楽しい義実家帰省
とある休日の昼下がり。ちょうどイゼルの勤務日であったため、アキはトリヤーナとジェスを家に招き、のどかなランチを楽しんでいた。
「はい、お土産」
アキから紙でくるまれた小ぶりな包を受け取ると、トリヤーナの顔はパッと輝いた。
「わぁ、なんだろう。私、リグレンには行ったことがないんですよね」
そう言いながら、わくわくとした表情で包みを開くトリヤーナの顔は、中から顔を出した謎の物体を見て一変する。
「……なんですか、これ」
「コアトル。好きでしょ?」
そこには、木彫りのクマならぬ木彫りのコアトルが鎮座していた。左右の目の位置が微妙にずれていて、何とも間抜けな表情をしている。
「好きっていうか……えっと、ありがとうございます」
トリヤーナは、手の上で物欲しげに口をかぱりと開いているコアトルを何とも言えない表情で見つめながら、とりあえず礼を言った。
「あ、かわいい」
意外にもジェスのツボにはヒットしたようで、トリヤーナの手元を覗き込んだ彼女は顔をほころばせた。
「ね、なんか憎めない顔をしてるよね」
アキはそう言って、「この顔がよかったから連れてきちゃった」と笑った。
林業が盛んなヴェルフェランの中でも特にリグレンは、寒冷地で育った良質な材木を産出する地域として有名である。木工業も発達しており、なかでも堅牢な家具は高級品として扱われるほどである。
イゼルと里帰りをした彼女は、彼に連れられて行った小さな市場にずらりと並ぶ工芸品を見て興奮した。王都の収穫祭でも木工品は沢山並んでいたが、観光目的の市場にはまず出回らないであろう、よりマニアックなものがそこには並んでいたのだ。
「ジェスにはこれね」
そういって少し細長い包みを手渡す。ジェスは眼鏡の奥の瞳をきらめかせて受け取ると、お嬢様らしからぬ豪快な仕草で包装紙を破いていった。
「あれ、これってもしかして」
中から出てきたのは、長いローブを身にまとった一人の男性らしき木像だった。ジェスにはその姿に見覚えがあった。
「そう、リーアン様の若い頃の姿らしいよ」
それは、30年前の戦争のことを記した伝記や教科書などに、必ずといっていいほど使われているモチーフである。子ども向けの本にも、今より少しばかり若いリーアンが、両手を天にかざして何やら大仰な様子で詠唱する姿が描かれている。決まって彼の足元には、怪我をした兵士たちがリーアンを神のように仰ぎ見る姿もセットで描かれている。幼い頃より父親からリーアンの話を聞かせれてきたジェスにとっても、大変馴染みのあるものだった。
そして、国の英雄リーアンはいつのまにか地域信仰の中に溶け込んでいた。アキが見た市場では、農耕神コアトルや、鍛冶神ウルカ(ハンマーを握った男神だった)といった神々にまざって置かれていたのだ。
「ありがとうございます! 枕元に飾って大事にします!」
かの老師に憧れて、医療術師を志しているジェスは思いの外喜んだので、同室のトリヤーナは微妙に嫌そうな顔をしている。
「あとね、これはおつまみにいいと思って」
アキは自ら大きな包みを開いていくと、中から油紙にくるまれたものを取り出した。ずっしりと重いそれは、鹿肉の燻製である。
「私、ワインを用意しますね」
トリヤーナはすっくと椅子から立ち上がると、機敏な様子で台所に向かっていった。
ほどなくして、テーブルの上には赤と白のワイン両方と簡単な肴が出揃ったのだった。
「それにしても結婚して早々義理実家の手伝いとか、オラには考えられね」
「いや手伝いというほど手伝ってないよ。すごいもてなしてもらったし」
トリヤーナはナイフで削った鹿肉のかけらを口に放り込むと、赤ワインを片手にじっとりとした目でアキを見た。
「嫁いびりはありましたか?」
ジェスは水で割ったベリー水を飲みながら、興味深そうにアキに聞いてくる。
「どこでそんな言葉覚えたの?」
呆れた声でアキが問えば、なぜか目を輝かせた彼女は「本で読みました」と得意げに答えた。
実際、アキはリグレンでの一週間をとても楽しく過ごしてきた。繁忙期に農業ド素人の自分がいてはかえって迷惑なのではと思わないでもなかったが、イゼルの家族はあたたかく迎えてくれた。
着いた早々、食べきれないほどの料理で埋め尽くされた机に座らされ、勧められるがままに飲み食いをしてその日は終了。翌朝から怒涛の作付けが始まるのかと思えば、「村の案内くらいしてやりなさい」と両親に言われたイゼルと一緒に家を追い出されたのだった。
