38 そして今日も平和です
魔術研究学会が無事とはいえない形で終わり、また日常が戻ってきた。
シセリアは現在、保護という形でヴェルフェランに留まっている。
それを提案したのはヨラスだった。
シセリアの上司は彼女の発表を妨害したことは認めたものの、これ以上は治外法権であるため追求はできず、彼は母国へと送還されることになった。
しかし彼はオラルク共和国でも地位が高く、したがって権力も有力者とのつながりも持ち合わせていた。
彼女の不利になるようなことが起こる可能性も考えられ、その身を案じたヨラスは、シセリアをこのままヴェルフェランで保護する、と宣言した。
この国は三十年前の戦争でも中立を保っていたため、一見それはまっとうな提案に見えた。
彼女の世話を仰せつかっていたアキは一度だけ、ヨラスとの関係をほのめかす話を聞いた。
もちろんアキは余計な詮索は無用と、そこには触れずにあたりさわりのない話をしていた。
ところがある日、彼女の発表を聞いて感銘を受けたジェスが休憩時間に会いに来た。何やら専門的な質問をしてシセリアと話が弾んでいたのだが、突然彼女はとんでもないことを聞いてきた。
「それでシセリア様は、陛下とどういったご関係なのですか?」
「ジェス!」
思わずアキは彼女の口をふさごうとしたが既に遅かった。
それは恐らく、王宮の誰もが思っていたものの決して口にしなかった疑問である。
若さゆえなのか、それとも空気を読まない質なのか、恐らく両方なのだろう。彼女はいつでも単刀直入である。困ったことに眼鏡の奥の瞳が興味津々といったように輝いていた。
シセリアは少し驚いた顔をしたが、やがて控えめに微笑んだ。
「かつて留学をしていた時に、恐れ多くも親しくさせていただいておりました」
「それって……」
なおもジェスは食い下がろうとしたので、アキは今度こそ彼女の口をふさいだ。
「ジェス、プライベートな事は聞いちゃ駄目。失礼でしょ」
「別にいいんですよ。本当に昔の話ですから」
シセリアは特に気にしていない調子でそう言ったが、先日医務室で見た陛下の様子からはとてもそうは見えなかったけど、とアキは心の中でのみ呟いた。
実際、陛下の周囲が騒がしく動いていることを彼女はコンラスから聞いていた。「周回遅れの陛下がついに」とか「最初で最後かもしれないこの好機を逃してなるものか」と少々不敬なことを言われているらしい。
ふと彼女は思った。近々、第二兵団の人員がまた増えるかもしれない、と。
「……もう、これ以上は何も起きませんよね」
ようやくたどり着いた結婚式当日。椅子に腰を掛けて待機していたアキは、不安げに双眸を揺らしながらイゼルを見上げた。
あまりにも目まぐるしい日々を乗り越えてきたので、「直前まで油断するな」というコンラスの呪いがトラウマのようになっていまだ解けずにいる。
「大丈夫です」
彼の頬に朱の色がはしるが、イゼルはつとめて平静を装い彼女を安心させるように言った。
アキの肩に置こうとした手が宙を彷徨うも、ゆるゆると降ろされる。
彼女は襟ぐりが大きく開いたクリーム色のドレスを着ており、肩に触れるとその白い素肌にまで触れてしまいそうでためらわれる。
そんなイゼルの胸中も知らず、アキは急にしまりのない顔で彼を眺め回した。
「……どうしました?」
アキの不躾な視線を訝しく思い問えば、彼女はさっと視線をそらした。
「前からずっと思ってましたけど、イゼルさんは本当に軍服が似合いますよね」
襟元や袖先、ズボンの側面には金の刺繍が施され、腰には飾り房のついた剣をさげている。
いつか遠目で見た式典服姿のイゼルは、間近で見ても惚れ惚れするほど格好が良かった。
「……ありがとうございます」
アキに褒められたイゼルは内心複雑だった。王都に来てこのかた、士官学校時代からほぼ毎日軍服を着ている。もはや普段に何を着ればよいのか分からなくなっているほどには、それにお世話になっていた。つまり、私服に自信がなかった。
「その、軍服は誰にでも似合う様にできているので」
