも負傷者が気づかないほど繊細に術を施していくのだが、持て余した力をストレートに投げつけてくるジェスにおいては推して知るべしである。
二人のやり取りを遠目で見ている他の生徒たちは、つい先程彼女がした玉ねぎへの所業を思い浮かべながら必死で怪我をしないようにと目の前の作業に集中しだした。トリヤーナは思わぬ副作用に内心、ジェスに対して親指をたてたのだった。
(面白そうなことをやっておるの。どれ、手伝ってやろうか)
しばらくすると、どこからともなくズーイーたちが現れた。受け持っている講義が少ないので基本は暇なのである。
(干し肉を入れると出汁がでてうまいぞ)
(薬草も入れると効率よく吸収できるぞ)
「ちょっと! 得体の知れないものを入れないでください!」
一体どこから持ってきたのか、ゴーファとドーヴァが何か怪しげなものを鍋に入れようとするのを、トリヤーナは必死で阻止する。果たしてそれが何の肉なのか、何の薬草なのかは不明である。
老人たちによる協力という名の妨害を何とか回避して、鍋に野菜と肉、豆が入れられると、あとは水を入れて煮込むだけである。トリヤーナは彼らが異物を混入させないように見張りとして一人の生徒に火元を任せると、パンの様子を見に向かった。
さすがのジェスも、量るだけなら滞りなく終えることができたようである。巨大なボールに入れられた粉類は、炊事車の後ろに付属した専用のこね機の中に入れられた。これ一つでちょうど200人分のパンを作ることができる優れものだ。
何人かの力のありそうな男子生徒に交代で大きなハンドルを回してもらうと、しばらくしてパン生地が出来上がる。
これには特殊な酵母が使われているので、少々固い仕上がりにはなるが、比較的短時間でパンを作ることができるのだ。
あとは生地を小さく切って丸め、四枚の広い天板の上にひたすら敷き詰める。手分けしておよそ200個ほど連ねたら、天板と同じ様な形の蓋をかぶせて発酵させ、それぞれを重ねて前方の炊事車の窯に入れて焼く。
何とか形になりそうだと、トリヤーナはようやくつめていた息を吐いた。
「調子はどうだ?」
彼もまた暇なのか、昼までにはまだ少し時間があるのに顔を出したラデクに、ジェスが手を振る。
「先輩!」
ジェスの無邪気な笑顔と、トリヤーナの疲れ切ったような顔を交互に見て、ラデクは瞬時に何かを感じとる。
「……おう、おつかれさん」
彼はトリヤーナに向けて、憐れむように労いの言葉をかけた。
「うまそうな匂いじゃないか」
窯の前に行くと、湯気のたつ鍋からは意外にもまともそうな香りが漂っており彼はひとまず安堵する。
すぐそばではまだ諦めていないのかイェスラの三人衆と一人の生徒が攻防を繰り広げていた。
(年寄りの忠告は聞いておくもんじゃ)
「あの、ですが……」
少し気弱そうな生徒はズーイーに押し切られそうになっている。見かねてラデクが近寄ると、ゴーファとドーヴァは口々に喋りはじめた。
(おい若造、干し肉を入れさせろ)
(好き嫌いはせず薬草も少しは入れるべきじゃ)
「じいさんたちは邪魔をするんじゃないよ」
呆れた顔のラデクは、リーアンが呼んでいたと適当なことを言って三人を追いやる。ようやく諦めた彼らが去っていく後ろ姿を見て、男子生徒はラデクを崇めるようにして礼を言った。
昼を告げる鐘の音が鳴ると、鍋から漂う香りにつられるようにして、わらわらと兵士たちが集まってきた。各々の手には兵団から支給されている野戦食器が握られている。その中にはイゼルやファリスの姿も見える。
「今年は成功か?」
辺りに立ち込めるトマトシチューの香りに、ファリスの期待は少しばかり高まる。
「作戦がうまくいったようだ」
イゼルはどこか満足げな顔でそう呟いた。
「お待たせしました! 今から配膳しますのでこちらにお並びください!」
トリヤーナの凛とした声が響き渡ると、我先にと若い兵士たちが炊事車めがけて群がっていく。彼らの表情にはどこか鬼気迫るものがあり、出遅れたファリスは呆然とした。
「……なんだあいつら」
やがて、トリヤーナの手ずから供されたシチューと、ジェスからパンを受け取り戻ってきた彼らの顔は、一様に幸せそうであった。