王都よりもさらに一足遅い春を迎えたリグレンでは、いまだ花の季節だった。
木々に咲く花は満開で、まるで二人を歓迎しているかのようだった。数ヶ月前に来た時と違い、アキはイゼルの背にしがみつきながらも景色を楽しむ余裕があった。まだ早い時間帯だからか、道を行く人は少なく静かだ。穏やかな日差しの中をゆったりとした足取りで走る馬の背に揺られながら、彼女は久々にのんびりとした気分を味わっていた。
イゼルに連れられてきたのは村の中心地だった。地元密着型の市場をのぞいて土産物を買ったり、家具職人の工場を見学したり、以前に来た時はできなかった観光を楽しんだ。
こじんまりとしたかわいらしい食堂で大好きなバターフライ(ここでは牛肉だった)を食べていたとき、ふと彼女は気づいた。これはもしやデートなのではと。
「……そういえば、こうして貴方と過ごすのは初めてですね」
イゼルも同じことを思ったのか、川魚のクリームソースがけを前にして、ぽつりと呟いた。
「休みが合わないから仕方ないですね」
アキは苦笑すると、イゼルは急に改まった顔になる。
「今度からは有給をとります」
彼女としては、一緒に仕事をする機会もあるし、結婚してからは毎日顔を合わせているのだからそこまで気にしていなかったのだが、イゼルは何か思う所があったらしい。
帰り道、木々に差し込む夕暮れ時の光をぼんやりと眺めていたアキに、唐突にイゼルが口を開いた。
「アキ殿、俺はどうも気が利かない。不満に思う所があれば遠慮なく言ってください」
イゼルは昼間のことを気にしているようで、口調が少しばかり重々しかった。
休みは合わなくても、彼は一緒にいる時間を大切にしてくれている、と感じていた。ただ、彼を不安にさせてしまっているのには、自分の言葉が足りないのかもしれない、とアキは考える。
「そばにいたい」と以前、彼が言ってくれたことを思い出す。口数は少ないが、いつも彼は率直に言葉を伝えてくれる。それはアキの心の奥にすっと染み込んでいくのだ。一方アキは、恥ずかしくてなかなか自分からは伝えることができないでいた。少しでも自分の想いが伝わるといいのだけれど、とアキはイゼルの腰に回した手に力をこめる。彼は馬の速度をゆるめて肩越しにこちらを振り返った。
「不満なんて無いですよ」
「アキ殿……」
「私は、イゼルさんと一緒にいられるのが嬉しいから」
幾分恥ずかしくなったアキが背に顔を押し付けながらそう言うと、イゼルの体がぴしりと固まる。西日に当たって分かりづらいが、その顔は彼にしては随分と赤くなっていたのだが、幸いアキには見えていなかった。
リグレンに着いて三日目。今日こそ手伝うぞと意気込んだアキは、カゴ一杯に詰め込まれたサンドイッチを手渡され、再びイゼルと共に家を追い出された。
「大したものはないのですが」
そう言って、その日にイゼルが案内したのは、小さな湖の畔だった。まるで隠されるようにして木々に囲まれたそこは、驚くほど透き通った水面を湛えていた。岸辺には色とりどりの花が咲き乱れ、ここは一体どこのファンタジーの世界だとアキが放心するも、そういえば一応、魔法や竜が存在するファンタジーな世界ではあったなと思い直す。
「ここは泳げるんですか?」
「えぇ。でも夏場でも水温が低いので長時間は危険です」
幼い頃はよく泳ぎに来たというイゼルに、アキはうらやましく思いながら水際で手を浸してみた。当然、春先の今はまだ冷たい。じんとする指先に慌てて手を引っ込めた。
「また休暇をとって夏に来ましょう」
アキのうらめしそうな顔を見て、イゼルは静かに笑う。
「……こちらって水着はどうしてるんです?」
ここ数年、とんと縁がなかったため考えたこともなかったが、ふと大事なことに気づいてしまったアキが恐る恐るといった様子で口を開いた。
湖では是非泳いでみたいが、この歳で水着を着るには色々と葛藤がある、と心の中で冷や汗をかく。
「兵団では肌着と下履きで訓練をしています。よろしければお貸ししますよ」
微妙にズレた回答を真顔で言うイゼルに、そういう事が聞きたかったわけではないんだけれど、とアキは思うも恥ずかしいのでそれ以上は話を広げることをやめた。帰ってからトリヤーナかジェスに聞こうと、一般常識においてはイゼルより信頼のおける友人たちの顔を思い浮かべる。