そう言って言葉を濁すイゼルに、アキはカッと目を見開いた。
「何言ってるんですか、無自覚なんですか?」
アキは急に勢いづいて立ち上がると、イゼルに詰め寄った。
「コンラスさんに挨拶に行った時だって、何の変哲もないシャツとズボンだったくせにめちゃくちゃ格好よく着こなしていたじゃないですか」
アキの勢いに、イゼルは褒められているのか怒られているのか分からなくなっていた。
何故か腹を立てているアキに、イゼルは気を取り直して口を開いた。
「アキ殿も、とても似合っていますよ」
「……イゼルさんの言葉は信用できません」
「何を着ても似合う」と宣ったイゼルのことを思い出し、アキは赤くなって下を向いた。
アナから借りたドレスは、胸の所以外はピッタリだった。もちろんアキの方が圧倒的に小ぶりであるため、脇を少しつめたのだがそれでもゆるく、無理やり寄せてあげて何とかしたのだ。
胸切り替えの下はひだの少ないシンプルなシルエットになっており、アナ曰く少し昔のデザインなのだそうだが、アキには装飾の少ないところが逆に良かった。
ゆらめくスカートの裾を眺めていたら、イゼルが手をさしだしてきた。
「そろそろ時間ですから行きましょう」
真っ白な手袋に包まれた大きな手をとると、しっかりと力強く握り込まれる。
秘書に仕立てあげられたあの会議の時から、この手に助けられているな、とアキはふと思った。
きっとこれからも助けられるのだろうし、自分が助けることもあるだろう。
彼と見合いをしてからもうすぐ一年が経とうとしていた。この濃すぎた月日の間そう思えるほどには、彼との間に信頼と呼べるものが築かれていた。
あれだけ異性と縁のなかった自分がこの様な心境になるなんて、本当に人生何が起こるか分からないものだ。
もっとも、この世界に落ちた時点で普通じゃないけれど、とアキは思い直す。
つないだ手の先をたどって見上げる顔は、少し緊張しているのか硬い。かすかに眉間にシワが寄っているのを見て、アキは思わずそこへ指を伸ばした。
ツン、と人差し指を当てると、イゼルは驚きに目を丸くした。
「緊張してます?」
アキがいたずらに成功したような顔で笑うと、イゼルは相好を崩した。
こぢんまりとした会場は色とりどりの花で飾られ、そこだけ春を一度に集めたようだった。
会場に入ってきたアキの姿を見て、アナはハンカチで目頭を抑え、雰囲気に流されているのかコンラスも目を赤くしていた。
感慨深そうにイゼルを見ているツァレトフ団長の近くで、イゼルの家族が手をふっている。
それを見て、アキは少しだけ胸に痛みを覚える。ここにはいない自分の家族を想うと一瞬郷愁にかられるが、それよりも隣にいるイゼルの手の温かさが嬉しかった。
春は種まきの季節である。数日後には特別休暇を取り、イゼルとアキは繁忙期の彼らを手伝いにリグレンに旅立つ。それを聞いたトリヤーナは呆れていたが、イゼルから盛大に郷土料理を振る舞ってもらう予定だと聞いていたのでアキは楽しみにしていた。
「おら、お姉さまが幸せそうで、もう何も言うことはないずら」
「トリヤーナ様、気をしっかり」
早々にアルコールが入り、泣きながら故郷の訛りで話し出すトリヤーナに、イゼルの部下らしき若者数名がギョッとした顔になっている。
ジェスがトリヤーナの肩をたたくと、彼女はとうとう嗚咽をあげて泣きだしてしまった。
拍手で迎えるファリスの隣で、ラデクが何やらごそごそしだしたかと思うと、手にしたものを宙に放った。その瞬間、部屋中に無数の花が舞い散る。どうやらリーアンとズーイー達からのお祝いの幻術らしい。
アキが見とれている側でイゼルが、「季節外れの花が混じってますね」と細かく指摘した。
人々が口々に祝いの言葉をつむいでいる。
大勢の人に祝福されめずらしく破顔しているイゼルを見て、アキも満面の笑みを浮かべた。
この世界で、これからは二人で生きていくのだ、と改めて思いながら。
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