一足遅れてやっと食事にありついたファリスが恐る恐るシチューを一口食べると、パッと顔をあげた。
「味もまともだ」
「俺が作った野菜を使っているからな」
「……それにしても暑いな」
さりげなく主張をするイゼルを無視し、ファリスは呟いた。
真夏の昼下がりに食べる熱々のシチューは想像以上に凶器である。たちまち汗が吹き出し、兵士たちはぐったりとした顔つきになっていった。
彼らは気分を変えようとパンに手をのばす。
「……おい、何かこのパン固くないか?」
「固いっていうか、石?」
兵士たちの間に動揺が広がり、ざわめきとなって周囲の空気を一変させた。
「……酵母を入れ忘れている」
冷静に判断するイゼルの隣で、ファリスは無言のまま絶望的なまでに固いパンをシチューの中に突っ込んだ。ちなみにこの日は、兵団に所属する彼らにとっても訓練なのである。非常時を想定したこの場において食べ残しは許されないのだ。
昼休みも終わりかけた頃、空になった鍋の前でトリヤーナはうなだれていた。
「あれだけ慎重に計画していたのに」
「トリヤーナ様の責任ではありません!」
そう言って慰めるジェスが戦犯なのだが、当の本人はまったく意に介していない。
「そう落ち込むな。今年はかなりいい出来だぞ」
ラデクが先輩風をふかせてトリヤーナの肩を軽く叩くと、彼女はゆるゆると頭をあげた。
「過去の訓練と比べてどうでしょうか」
剣技や体術においてはさることながら、料理においてもそれなりに自負のあるトリヤーナは負けず嫌いであった。過去に幾度となく行われてきたこの訓練だが、毎年の出来を評価する帳簿が、兵団の間で密かに受け継がれていることを知っていた。
ちなみに昨年は「ここ数年稀に見る出来の悪さ。刺激的かつ攻撃的な味」とあり一昨年は「ここ数年で最もいい出来の凡作。塩気とパンチが足りない」とまるでワインの品評の様に記されている。
「語り継がれる84期生には劣るが近い出来栄え、とかじゃないか」
「やっぱりオルファン分隊長の年には敵わないんですね」
イゼルが学生だった年に行われた炊き出し訓練は、もはや伝説として語り継がれているらしい。もっとも彼らが作ったのは何の変哲もないただのポトフだったそうなのだが、久々にまともな食事にありついた兵士たちは「こういうのでいいんだよ」と汗と涙を流しながら言ったという。
「相対評価だからあてにならない。ホルプ候補生も気にするな」
イゼルはそう言って、トリヤーナを慰めた。
「事故は必ず起きる。事前にミスを予測し、いかに最小限に留めるかだ」
そうして指揮をとる側も鍛えられていくのがこの訓練の意義なのだ、とイゼルは重々しく言うも、ファリスは「そんな深い意味はねぇよ」と呆れたような声で言った。
生徒たちが各々片付けに走る中、場はお開きになろうかと思われたその時、事故は起きた。
「あ、何か腹が痛い……」
ラデクの呟きに、周囲に残っていた兵士たちは首をかしげる。
「そういえば、何となく痛い、かも?」
「俺は何とも無いぞ」
個人差はあるものの、異変を訴えるものが出はじめ、場は騒然となる。
「食あたりか? 野菜が腐っていたとか?」
「ファリス、もう一度言ってみろ」
兵士たちの様子を見てファリスがつぶやくと、イゼルが鬼のような形相になり、そばで見ていたヨアンが慌ててなだめようとしている。
「痛ぇ……おい、ジェス」
ラデクはよろよろとした足取りで、ゴミを拾い集めて飛び回るジェスをつかまえると、腹部に手をあてながら問いただした。
「何かしただろ」
「シチューの隠し味に健胃の魔術をかけておきました!」
「それは隠し味とは言わない。魔力汚染だ」
胃の動きが急激に活発化したようで、ラデクは胃炎の様な苦しみに襲われていた。どうやら魔力の強い者により術がかかりやすくなっているようで、ファリスやヨアンはケロッとしている。イゼルは何も言わなかったが、微妙に眉間に皺を寄せているのでわずかに痛みを感じているらしい。
(だから薬草を入れておけと言ったんじゃ)
第二兵団の棟では、何かを察したズーイーたちがやれやれといったように肩をすくめたのを、リーアンが不思議そうな顔で見ていたとかいないとか。