幻想的な景色に気を取られ、アキが水辺をぼうっと眺めていると、何やらイゼルが隣でしゃがみこむ気配がする。そちらの方に顔を向けると、なぜか彼は一心不乱に草をむしっていた。
「……何してるんですか?」
「野草です」
彼のやけに真剣な表情に若干引き気味のアキが問うと、イゼルは手にした若草をかざしてみせた。
「サラダやソースにすると美味しいです」
そう言って手にした草をさっと水で洗うと、アキの口元に持ってきた。
これは食べろということだろうか、とアキは戸惑うものの、イゼルは「クセはないですよ」と付け加え、その手をおろす気配はない。つい先日の騒動が彼女の脳裏をかすめる。
「……あの、これって魔力汚染されてませんよね」
「心配ありません。ここは昔から地元の人も採りにきますから」
例の演習場にあったベリーについては、ラデクもリーアンもあんな魔力汚染は初めて見たと言っていた位だから、よっぽど特殊な例だったのだろう。
アキは覚悟を決めて、彼の手から受け取った一枚の葉を口の中に放り込んだ。
「あ、ほんとうだ」
イゼルの言う通り、確かにクセはないがほんのりとコクがあってサラダに入れたら良いアクセントになりそうだった。
それからアキは今晩の食料を確保するべくイゼルを手伝った。
その日の夕方。イゼルがサンドイッチを入れていたカゴ一杯に摘んだ野草を見せると、彼の両親は一様に複雑そうな顔をした。
いきなり摘んできたから迷惑だったかとアキが思っていると、通りがかった弟のリュートが呆れたような顔でボソリとつぶやいた。
「兄さん、そんなに摘んできて媚薬でも作るの?」
何か聞き捨てならない言葉を聞いた気がして、アキはギョッとした顔でイゼルとリュートの顔を交互に見やる。
「えっと?」
「ただの伝説です。想い人に食べさせると恋が叶うと言われています」
イゼルはいたって真顔でそう説明するが、アキはだんだん頬が熱くなってくるのを感じた。
「それってつまり」
「精力増進の薬効があります。あとは血行促進や滋養強壮など。干したものを蒸留酒につければさらに効果が高まります」
本人はまったく気にならないのか、いらない情報まで細かく説明してくるが、側で見ている両親やリュートの顔は相変わらず微妙なままだった。
「で、これがその野草で作ったソースです」
アキが春に採れたばかりのジャガイモとタマネギに和えたものを出して二人に勧める。イゼルの母親ラナは息子から受け取ったカゴ一杯の野草に困惑しながらも、ペーストにしてアレンジレシピと共にアキに持たせてくれたのだった。
「あぁ、これのことだったんかや」
この春の野草のことをトリヤーナは知っているらしく、少し呆れた顔をした。
「確かに美味しいけれど、逸話が逸話だからおおっぴらに好きとは言えんでよ」
トリヤーナはそう言ってジャガイモを口にすると今度は白ワインに手をのばした。
「何だかさわやかな草の味がしますね!」
とジェスが微妙な感想をよこした。おかわりをしているのでまずくは無いらしい。
「それで、初めての農業体験はどうだったかや?」
トリヤーナはこの肴と白ワインの組み合わせが気に入ったようで、手元にボトルを引き寄せるともう一杯グラスに注いだ。
四日目の朝、朝食を終えると早くも家を追い出されそうな気配を感じたアキは、気を遣われているのか、あるいは厄介払いをされているのか、恐らくその両方だと察し、少しは何か手伝えることはないのかとイゼルに詰め寄った。
「このままだと繁忙期のクソ忙しい中にお邪魔をしたただのお荷物になります」
「そんなことはないですから。どうぞゆっくりしてください」
「気になってゆっくりできません」
「……では、草むしりをしますか」
元の世界にいた時から仕事ばかりしていた彼女にとって、周囲が忙しい中を一人のんびりとしているのはとても耐えられなかったのだ。
真剣な表情のアキにイゼルは少しばかり戸惑ったように目を瞬かせると、そう提案した。
家族全員で畑に来ると、イゼルはアキに持ってきた日除けの帽子をかぶせ、野良着を着せてやる。
「少し疲れたらすぐに休んでください。こまめに水を飲むことを忘れずに。あと軽食も持ってきたので休憩時に食べてください。しばらくしたらまた様子を見にきます」
そばで二人のことを見ていた兄妹が、「兄さんがベルラ鳥みたいだ」と口々にささやきあっていたことをアキは知らない。
「腰が痛くなるからほどほどに」
イゼルはそう言い置いて何やら別の作業に向かった。
アキはようやく与えられた仕事に張り切った。植えられたばかりの苗の側には、すでに小さな雑草が無数に生えている。
無心で草を引っこ抜いていると、そばで同じように作業をしていた妹のセリが、姿勢はそのままで口を開いた。
「アキさんは、兄さんのどこが良かったのですか?」
「へっ?」
唐突な問いかけに、アキは思わず顔をあげてセリを見やるも、彼女は下を向いたまま黙々と作業を続けていた。遠くではイゼルがこちらをチラチラと見ながら鍬をふるっているのが見えた。まさか聞こえてはいないだろうが、アキは内心焦りを感じていた。
少しの間を置いて、セリは顔あげた。イゼルの面影がある真顔に、アキは思わず言葉につまる。
「あの、すみません……その、お見合いだと聞いたので、参考までに知りたくて」
そう言うと、セリは少し頬を赤らめてまたうつむいた。足元の雑草は既に取り尽くされている。
「もしかしてセリさんにもお見合いの話が来ているの?」
「……はい」
先輩として何か助言をしてやりたいが、アキにはイゼルとの見合いの経験しかない。しかもその時のことを思い出すと、彼女に言えることは何も無かった。
「あの、特にピンとこなかったけど何となく結婚したとか、顔だけは良かったからとかでもいいんで」
「いや、違います! 良いところは一杯あるんです! あるんですけど」
何やら誤解をしだすセリに、アキは慌てて弁解する。
イゼルの良いところは沢山あるのだ。でもそれを一つ一つ列挙していくのは実の妹を前にしてさすがに憚られる。相変わらず遠くの方でイゼルがこちらを見ている気配がするのだが気のせいだろうか。
「そうですね……一緒にいると安心するからですかねぇ」
今までのことを振り返ると、結局そこに行き着くのだろうか。アキは実感のこもった声でしみじみと口にした。彼女はどこか自分の回答に満足げである。
「は? 兄さんが?」
ところがセリにとっては納得がいかなかったようである。その端正な顔を思い切りしかめた。眉間に皺がよって目が鋭くなるとますますイゼルによく似てくる。
「言葉は足りないし空気の読めない堅物の兄さんが?」
「……イゼルさんて、やっぱり家でもあんな感じなんですか?」
「昔からそうです」
「いや、でもお仕事ではちゃんと皆さんに信頼されてるみたいですよ」
散々な言われようだが、アキもそこは特に否定せずにフォローをしたのだった。
「そろそろ休憩にしましょう」
突然、間近で聞こえるイゼルの声に、アキは思いきり身を震わせる。彼はいつの間にか背後に来ていた。
イゼルは呆れた顔のセリを、アキが気づかない程度に睨みつける。
「え、もう休憩ですか?」
「はい」
彼は有無を言わさずアキを木陰に連れ込んでいった。甲斐甲斐しく茶を注いでる兄の姿を見て、セリは相変わらず呆れたような顔をしていた。
それから残りの二日間を、アキはイゼルの家族達と一緒に日中は畑作業をしながら楽しく過ごした。ラナからは変わった料理のレシピを教わり、父親のフィンからは獲ったばかりの鹿肉で燻製をこしらえてもらった。既に家を出た長男と長女も顔をのぞかせに来てくれたので、大変にぎやかな日々になったのだった。
王都に帰る日、アキとイゼルは背嚢にこれでもかと詰め込まれた土産物を背負い、家族に見送られてリグレンを後にした。
「へぇ、楽しかったなら何よりだに」
トリヤーナは机に頬杖をつきながら、アキの土産話に相槌を打った。赤と白のワインのボトルはもう半分以上も空いているが、ほとんどは彼女が飲んだ。
「じゃぁ、小姑とのいざこざもなかったんですね」
なぜかジェスは少しだけがっかりした顔をしている。一体彼女はどんな本を読んでいるのだとアキは疑問に思ったものの、知るのが怖いような気がしてそこに突っ込むのはやめた。
机の上の料理はあらかた食べつくされており、宴もたけなわといったところだ。
「あとね、イゼルさんが鍬をふるうと二の腕がたくましくてかっこよかった」
アキがそう言ってニヤニヤとしまりの無い顔で笑いながらリグレンでの総括を述べると、トリヤーナとジェスは呆れ返った顔になった。
「なんだ、惚気かや」
「惚気ですね。初めて見ました」




